メディオルム進軍
人質には、種類がある。1つはやむを得ず取った人質。もう1つは、――人質として取ることを織り込んだ上で取った人質である。
前者は正直な話、いわゆる『肉の盾』でしかないわけだが、後者は意味が違う。いわば『交渉カード』であり、政治的駆け引きにおいてなくてはならない存在なわけである。そして、両者は物理的な拘束距離も文字通り桁が違うと言ってもいい。傷つけたり、最悪殺してしまうと極めてまずい影響をもたらすことは必須だろう。
「……なんも変わらんな」
執務室の椅子をクルクルさせながら俺は言う。見張りの兵士はいるが、こちらには無関心なようだ。それもそうだろう。ただの兵士である彼らにとって大公位がどうのこうのという争いに興味はなく、ただ単に上司に従っただけというものが殆どだろう。
しかし、レルテスらが評議会警備隊を率いてやってくる手筈になっているとはいえ――いつまでも保守派に切り札を握らせるつもりはない。彼らにジョーカーを持っていることでクーデターを起こさせるのが俺の役目であり、それが終わった今俺(とクレア公女)がここにいる意味はマジでない。
とはいえ――現状俺が使える戦力はないに等しい、と言うかない。正規軍を指揮下に入れてないという意味では保守派もそうだが、彼らには推定1個大隊程度の私兵+宰相護衛隊がいる。なんで大公護衛隊がいないんだと嘆きたくなるが、その役回りをするはずだったガルベス麾下の帝国から送られた2個中隊は前線に派遣済みだ。
それに――もちろんこの部屋の外にも護衛兵はいることだろう。恐らくだが、保守派もここが最終防衛線だと考えているはずだ。さて、ここで問題になるのは俺がここから脱出する方法だ。窓はあるが、高さ的に多分落ちて即死がオチだろうし、換気口などは見えない。
とすると――唯一可能性があるのは、ドアからの正面突破ぐらいのものだろう。しかし、いくらなんでも警備兵が見張っている状況で扉を堂々と開け放つことなんてできないしなぁ。しばらく、俺は苦悶し続けた。
――――――――――
「大変です、閣下」
「……何だ」
ハンスが執務室で密かに思案している間、宮殿を掌握した保守派は保守派で焦っていた。決起からわずか1日も経たないうちに、保守派の計画は破綻し始めていた。大公と公女を捕えるという目標こそ達成したものの、市内を速やかに確保するはずが市民のデモ隊の抵抗に遭い、保守派は市内はおろか確保できているのは宮殿と機能が喪失している軍司令部、そして中立を表明した司教座など行政区画のみであり、これでは交渉のための使者を出すことすら怪しいだろう。
さらに、帝国が敵国との休戦を表明したという情報も入ってきた。もし帝国が南部に軍を再配置すれば保守派は両手を上げるしかないだろう。
「ベラーニから、評議会軍と思われる部隊がこちらに迫っているとの情報が」
「な……奴らは数日前に前線に追いやったはずだぞ!どういうことだ中尉」
「分かりません。しかし、このままでは……」
「ぐぬぬ……」
ヘレナスは頭を抱えた。一縷の望みをかけた蜂起が、こうも瞬く間に封じ込められそうになっている。
――――――――――
「大公殿下と公女殿下、そして愛しい妹さんのいる宮殿まであと少しですな」
「今から戦だというのに、暢気なことを言わないでください伯爵」
「おっとそれは失礼。それで、殿下が遺した計画通りに動けばいいのだな?」
「えぇ、軍を4つに分け、それぞれ担当区画の制圧に当たってもらいます。……情報が正しければ、メディオルムには『第5の軍団』となる人間が多くいるはず。彼らの助力もあれば、メディオルムの奪還は十分可能でしょう。しかし……」
レルテスはそこで一旦考え込む。ハンス大公が言うように確かにメディオルムを奪い返し、保守派を制圧することは容易いとは言わないまでも、勝てる公算が高いだろう。保守派の計画は、もうほとんど破綻しかけているといってもいい。
だが、それだけではいけないのだ。少なくとも、今後の統治のことを考えればハンス大公とクレア公女を無事に救出しなければいけないことは明らか。そして、宮殿は保守派が完全に掌握していることを考えると、それは難儀することが予想された。
公女を奉じ、そして大公を取引材料にしようとする保守派が彼らを殺傷するとは考えにくいが――追い詰められた人間は何をするか分からない。無血開城を求め、なるべく流血を伴わない方法で鎮圧するように心がけないといけない。
「全員に通達してくれ。相手は同胞だ、なるべく殺すな。もし敵と遭遇したらまずは投降を呼びかけ、然る後に抵抗されたら武器を使用しろ。武器を使用する際にもなるべく殺さないように急所は外せ」
「了解しました」
――――――――――
「群衆――いえ、大公派がメディオルムへと進軍してきています!」
「すぐに動かせる部隊を集めて防衛線を敷け!」
「宮殿よりも軍司令部に立て籠もるべきです」
「馬鹿を言うな、それでは我々が暴徒に負けたことになるではないか!」
「しかし、このままでは……」
保守派司令部は混乱に陥っていた。保守派の悲願であったはずの首都攻略は、今や完全に頓挫していた。しかし、ヘレナスはまだ諦めていなかった。
「まだだ、まだ終わってはいない。宮殿内の警備を最小限にして予備兵力を投入し、防衛線を築き直せ。場合によっては市民を盾にすることも厭うなと命令しろ」
「しかし、それでは我々は民心を失います……」
「うるさい!もう他に方法はないのだ!今すぐ動け!!」
「はっ!」
コルテドに命令を下し、彼が去ってからヘレナスは静かに歯軋りする。こんなはずではなかった。軍事的空白を利用して首都を速やかに確保、そしてそのまま戦争で南部に軍を展開する余裕がない帝国から譲歩を引き出し政権奪取――彼が思い描いた計画は、いささか理想を追い求め過ぎたのかもしれない。




