決起
「宮殿を占拠しろ!」
「ハンス大公とクレア公女を確保するのだ!」
大陸暦1708年3月1日、春の訪れを感じさせるその日の朝は、銃声とともに始まった。
ドミトリー伯ら保守派貴族が私兵を率いて決起し、実権を奪うために動き出したからである。宰相護衛隊と私兵から構成されるクーデター部隊はもぬけの殻となっていた宮殿を実質無血で占拠することに成功した。
それと時を同じくして西部地域の反乱軍が攻勢を開始し、公国軍を釘付けにした。彼らの計画はひと先ず成功したのである。
そういうわけで――
「ハンス親王殿下、朝早くからこのような形で失礼します」
「……君たちは士官学校で礼というものを習わなかったのかい?」
「外国人に対する礼儀を習わなかったゆえ、ご無礼をお許しください」
「……」
目覚まし代わりと言わんばかりに寝室のドアが蹴飛ばされ、ドカドカと人の寝相を見に来た変態――ではなく銃を携えた兵士たちが入ってきた。銃が市場に出回ってからそんなに時間は経っていないはずだが、公国軍の兵士は皆銃で武装している。金かけすぎだと思う。
「もはやここまで、か」
「いえ、殿下は高貴なご来賓ですので。チザーレ旅行を楽しまれた後は無事に帰っていただかなくてはいけませんからね」
「ふん、礼儀は弁えてなくても皮肉だけは一人前のようだな。それで?俺はこれからどうしろと」
「何もしなくて結構。ただあなたは、"時"を待っていればよいのです。それでは、帰国の目途が立つまで、ごゆっくり」
そう言うだけ言って、兵士たちは出ていった。勿論、監視役はいるが。
「……」
俺は、監視役に聞かれないようにひそかにほくそ笑む。兵士たちに寝起きを襲われるというのは想定外だったが、それ以外は全部思い描いていた筋書き通りに、物事は進んでいた。
――――――――――
「報告です!クレア公女を無事に保護しました」
「よくやった。して、大公殿下は?」
「既に確保済みです。もちろん、穏便な手段で従っていただきましたよ」
コルテド少佐からの報告を自室で聞いたヘレナスは、満足そうにうなずいた。彼の捕縛が決起が成功するための最低条件である。
「それは良かった。一先ずは安心、といったところか」
「これから如何なさいますか、閣下」
「そうだな……」
ガチャッ
「閣下、大変です!」
「何だ、今大事な話をしておるのだ!」
「それどころではありません!」
ヘレナスは突然部屋に立ち入り、話の腰を折ってきた闖入者に対して不快感をあらわにする。闖入者である宰相護衛隊副隊長・ハーベル大尉は、切羽詰まった様子で口を開いた。
「右岸地区の制圧に赴いた部隊が、市民の抵抗に遭っています!」
「何だと!?」
「そのほかにも、市民がデモ隊を結成したという情報もあります。また、これは前線からですが、反乱軍兵士が続々と公国軍に投降しているとの情報も……」
「……分かった。ハーベル大尉、部隊に対して自衛以外での武器使用を厳しく禁止すると厳命してくれ」
「承知しました。閣下は……」
「市民に対して演説を行う。準備してくれ」
「かしこまりました」
ヘレナスは重い腰を上げた。いくら大公と公女を支配下に置いたとはいえ、その前に宮殿が陥落したら身もふたもない。メディオルムを全て掌握する必要はないだろうが、市民が暴徒化することだけは防がないといけないだろう。
――――――――――
数十分後、ヘレナスは宮殿から市内を一望できるバルコニーに立っていた。眼下には宮殿に押し掛けた市民たちの姿が見える。それを見た彼は、面食らった。市民の支持が前大公にあったことは理解していたが、まさかこれまでのものだとは思わなかったからである。
群衆の声に負けないように声を張り上げ、精一杯の勇気を振り絞り彼は演説を始めた。
「親愛なるメディオルム市民よ、私はチザーレ公国宰相、ヘレナス・ドミトリーである。此度は、早朝から騒動を引き起こす事態になったことを謝罪したいと思う」
そう切り出した。民心掌握とは程遠い保守派の現状だが、それでも下手に出るということは悪手になりづらい方法だ。……最も、ヘレナスのそんな思慮を一向に介さない群衆は変わらず彼にヤジを飛ばし続けているが。
「しかし諸君には、我々がこうして行動に至った理由を理解してもらいたい!そのために私は今こうして立っているわけなのだ!」
ヘレナスは語気を強め、拳を握り締める。
「諸君は、この度我が国の大公となった人物がどのような人物か知っているか。彼はハンス・エリック・フォン・ロレンス=ウェアルス。彼は僅か16歳という若年であるばかりか、あろうことか我が国を支配せんと試みる帝国の皇族の一員であるのだ!これは我が国の独立を侵す行為といっても差し支えないだろう!これを許してよいのか!」
古今東西、クーデターというものは大義名分を伴って行われるものだ。無論、大概の場合その正統性は皆無か著しく低いものだが。しかし、ヘレナスの言っていることは、そんな有象無象の中では比較的まともな部類ではあった。
確かに他国に皇族や王族の一員を送り込み、そのまま乗っ取ってしまうといういわゆる『結婚戦略』は戦わずして他国を支配下に置く方法として名高い。『戦争は他の者に任せよ。汝幸あれオーストリアよ、汝は結婚すべし。マルスが他に与えし国はヴィーナスによって汝に与えられん』なんていう言葉があるくらいだ。
当然貴族としての教育を受けた彼だからこそ、その戦略が危険なものであることは把握しており、そして共感が得られるものと考えていたのだろう。
「我々はあくまでこの国を愛している!だからこそ、彼にはこの国から出て行ってもらわなければならない!幸いにも、正統なる大公家の血を継ぐものとして、クレア・フォルニカ公女殿下はご存命である。ならば、殿下に冠を被せ、この国の後継者となってもらうのが自然ではないだろうか!?」
しかし、それはあくまでも彼――いや、彼らの見解である。政治という駆け引きの場に生きてきた彼らならともかく、そうでない市民たちはそんなこと知ったこっちゃない。特に商人が多数を占めるメディオルムの民にとって、いい支配者は利益をもたらしてくれる支配者である。血で彼らの利益は生み出せないのだ。
その点において、帝国という大口の取引先との関係というメリットをもたらし、そしてさらに手厚く保護してくれた前大公は正しく彼らにとっての良君であり、当然その方針を続けると期待できるハンス側に付こうと考えるのは自然なことだった。
「我が国の独立を取り戻そう!幸いにして、帝国は今戦争状態にある。諸君、今こそ彼らの軛から祖国を解放するのだ!」
次第に熱を帯びてきたヘレナスの言葉に耳を貸す聴衆はおらず、とうとう彼らはヤジだけではなく物理的にものを投げつけ始めた。何を語りかけても無駄だと悟ったヘレナスは、最後に「諸君、我々を支持してくれ!」と叫んだ後、壇上から退いたのだった。
――――――――――
メディオルムでドミトリー伯に対して市民がヤジを飛ばしている頃――メディオルムから少し離れた郊外の小都市・ベラーニでは、数百人程度の兵隊を連れた貴族たちが、メディオルムからの速報を聞いていた。
「全て殿下の筋書き通りですな。大したものです」
「宰相閣下は驚いているでしょうな」
「ま、そうだろうな。最も、これからもっと度肝を抜いてもらわないと困るわけだが」
使者の報告を聞きニヤリと笑うのは、レルテスら改革派貴族たち、そして彼らが保有する評議会警備隊の兵士たちだ。
宰相の求めに応じ評議会警備隊を前線に送った……のはあくまでポーズに過ぎない。ハンス大公のアイデアに従い、ベラーニで雇った数百人の市民に、軍装をさせて送り出しただけ。実際に戦いに行くことはない欺瞞の出陣なため、取り敢えず数を揃えれば問題ない。彼らには目立たないように戻ってきてもらい、その結果宰相が恐れたであろう改革派が保持する戦力はそっくりそのままここに残っている。
さらに、商人貴族が多い改革派の根回しの甲斐もあって、メディオルムではクーデター反対のデモ隊がすぐに組織されたそうだ。彼らのほとんどは非武装の平和的なデモ隊だろうが、宰相曰くクーデターの大義名分は『公国の正統な後継者を復位させる』だそうだから、迂闊にこれを武力で排除するなんてことは出来ないはずだ。
そうなればクーデター部隊の動きは鈍る。そしてそこに評議会警備隊が到着してしまえば――彼らに勝ちの可能性はほとんど残らないだろう。が――
「筋書き通りとはいえ、事実大公殿下と公女殿下が敵の手中に収まっているのは事実だ。殿下が仰られたように彼らの戦略を考えれば2人に危害が及ぶ可能性は低いだろうが――」
「分かっています。少なくとも宮殿が占拠されている状況は早急に解決しなければいけませんね」
貴族たちの言葉に、レルテスは頷く。一刻も早く彼らを救出しなければ、改革派の評判にも関わるし、そもそも保守派を鎮圧する過程で仮にハンス大公とクレア公女が亡くなってしまったりすればそれこそ帝国は直接併合に乗り出すだろう。
皮肉なものだ。帝国への従属を非難する保守派と、出来るだけ独立国として国家運営を行いたいと願っているハンス大公はその点において利害は一致している。しかし、彼らはあくまでも帝国出身の大公という存在自体が帝国への従属の証とみなしている。これでは妥協など無理な話だ。
「取り敢えず、すぐに出発する準備をしよう」
「準備なら既にできております。子爵殿の命令があればすぐに出発できます」
「それはありがたい。では諸君」
レルテスはすっと立ち上がる。そして兵士たちの方に向き直り、口を開いた。
「これよりメディオルムを占拠する叛徒を排除し、宮殿を奪還。そして大公殿下と公女殿下をお救いする。全軍進軍せよ」




