Ma cherie
さて、当日の朝。
「おはよう!」
車で由紀を迎えに行くと、蒼いワンピースを着た由紀が、元気な声と共に大きな旅行鞄を一つ転がしながら、家から出て来たのを見てホッと安堵する。
昨日、ほぼ親子関係ではあるのだが『二人きりの旅行』ということで彼女の両親に挨拶をするついでに、彼女の荷造りを手伝った時、彼女はとんでもない量の荷物を惜し気もなく2つの旅行鞄に詰め込んでいたから。
再び車を家に止めて、空港へと向かった俺と由紀は一度スウェーデンへと飛び立った。
飛行機の中、隣に座る由紀にドキドキと胸が高鳴るけれど、
「この旅行中に実行しなければいけない事に比べれば全然マシなんだろうな……。」
と、今はスゥ、スゥ……と寝息をたてている隣の天使に溜め息をつく俺だった。
スウェーデンのストックホルムに降り立った俺達は次に汽車に乗り、のどかに連なる山々を眺めながらノルウェーのオスロへと向かう。
汽車の中、終止笑いの絶えない二人の空間だけが甘く、美しく見え、地元の人であろう老人がそっと頬を緩ませていた。
6時間後、次第に顔を隠す陽の光と共にオスロへ到着した二人は、予め二人で予約しておいたホテルへと足を運んだ。
その夜は長旅の疲れからか二人共直ぐに眠りに落ち、堅く手を握り合ったまま、旅行では二日目、ノルウェーでは初めての朝を迎えた。
翌朝、目覚めた俺は隣に姿が見えない恋人を呼びにリビングへと向かった。
由紀はテレビを付けて、地元のテレビ番組を見ていた。画面の中、金色の髪に蒼い瞳をした女性が何やら騒いでいる。
「時差ボケ、してないか?」外国のコメディー番組を真剣に見つめていた由紀にそっと話し掛けると、驚いたようにこちらを見て笑顔を見せた。
「うん、平気。でも、ノルウェーって、英語じゃないんだね。駅のおじさんとかは英語で話してくれたのになぁ…」
少し残念そうに言う彼女に、
「あぁ、あんまり知られてないけど、ノルウェー語ってのがあるから。俺達みたいな観光客を相手にするときだけは英語を話す人が多いらしいけど」と説明した。
「さぁ、二人共元気な事だし、飯食って街見に行こう」
「うん!」
満面の笑みで微笑む彼女に口づけて手を引き、俺達は朝食をとるため、エレベーターで一階のフロアへと向かう。
バイキングで朝食を済ませた俺達は、海へと続く町並みを歩くため、ホテルを出た。
「すっごーい……。」
ホテルを出て、大きな道を歩き始めて間もなく、由紀が感嘆の声を漏らした。
右手にはピンク色をしたオスロ大聖堂があり、その奥では道の真ん中で大きな噴水が水を吹き上げ、虹色の光を放っていた。
大聖堂。
教会の中は回廊が延び、参拝者がぞろぞろと出入りを繰り返している。
まるで天使達の隠れ家のようだった。
「素敵だね……。」
天井を見上げ、目を閉じたまま賛美歌に耳を傾けていた由紀は俺を見て、可憐にフッと微笑む。あ、やっぱ蝶みたいだ。
お前の方がもっと素敵だよ……。
そんなクサい台詞を飲み込んだ俺。――彼女のその切ないくらい美しい横顔を見詰めながら、改めて惚れている事を知覚し、嬉しくもまた、恥ずかしくなる。
今は
「あぁ。」
としか答えられないけれど、いつかその笑顔を守ってあげたい……と、かばんの一番奥にしまったダイヤの指輪に想いを馳せる。そう、拓斗は最終日、この教会でプロポーズしようと考えていたのだ。
少しの衝撃で壊れてしまいそうな、ガラス玉のように繊細な彼女を、その笑顔を、自分が守ってやりたい。
俺がその笑顔を一つ……二つ……、増やしてゆくんだとそう信じて、俺は由紀を抱き締めた。
「見てるよ……。」
頬を朱色に染め、上目遣いに俺の瞳を覗き込む由紀。
そのまま、俺はキスを落とす。
綺麗だ……。
甘いキスの間、二人を見詰めていた教会の参列者達は、絵画のように美しい二人の東洋人に溜め息をついた。
余りにも綺麗で……。
唇を離し、微笑み合い照れていた若い二人の異国人は、手を繋いで教会を出て行った。