第05話 手は添えるだけ?
俺とおじ様はトマトジュースで口を潤しているが、チャゲとモモゲは顔を顰め、全然トマトジュースの消費が進まないようだ。
お子ちゃまにはまだ少し早いのかもしれない。
そんな俺の考えが顔にでていたのか、チャゲが俺の方を見てムっとした表情を浮かべたあと、覚悟をきめたのかトマトジュース一瞥し一気に飲み干した。
上唇に若干トマトジュースが付着しているのはご愛敬か。
チャゲが飲み干したのを確認したモモゲは、次は自分の番かと言いたげにカップを見つめている。
一度深呼吸をし、そのまま一気飲みでトマトジュースを胃に流し込んだ。
チャゲとモモゲは笑顔で何か会話しているが、お互いが口の周りにトマトジュースが付着しているを指摘しあったのか、二人とも恥ずかしそうに口元を拭いていた。
そんな感じで和やかに夕食は進んでいく。
空になったチャゲとモモゲのカップに、俺がトマトジュースを注ごうとしたらカップに手で蓋をして全力で拒否されたり、お返しとばかりに俺のカップに注がれるトマトジュースを一気飲みしたらなぜか納得顔をされたりもした。
おそらくチャゲが作ったであろう料理は、悔しいことにどれも非常に美味しかった。
次はモモゲの手料理を食べたいものである。
夕飯がひと段落し、片付けも終わり、のんびりとした時間が流れる。
俺以外の三人は今後について話し合っているのだろうか。俺は一人蚊帳の外である。
言葉が通じない以上、仕方ないことではあるが、少し寂しいものがある。
やることがない時間は、モモゲのあくびによって終わりを迎えることになった。
おじ様が居間から出ていく。
戻ってきたとき手にしていたのは布団だ。
居間の空いているスペースに布団を二組敷き、今日の寝床を整えてくれた。
ふと、夕飯前の出来事が頭をよぎった。
ここに布団を二組用意したということはそういう事ですかね? 食後のデザートが待ってると考えてもいいのですかね?
寝床の準備が整うと、チャゲとモモゲは別室へと消えていった。
居間に残ったおじ様が壁のスイッチを操作し、電気を消す。
数分後、聞こえてくるのはおじ様のいびきだけ。
そしてデザートは来ることはなかった。
◆
この世界に来てから数日が経った。
俺は相変わらず軟禁? されている。活動可能範囲はこの家の居間、トイレ、そして風呂だ。
お風呂イベントが発生したのは、二日目の夕食後の事だった。
おじ様に連れられ、トイレとは違う部屋に案内されると、脱衣所のようなところだった。
その奥にもう一枚扉があるところからして、風呂であると察するのにそれほど時間はかからなかった。
奥の扉を開け、俺に風呂を見せてから豪快に服を脱ぎ始めるおじ様。
お風呂イベントがおじ様ルートで確定した瞬間である。
男二人で風呂場に入るが、どう見ても湯舟は一人用だった。
この湯舟におじ様と一緒に入るのはご遠慮したい。
風呂の使い方の説明を一通り実演形式で受けるが、俺の知ってる風呂場と同一だったこともあり、なんの抵抗もなくスムーズにお風呂イベントは終了した。
念のため明言しておくが、おじ様と一緒に湯舟には浸かってはいない。
二回目からはおじ様と入ることもなく、一人で風呂風呂に入ることを許された。のんびり風呂に浸かるってのはいいものだ。
この家に風呂があったのには驚いたが、初日にモモゲからいい匂いがしたし、チャゲからも時々いい香りがするので納得はできた。
ちなみに一緒に寝ているおじ様は無臭である。
日中、チャゲとモモゲは外出していることが多い。
俺は何をしているのかというと、居間で書類仕事をしているおじ様と同じ空間で、筋トレに励んでいる。
有り余るエネルギーをどう活用するか考えた結果、道具を使わず出来ることとして筋トレが思い浮かんだ。
おじ様の傍らで筋トレをしていると、チラチラこちらの様子を伺っているのに気付いた。
俺がじっとおじ様を見つめると、おじ様は俺の正面にやってきて、続けるようジェスチャーで伝えてきた。
現在俺はスクワットをしている。
スクワットを続けているとおじ様は俺の背後に回り込み、俺の腰に手が添えられる。
これはいけない。慌てて振り返るが、おじ様の目は真剣そのものだ。
今日のデザートは俺ですか?
真剣な表情のおじ様に気圧され、恐怖感からゆっくりなスクワットを続けていると、おじ様の手が少し動いた。
いよいよこの時が来てしまった。どうにかして逃げられないか。背後に回り込む技能がある以上逃走は不可能だろう。
そんなことを考えていると、俺の腰に添えられているおじ様の手がより強く動いた。
振り返るとおじ様は相変わらず真剣な表情である。
どれくらいの時間スクワットを続けていただろうか。
いい加減太ももが悲鳴を上げ始めたので俺は座り込んだ。
もう動けない。逃走することはできないだろう。【まな板の鯉】とはまさにこの状態の事を指すのであろう。
もうどうにでもなれと投げやりな気持ちになっていると、おじ様が俺の方を見ながらゆっくりとスクワットを始めた。
その際、自分の腰に手を当て、俺の方を見ながら腰の位置を色々調整していたので、先ほどまでのおじ様の手の位置は、俺の腰の位置調整、そして補助のために添えられていたのだと理解した。
どうやら俺の心は汚れきっていたようだ。
俺が勝手に誤解して、勝手に解決してからはおじ様の手本と補助を頼りにしながら、より濃密なトレーニングを行うことができた。
筋肉トレ仲間ができる喜びからか、おじ様も上機嫌だ。
俺が現れるまで女性二人とおじ様の三人暮らしだとすると、さぞ肩身の狭い思いをしてきたことだろう。
筋トレも満足にできなかったのかもしれない。
そんな中、筋トレに目覚めた俺が現れたのだから、俺への指導とおじ様自身のトレーニングに熱が入るのも仕方がない事だろう。
トレーニングを続けているとチャゲとモモゲが帰ってきた。
チャゲは筋トレに励んでいる俺とおじ様を見て、なにやってんだかといった呆れを含んだ顔をしている。
モモゲは少し驚いた顔をしている。
特に止められなかったので切りのいいところでトレーニングを切り上げ、外の様子を確認するとすでに夕方であった。
熱が入り過ぎて時間が経つのを忘れていたようだ。
俺自身、ここまで長時間筋トレをやったことがなかったし、できるとも思ってもいなかったので少し驚いた。
そんな有意義な気もするし、無意味な気もする変化のない生活に変化が訪れる。
◆
おじ様監修のもと日課となりつつある筋トレに励んでいると、玄関のドアが慌ただしく開いた。
何事かとおじ様と俺は顔を見合わせたのもつかの間。おじ様は慌てた様子で壁に飾ってある剣を手に取り、玄関へ向かった。
俺は突然の事態に呆然としていて、ただおじ様を見送ることしかできなかった。
居間に一人取り残された俺は、不安に押し潰されそうになっている。
今まで監視という形で誰かが必ずそばにいた。少なくとも関わった三人は進んで俺に危害を加えることもなかった。
おじ様が剣を持って外出したということは、武器が必要になるトラブルが生じたのだろう。
バールのようなものでもなく、釘バットでもなく剣である。
そこで命のやり取りが行われるのは必然である。
現実感が湧かず、思考も追い付かないが、外から今まで聞いたことがない慌ただしい音だけは聞こえてくる。
言葉がわかれば何かしらの情報は拾えるのだろうが、残念ながら数日ここで生活しても、単語一つ理解することはできなかった。
どの程度放心状態が続いたのだろうか。玄関が開く音で我に返った。
チャゲとモモゲが慌てた様子で帰ってきて、何かを探すように視線を移動させた後、壁で視線が止まる。
状況を理解したのか二人は即座に自分の部屋へ向かった。
最初に戻ってきたのはモモゲだ。
手には一メートルくらいのオシャレな棒を持っている。
少し遅れてチャゲも戻ってきた。
服装が普段と違う。皮の鎧で上半身を覆い、手にはいつしか見た弓が握られていた。
まさか、とは思うが俺もそこまで鈍くはない。これから戦闘があるのだろう。
盗賊の類ではないことを願いたい。
三人が無事帰還できることを祈るばかりである。
……モモゲさんや、なぜ俺の手を引っ張るのですかね?