第01話 覚めない夢
時刻は正午を少し過ぎた頃。
ゲーム用チェアに座りながら、凝り固まった上半身をほぐすために俺は軽く体を伸ばしつつ、一息つく。
それにしても今作は特に素晴らしい出来だった。
高校生活最後の春休みを迎えた俺は、三日間の徹夜の末、家庭用ゲーム機のシリーズ物RPGのメインストーリーを無事クリアした。
ソフト購入時の予定では、のんびり二週間ほどかけてクリアするつもりであった。
しかし、思っていた以上にこのゲームの世界観が魅力的で、睡眠時間を削ってでもゲームの世界に浸り続けたいと思ってしまった。
裏ボスに挑もうにもキーアイテムも足りないみたいだし……。
正直なところ眠い。それも物凄く。
いい加減「メシ・ゲーム・トイレ・ゲーム・風呂・ゲーム」のループ生活に「睡眠」を加えないと体調に問題が生じる可能性がある。と、いうか既に思考力が低下しているのが実感できている。
ときどき意識が飛びそうになるし、もうダメだな。一回寝よう。
俺は少しふらつく足でベッドに潜り込む。
着替え? そんなことより睡眠だ!
特に室温調整も必要ないくらい快適な室内。
程よい達成感と圧倒的な睡眠欲。
今寝たら間違いなく二四時間睡眠コースだなぁ。
そんなことを考えながら俺は眠りについた。
◆
「―――――――――――――」
モスキート音のような、気を抜くと聞き逃しそうになる、そんな音が聞こえる……。
朦朧とする意識の中、俺はうっすらとまぶたをあける。
そして同時に違和感を覚えた。
なぜか草原で寝ている。
背中から伝わってくる感触は使い慣れたシーツのものではなく、柔らかさの中に弾力性を感じる草のもの。体に掛けていた毛布の感触も無い。
視線を少し動かすと、周囲は草原のようだった。
そして天井の代わりに見えるのは、一本の木から生い茂る青々とした葉と、雲一つない青空。
時折身体に吹き付ける、ひんやりとした風が心地良い。
どうやら俺は相当疲れていたらしい。
ここまで気持ちが良い自然に囲まれた夢を見た記憶はこれまで一度も無かったと思う。疲れ知らずな人は普段からこんな夢を見てるのだろうか。
まぁ、いいや……。
再び意識を手放しそうになったその時。
「―――――――」
またこの音だ。甲高い、耳鳴りのような音。
ゆっくりと上半身を起こし、周囲を見渡す。
ここは森の中にある草原のようだ。周りは木に囲まれている。
草原の中心と思われるこの場所には大木と表現しても過言ではない、立派な木が一本生えている。
キョロキョロと周囲を見渡していると、俺の背後の木の裏に、長い髪の少女が体の半分を木の幹に隠している少女が目に入った。
どこか不安げで、それでいて困惑気味な表情でこちらの様子をうかがっている。
どこに焦点を合わせるでもなく少女を観察してみる。
少女の歳は一五、六歳といったところか。
キレイ系というよりカワイイ系の顔立ち。腰までありそうなサラサラの薄桃色の髪が良く似合う。
「―――――――」
少女が恐る恐るといった感じで口を開くたび、モスキート音のようなものが聞こえる。
「んー?」
思わず俺の口から声が漏れる。
何だろう?
明晰夢ってやつか? まぁいいや。
「あー、ちょっと聞きたいんだけど、ここはどこ?」
不審者と対峙したような表情の少女をこれ以上怯えさせるわけにはいかないので、「俺、困ってます」成分多めな表情で問いかけてみた。
「――――――――――」
少女は目を大きく見開いた。
恐らく、いや、確実にこちらを警戒している。
目を合わせて申し訳なさそうに問いかけたのに、俺から距離をとるように少し後ずさる少女。
そしてなんとなく理解する。
聞こえてくるこの音。モスキート音のような音は少女が口を開くたび聞こえてくる。
そういう設定なのかな?
夢の中でくらい女の子と仲良くお話できたっていいと思うんだけど……。
何を言ってるのかわからない、ってのはないんじゃないか?
「こんなところでなにしてるの?」とかあってもいいんと思う。
当たり障りのない日常会話すらさせてもらえないとか何かヘコむ。
これはきっと春休みに入ってから女の子と会話した記憶がないから、それが反映されて……。
あれ、何か悲しくなってきた……。
そんなことを考えながら、立ち上がり、薄桃色の髪の少女に近づこうと足を一歩踏み出した瞬間。
「―――――――――――――――――――――――――!―――――――――!」
これまでで一番の高音が耳の奥深くまで響いてきた。
おい、ちょっと待て。これは悲鳴なのか? なぁ、悲鳴なのか?
俺ってそんなに危険人物に見えるのか?
ていうか、え? 俺なにかした?
俺が右足を一歩前に出し、さぁ進もうという所で突然のアクシデント。
少女悲鳴を上げる。
客観的にみたら間抜けな体勢で俺はフリーズしてしまった。
五秒程度だろうか? このまま少女に近づくべきか、それとも再び腰を下ろし少女が落ち着くまで待機するべきか。
そんなことを考え、動けずにいると、少女は俺に背を向け全力で駆けていった。
なんて微妙な夢なんだよ……。
楽しくお話もできず、近づこうとした瞬間悲鳴を上げて全力逃走。
何だろう? 俺には彼女はできませんって暗示してるのか?
まぁいいや。変な夢だった。
はい、こんな夢はもう覚めていいよ。
どうせ起きたら忘れてるんだろうし気にしない気にしない。
それよりあのゲームの裏ボスに挑むためのキーアイテムを取り逃していることが気になった。
ストーリーを一回クリアするのがフラグで、どこかのNPCにおつかいを頼まれるのが定番か。
お使いが終わったら報酬でキーアイテム入手ってのがお約束の流れになる。
早く完全攻略したいけど、裏ボスまで倒したらゲームの世界が終ってしまいそうで、少し落ち込む。
あの世界観にずっと浸っていたいって感覚、何とも言えないワクワク感みたいなのがあるんだよね。
…。
……。
………。
暑すぎず、心地良いぬくもりを感じる気温。そして時折吹き抜ける涼しい風。春だなぁ。
で、どうやったらこの夢は終わるのか。
こんなに意識がしっかりある夢は初めてだから、終わらせ方がわからない。
それより、夢って自分の意志で終わらせられるの?
目が覚めてから「あー、夢かー」ってなるんじゃないの?
ん? あれ? 俺さっき起きなかった? ん? え? 夢の中で起きるとか、え?
え? 何? ちょっと待って!
これホラーなの?
可愛い女の子とお話しできる幸せな夢じゃなくて夢の世界から出られませんってタイプの恐怖体験なの??
は? 覚めろ! さぁ目覚めろ! 朝ですよー!!
……。
意味がわからない。訳もわからない。何もわからない。
どうしてこうなった。
ちょっと落ち着いて状況を整理しよう。
ゲームがひと段落し、寝ることに。
そして目が覚める。
目が覚めると見知らぬ森の中。人の手が入っているのか、この近辺だけ切り開かれた草原で、中心部には一本の木。
少し前まではこの木の裏に少女がいた気がするが、気のせいだろう。
脱出の手掛かりはゼロか。
……いや、認めよう。少女は存在していた。そして俺を見て逃げ出した。
鍵はあの少女なのだろう。
捕まえる、もしくは何かしらの問題を解決することでこの夢から脱出できるってところかな?
そう考えたら悲鳴を聞いてフリーズしてる場合じゃなかったか……。
気にしないでもっと近づけばよかった。
むしろどうせならあのゲームの世界の夢を見たかったな。主人公と立場が入れ替わったらもっと上手く立ち回れたのに。
そんなどうでもいいことをボーっとしながら頭の中で考えていたその時。
「――――――――」
この草原に続く細い道の向こうから、見知らぬ誰かが先頭に立ち、先ほど逃げ出した少女と共に走ってこちらに向かってきた。
こちらに近づいてくるにつれ、先頭を走る人物の全体像が少しずつ見えてきた。
そして見えてくると同時に、俺の背中に嫌な汗が流れる。
先頭を走る人物は弓に矢をつがえながら走っているのだ。いつでも発射できる態勢である。
――お巡りさん、私は不審者ではありません。