3-2.旅立ちに向けて
「ええもちろん。受けて立ちましょう、私に勝負を挑んだこと後悔させてあげましょう」
そう言うとトーリアスは勝負の舞台となる大テーブルの前まで歩き、放浪者の隣に並ぶ。見渡すとちょうど挑戦者が集まり終わったところの様だった。内訳は市民が百五十人、騎士や貴族が二十人といったところか。周りには数え切れないほど観客たちが大会が始まるのを今か今かと待っていた。
「では、これより大会を開始します!」
進行役の男が大声で叫ぶ。給仕係が挑戦者たちのグラスに酒を注いでいく。
「規則はいつも通り! 太鼓が十回鳴り終わるまでに飲み干さなければ失格です! では一杯目!」
ドォン! と太鼓の重低音が会場内に鳴り響く。歓声が響き渡り会場内が一気に白熱する。トーリアスは一気にグラスをあおった。西の地域独特の酒の香りが鼻と喉を通り抜けていく。やがて太鼓が十回鳴り終わると給仕係がグラスにおかわりを注いでいく。
「二杯目!」
歓声の中お祭りは進んでいく。
「三杯目!」
そこにあるのは本当に賑やかで、穏やか時間で、見たことはないけれど、ああ……この世界が魔王に汚される前、人々と神々が一緒に暮らしていた時代きっと自分の先祖たちはこんな笑顔をしていたんだと思えた。
――そして時間は進み――
「六十七杯目!」
なぜこんなことになってしまったのか。トーリアスは靄のかかった思考で懸命に考えた。
軽い気持ちで受けた勝負。自分も酒には強い自信があった。他の者はともかく放浪者にだけは負けるものかと強がっていた。しかし放浪者も顔を真っ赤にしながらもグラスを空にし続けている。
「放浪者殿……」
六十七杯目の酒を飲み干す。そしてクラクラする頭で何とか声を絞り出す。
「こ、降参です……」
――さらに時間は進み――
「いやーいい勝負でしたな!」
放浪者とトーリアス、フェルナイアの三人は会場から少し離れた場所でジョッキになみなみと注がれた冷たい檸檬水を飲みながら休息していた。
「ええ、いい勝負でした」
放浪者もホッと一息つきながら言った。
ちなみに二人ともあれだけ格好つけていたのに同率四十二位という良いんだか悪いんだか判断に困ってしまう結果だった。脱落していない挑戦者はもう二十人ほどしか残っていないうえに騎士は二人しか残っていない。人々の熱気はおさまるどころかどんどん増していきいまや最高潮に達している。ここまで市民と貴族が親密そうにしているのは見たことがなかった。
それを察したかのようにフェルナイアが言った。
「実はこの大会、ここまで盛り上がるのは理由があるんですよ」
「と、いうと?」
「まあ、別に特別な仕掛けがあるわけでもなく簡単なことです。両者に不利益になることがないんです。
貴族たちはせっかくの身分の違う者同士の交流の場、出来るだけ穏便にしたい。その勝負事が酒の飲み比べなら無理に勝つ必要もないでしょう? 武芸や知恵の大会なら負けるわけにもいかない、面子がありますからな。が、これなら“市民に花を持たせてやる”といった負け方ができる。
一方市民も滅多にない貴族との交流の場。彼らに何かを献上したりする儀式の場ならともかく対等の条件で何の後腐れもなく勝負できる、しかも酒が飲み放題となれば自信のある者は参加しない理由はない。それに勝てばなんであれ“貴族に勝った”と自慢話にできる」
フェルナイアの説明にトーリアスは感心した。確かに貴族や騎士には支配階級として保たなければならない面子というものがある。しかしこれはただの飲み比べだ。角も立たない。
「でも、フェルナイア様。あそこで腕相撲してた騎士と市民ですが決着がつかなかったのか普通の相撲になってますよ?」
「なに?! 全く何をしておるんだ! 力比べは特例で腕相撲だけ許可しているのにケガ人が出たらどうする! すまない二人とも。私は少し行ってくる!」
走り去っていくフェルナイアを見ながらトーリアスは言った。
「あなたは素晴らしい方ですな」
「そう持ち上げてくださるな、そもそもこの“身分不問飲み比べ大会”も私が意図してやったわけではなくて、たまたまそうなっただけですから」
「ならばなおのこと素晴らしい」
トーリアスは力強く言い切った。ジョッキを置くと立ち上がり放浪者の前に立った。気持ちの良い涼やかな夜風が二人の間を吹き抜ける。
「意図せず善を成すこと程困難なことはこの世にそうない。あの騎士達の、民達の瞳を見ればわかる。それができるのは徳の高い証左。放浪者殿、あなたに改めて敬意を払いたい。そしてできれば未熟者ではあるものの私の友情も受け取っていただきたい。あなたと対等であるという意味も込めて私に敬称は不要です」
放浪者も立ち上がり言った。
「あなたのその利他の精神こそなにものにも代え難い気高いもの。こちらこそあなたに尊敬と友情を送りましょう。それからもちろん私にも敬称は不要です。ああいや、不要だ友よ」
放浪者は「まあもともと私に敬称をつける必要はないのだが」と付け加えた。二人はしっかりと握手をすると微笑んで広場の方を見た。そこにはもうすぐ日付が変わろうとしているにも関わらず、いまだに活気が溢れる人々の喧騒があった。それはまるでこれから待ち受ける闇に立ち向かうために都市全体が自らを鼓舞しているようだった。
トーリアスは後日、この日のことをいつまでも覚えていた。本当にいい日だと思ったのだ、この後のことがなければ。
「放浪者様……」
突如かけられたドスの効いた声に二人はビクリとしてしまう、いきなり戦場に放り出されたのかと思うほどの緊張感だった。目をやるとそこにいたのは――。
「フーリナイア様……」
鶯色のドレスを身にまとったフーリナイアだった。ポツリと声を漏らしたトーリアスには目もくれず彼女は放浪者に詰め寄る。
「どうして私のところに来てくださらなかったのですか! ずっと待っていたのに!」
「え? 何のこと……」
脈絡のない糾弾に思わず素が出てしまう放浪者にフーリナイアは構わず捲し立てる。
「約束したじゃないですか! 今晩は私と一緒に過ごしていただけると! 楽しみにして待っていたのに! こんなところで男二人で密会なんて……私よりトーリアスを選ぶのですか!」
「呼び捨て……」
「そんな約束してないしその誤解は彼に失礼……ってちょっとフーリナイア様あなたその瓶!」
そこでようやく放浪者もトーリアスも気が付いた。夜だからわかりにくいが彼女は手に透明の液体、つまり酒が入った大瓶を持っており、その陶磁器のように白い肌はうっすらと赤みがかかっていた。トロンと瞼がおりて半目になっている。足元もふらついているわけではないがどこかおぼつかない。
そう、彼女は思いっきり酔っぱらっていたのだ。
「いったいどのくらい飲んだんですか?! あなたそんなにお酒に強くないでしょ!」
「放浪者さまぁ……」
なおも呷ろうとするフーリナイアから慌てて酒瓶を取り上げるがそんなことどうでもいいのか彼女は放浪者にしなだれかかる。避けるわけにもいかず彼は受け止める。檸檬水でいくらか酔いが醒めていた放浪者と違い彼女の体は火照っていた。
「放浪者様……」
「はい?」
「好きです」
「……」
思わず見つめ続けたくなるようなその美しい珊瑚色の瞳を潤ませながらフーリナイアは言った。
「俺外した方がいい?」
トーリアスの言葉にフーリナイアは「今すぐ」と、放浪者は「頼むからいてくれ」と同時に答えた。
「放浪者!」
「はいっ!」
「愛しています!」
「……」
「『私も愛している』とは言ってくださらないのですが? 私は酔っています。ここで言われたことを言質にするつもりはありません。明日には夢の中での幸せな出来事と割り切ることにしますわ」
「申し訳ないが……」
「ふふ、かまいません。そう言う誠実なとこに私は惹かれたのですから。でも……」
フーリナイアはソッと放浪者の頬を撫でた。汗ばんだ額にくっついている絹のように滑らか薄墨色の長髪が色っぽい。
「放浪者様……、絶対に私は諦めません。どんな試練があろうとも必ずあなたに相応しい女になって見せます!」
それだけ言うとカクンと頭を放浪者に預け、小さな寝息を立て始めた。
放浪者とトーリアスは顔を見合わせると小さく苦笑した。
放浪者はフーリナイアを抱き上げると二人は屋敷の方に向かって歩き出す。その道中で彼はため息をついた。
「どうしたんだ?」
「自己嫌悪だよ。フーリナイア様はとても良い方だ。春の朝陽のように朗らかな女性だ。でも俺はこの人の思いには応えられない」
申し訳なさそうにフーリナイアの寝顔を見てい呟く放浪者にトーリアスは言った。
「お前とは友人になった身だし正直に言うけれどこのことに関しては俺はフーリナイア様の味方だからな」
「そうなのか?」
「フーリナイア様とは特段親しいわけでもないがアルモライヘル王国西方の護りの要であるフェルナイア家のご令嬢。同じくアルモライヘル王家に仕える俺としては彼女に味方するのが当然だろう。
そもそも誰も君の奥方を見たことがないじゃないか。戦ってもいないのに負けを突き付けられるなんて女でも騎士でも一般市民でも屈辱だろう。本人もそうだが、なんだかんだで彼女の両親も自分の娘を誇りに思っているのだから」
「はぁ……このことに関してはこの世界に俺の味方はいないな……」
放浪者はガックリと項垂れるとトボトボとフェルナイアの屋敷に歩いて行った。
ちなみに屋敷で彼らを出迎えた侍女達が後日フーリナイアに(わざとトーリアスもいたことを隠して)「放浪者様がフーリナイア様を抱きかかえて帰ってきた」と(わざと)口を滑らせてしまい、酔って記憶が曖昧になっていた彼女にもう一度とせがまれることになるのだった。
自分で書いてて自信がなくなってきたので確認を兼ねてここに明記します。
フーリナイアは“オチ要員”ではなく“ヒロイン”です。
ホンマなんかなぁ……?




