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全てを修めた者  作者: 春夏秋冬
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1.名無しとの邂逅

 ラーナスール。「不屈の国」を意味するアルモライヘルの西端に位置する地方都市。地方都市とは言っても300万を超える人口を擁する主都市ロイアスールと10万人規模の城塞都市をいくつも有する。基本的には人間の都市で他の種族は一割程度しかいない。

 北方や東方の国や都市が魔王の脅威によって滅ぼされたり、遷都する中でも一度も国境を侵されたことのないこの都市は、今なお魔王や魔族と臨戦状態にありながらそんなことを全く感じさせない活気があり栄えていた。

 時は二月六日、ちょうど正午か少し過ぎたかというくらいの時間。ロイアスールの中央機関が集まる区域と市民の住む区域の境目にある広場はいつもと違う雰囲気に包まれていた。そこでは明らかにロイアスールの騎士団ではない者たちが三十人ほど、騎馬に乗りながらとある人物と対峙していたからだ。

 周りには多くの野次馬が集まっていた。緊迫した面持ちの騎士団とは違い、野次馬たちは持ち前の大胆さと陽気さで事の成り行きを眺めている。


 「馬上から失礼! そなたが件の放浪者殿か!」


 鉄を打ったような良く通る声でトーリアス・レグランデは言った。使い込まれた鎖帷子の上からでもわかる鍛えられた豹のようにしなやかな体躯。そしてその赤地のマントには金の糸でフロックスが縫われていた。それは彼がアルモライヘルの国王であるエンドリア王直属の騎士団長であることを示していた。もし(やま)しいところがある者が射抜かれたのなら何も言い訳できず硬直してしまう、そう思わせるほど意志の強さを秘めた瞳だった。

 

 「件の放浪者かと言われましても返答に困りますな。しかしくたびれた装いで単身野や山に出かけては近隣の町や村の厄介になっている変人をお探しなら、貴殿はたった今目的を果たされたことになります」


 放浪者と呼ばれた男はトーリアスの鋭い瞳に臆した様子もなく穏やかな口調で答えた。彼の風貌はお世辞にも良いとは言えない。靴は元々がどんな色だったか想像もつかないほど土まみれで擦り減っていたし、着ているものも一目で上等だとわかる外套以外はよほど使い古されたのか縫い直したり継ぎ接ぎした痕が至る所にあった。

 知らないものが彼を見れば放浪者どころか浮浪者と思ってしまうだろう。しかし、よく見れば服から覗いている手は泥で汚れているものの、まるで岩のようにがっしりしているし、脚はすらりと長いが弱々しさは微塵も感じられない。なにより顔にいたっては火傷痕や擦り傷がついていながら粗暴さのようなものは全く感じられず、逆にその双眸からは力と叡智が感じられた。


 「我が名はトーリアス・レグランデ。エンドリア王の第三騎士団の長であり、王より命を受けてあなたに会いに参った。名前を名乗られよ放浪者殿」


 三年ほど前からとある噂が王都に広がっていた。「西の国境付近を昼夜構わず一人で歩き回っている変人がいる」「魔物が出る山や森を軽捷(けいしょう)な身のこなしで踏破し、薬学や呪学に優れていて多くの人を助ける知恵者がいる」「何故か名前を名乗らない旅人がいる」といったものだ。最初こそ不確かな情報と思われていたが時間が経つにつれ噂ではなく本当にその人物がいるということがわかりエンドリア王が興味を示した。

 トーリアスの部隊は特に馬の扱いが巧いものが多かったため、いち早くその真偽を確かめるべく派遣されたのだ。20日かけてラーナスールに到着し、それから5日間部下たちと手分けしてあちこちの村や町で聞き込みをし、今日ようやくこのロイアスールで目当ての人物と会うことができたというわけである。


 「私に名前はありません。一応このあたりではそのまま放浪者(アリガレスト)と呼ばれています。あなたがお望みなら私に名前を付けてもらってもいいですよ。なんなら“お前”とか“貴様”でもかまいません」

 「いや、それは……ではそちらはいったん置いておくとしてだ、もう一つお聞きしたい! そなたが縄を打っている淑女には見覚えがある。ここの城主の長女であるフーリナイア殿ではないか!」


 彼は馬から降り放浪者(アリガレスト)に近寄ると言った。もし間違いならば頭を下げる覚悟もしていた。

 だが絹のように滑らか薄墨色の長髪、宝石とも見紛うほど美しい珊瑚色の瞳を見る限り間違いない、ラーナスールを治めているフェルナイア・スールの一人娘、フーリナイア・スールだ。彼女は体が弱く滅多なことでは外に出ることはないはずだ。なのにあろうことかその両腕には縄が掛けられている上に貴族が着るようなドレスではなくまるで旅人の様な装いをしている。


 「スールの家は代々魔王との戦いで幾度となく武功を上げた。西方の護りの要とも言っても過言ではない名家! そのご息女に乱暴を働いたとあれば私はしかるべき対応をとらねばならん!」


 トーリアスは語気を強めて言った。

 剣に手をかけてはいないものの、その声から本気であることは伝わっただろう。放浪者(アリガレスト)からは敵意こそ感じられなかったが背中には杖と弓矢を背負い腰に剣を下げていた。つまり武装していたのだ。油断するわけにはいかなかった。

 さらにトーリアスは手話で後ろに控えていた騎士たちもいつでも行動を起こせるように命じる。今対峙している相手がいったいどれほどの魔法と剣の腕を持っているかはわからないためだ。

 まさに一触即発。

 最悪の事態も想定し、市民を下がらせようしたその瞬間――。


「この馬鹿娘が! 何をしておるのだ!」


 罵声とともに何者かの拳骨がフーリナイアに振り下ろされた。彼女は頭を抱えて蹲る。トーリアスは喫驚(きっきょう)しながらその罵倒の声の主を見た。抜身の刃の様な鋭い瞳、他でもないフーリナイアの父フェルナイアだった。彼はまるでトーリアスなど後回しだといった風に彼女に言った。


 「放浪者(アリガレスト)殿の邪魔をしてはならんと何度言ったらわかるんだ!」


 フーリナイアは涙目で頭を擦りながらも反論した。


 「誤解ですお父様、邪魔などしていません! 今日こそ狩りでも火おこしで何でもいいから放浪者(アリガレスト)様に認められようと思っただけです!」


 その声量の大きさにトーリアスはまたもや驚いてフーリナイアを見た。彼女と交流が深かったわけではないがそれでも何度か話したことはある。その時の彼女の声とは全く違ったからだ。

 とはいえ悪い意味ではない。以前とは比べるまでもないほど声にハリがあり、よく見れば体にも活力が漲っているという感じだった。


 「それが余計な事だといっておるのだ! ここ五年間放浪者(アリガレスト)殿がどれだけ我々に尽くしてくれているのかわかっているのか! 恩を仇で返すようなことがあっては父祖達に顔向けができん!」

 「女の恋路に余計なことなど一つもありません。私の一世一代の恋は誰にも邪魔させませんわ! そもそもスール家の女が想い人を目の前にして手をこまねいているだけなんてそれこそ父祖達に顔向けできません!」

 

 興奮しているのかフーリナイアは女優のようにクルクルと回り、そして自分が今縛られていることを忘れていたのか、縄が絡まり見事に転んだ。一応女性用の旅装束に身を包んではいるものの軽装かつ彼女の体格に合っていないのか裾が大きく捲り上げられ、その美しい生足が殆ど顕わになる。道行く男の視線を集め、女はその男たちを耳をつまんだり、視界を塞いだりしていた。彼女は顔を林檎のように真っ赤にして叫んだ。


 「うう……、どうして放浪者(アリガレスト)様の妻である私がこんな辱めを受けなくてはならないの!」

 「いや、あなた私の妻じゃないでしょ。勝手なこと言っちゃいけません。騎士さんが困惑してるじゃないか」


 その言葉にトーリアスはもう何度目かわからない驚きをもってフーリナイアと放浪者(アリガレスト)を交互に見た。フェルナイアのご息女が結婚したなど初耳だったからだ。

 しかしどうも様子がおかしい。放浪者(アリガレスト)はフーリナイアの言ったことを呆れたように諫めているが、フーリナイアの方も誰がどう見ても本気の目をしていた。どちらも嘘をついているようには見えなかった。


 「それに、いま転んだそもそもの原因は勝手に私の後を追って森に入ってくるからだよ。あなたのお父さんからは娘がそういうことをしたら多少荒っぽくしてもいいので連れ戻すように言われているんですから」

 「お義父さんなんてそんな! ああそんな! まだ祝言も上げていませんのに気が早すぎますわ! でしたらまずは誓いの口づけを!」

 「わー! ちょっと近づかないで、そんな無理な態勢したらまた転びますよ。まったくあなたのその楽天的かつ破天荒な性格は私でも治せませんな」


 フーリナイアは顔を放浪者(アリガレスト)に近づけるが彼はそれを慌てて拒む。離されたフーリナイアは残念そうに口をへの字に曲げたがすぐに笑顔になった。

 

 「天真爛漫で謙虚なんて、そんなにお褒めにならなくても。私照れてしまいますわ」

 「褒めてないんだけどなぁ……耳大丈夫なのか……?」


 先ほどの羞恥とはまた別の意味で顔を赤くしたフーリナイアに放浪者(アリガレスト)は疲労困憊といった顔でため息をついた。その姿はそれこそ美しい外套や武器を持っていなければただのくたびれた浮浪者にしか見えない。

 いったい何が起きているのかわからないといった雰囲気のトーリアスにようやくフェルナイアは話しかけた。


 「トーリアス殿、どうだここはわしの館で話さんか? ここで騎士が剣幕な様子でおれば市民も気が気でないだろう」


 トーリアスは「いやあなたも剣幕だったでしょ、それになんだか市民もあんまり驚いていないし」という言葉をなんとか飲み込みつつ頷いた。そして自分の存在が忘れられていないということに安堵を覚えた。

 後ろで控えていた騎士達も馬から降り、訝しげな表情を浮かべ首を傾げながらこちらにやって来る。


 「隊長、なにが起こってるんです? 今回の任務、我々は最悪の場合は剣を抜くこともあると思っていたのですがそれは避けられそうでしょうか?」

 「私にもわからん。とにかく私はこれからフェルナイア様のお屋敷に行って話を聞いてくる。まあ今見た感じだと、悪いことにはならんだろう……多分」


 とりあえず今起こったことを簡潔に説明すると、宿に戻るように言いつけ自分の馬も預ける。

 やいのやいの言い合いをしながら屋敷に向かっていくスール親子とその後ろをついて行く放浪者(アリガレスト)に取り残されないようにトーリアスも足早に駆け出した。

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