『新東京』に翻弄される。③
それは一瞬の出来事だった。
鬼丸は懐から一本の日本刀を引き抜き、一瞬にして20人全員の首を跳ねた。
よく磨かれた日本刀は切れ味が鋭く、切られた大男たちは一瞬自分の首が跳ねられたことに気づかないほどだった。
ボトボトッと頭が落ちてくる。
静まりかえった廃工場で、鬼丸のかすかな足音だけが響く。
廃工場一帯は外でも古い油の匂いが充満していたが、入り口までくると匂いは薄まり、東京湾の潮風を感じる。
鬼丸は入り口にパトカーを見つけた。よくある、平凡なパトカーだ。人が乗っている。だが、いつもの警察とは違い叫びもせず発砲もせず、その男は暗闇の中ずっとこっちを見ている。驚愕と、不安と少しの威圧で固まった顔を鬼丸も面越しにジッと見た。
鬼丸はゆっくりとパトカーに近づく。警察も拳銃を持っているので、いつ発砲されてもおかしくない。それでも鬼丸は進む。警察ーー望月も全く動く気配がない。
死を悟ったのか、鬼丸はそうも考えたが、彼の目を見る限りそのようなことは無さそうだ。恐怖の中に、目の奥には別の感情が見える。
運転席の横まで近づいてきた鬼丸が窓をノックをした。望月は緊張で手汗がびっちゃりだったが、焦りを悟られないよう窓を開けた。側から見れば、蛇に睨まれたカエルだ。史上最悪とも呼ばれる、一級殺人鬼とこちらはただの平警察だ。
出来ることならばその面を剥いで顔を見てやりたい。さぞ、悪人面なのだろう。
心の中で悪態をつくのが望月の精一杯だった。鬼丸の帯びている空気は冷たく澄んでいて、本当に自分と同じ血液の通った人間なのかと疑いたくなる。左手に隠し持っている拳銃が滑り落ちそうだ。
ドクドクと脈が速くなっている。額にまで脂汗が浮かぶ。怖い、実際目の前に立たれるととても怖い。しかし、望月自身なにか別の感情を感じていた。
鬼丸の圧に耐えられなくなり、望月が目を逸らした刹那。
その一瞬で事態は急変する。
パッと望月の目の前が暗転し、また視界が開けた。
ねこだましだ。古風な技だが、切羽詰まった相手に使うには効果はてきめんだ。ひるんだ、とわかったときには、もう拳銃は鬼丸の手にあった。
「しまっーーー」
た、と言い終わる前にパンッと鋭い発砲音が廃工場に響いた。
撃たれた、と望月は頭をハンドルにつけ、受け身の体制を取った。急所を狙われないことが今できる最善の策と思ったのだ。しかし、痛みは感じない。血が出ている様子もない。興奮状態からだんだん覚めきたが、痛みは一向に感じない。
「え…?」
望月が恐る恐る頭を上げると、そこに鬼丸の姿はなかった。鬼丸が立っていた場所には拳銃が置いてあった。そして、暗闇の中で月明かりに反射するほんの少しの血だまり。鮮やかでほんの少し前のものだとわかる。
この血は望月の血ではない。
ならば、鬼丸はこの拳銃で自分を撃ったのか。
なぜ?なんのために。
♪〜♪〜
携帯が鳴る。上司からだった。生死の確認だろう。慌てて電話に出る。
『望月!無事でよかった!どっちが勝ったんだ!鬼丸はどうなった!』
望月の生存を確認し興奮した上司は矢継ぎ早に質問してくる。
「…ました」
『え、何だ!?』
「鬼丸…撃ったんです…それで、逃げたけど…」
テンパった望月は断片的に伝え、しかも間違えて通話ボタンを切った。予想外の展開に頭が回らないのだ。ただ、前を見てボーッとしていた。何のために自分を撃った?何故俺を殺さなかった?疑問が頭を駆け巡る。分からない。ただ、さっきまでの恐怖感が迫り上がってきて、何も考えられなかった。
一方その頃、電話を切られた上司は、望月の断片的な情報をきいただけだが、望月が一級殺人鬼を撃ち抜いた!(逃げられたことは深く考えない)と意訳し、「俺の部下がやったぞ!」と署内の女性社員に自慢をしていたのだった。