ロリコン男、現実と夢のはざまで
例えば、ふとしたきっかけで目覚めることもあるだろう、けれどそれは積み重ねられたものであったはず、その選択肢しかなかったから連続して重なっていった結果、今がある。
すべての出来事は経験という形で片付けられるが、頭に残ってしまった物事は残響として永遠にエコーし続ける。 反芻しても仕方のない夢想に、人はついていけるだろうか?
ナンバラヤ・シゲキはAIの初歩的な学習部分でつまずきながらも、とりあえず対話できるところまでこぎつけた。
「こんにちは」
流れるデータの集積ののちに機械より発せられる音声は、
「……ん、にちは!」
幼い、
成果の一つではあるが、並行して稼働してる3Ⅾプリンタが完成させるまでに時間がある、安堵とともしばしまどろみの中に。
そもそも、ナンバラヤ・シゲキの人生においてロリコン部分はさほど大きくなかったはずである、何故ならその趣味を謳歌したことはさほどなく、気づいたらネットを介して情報に接することはあったものの、根幹にあるのは性的好奇心であり、大人の女性に対していだくものと大差ないはずだと、自分で思っていたし、そうだと考えていた。
だが年を重ねるごとに少しずつ考え方が変わっていった、どのような性的なサービスに対しても徐々にではあるが満足できなくなっていったのである。 それがどれくらい積み重なったものかは分からないが、成人男性が性に関心があり、ネットで検索する形をとって、
なんどもなんども、アクセスを繰り返した挙句、飽食になったということなのか、だが、彼の関心や興味は尽きることはなかった、仕事を終えて帰宅して、性的な興味を満たすためにネットの海から情報をサルベージすることを継続していくうちに、自分の過去にまでさかのぼっていくことになる。
そう、始まりやきっかけは紙一枚くらいのものであった、青年誌に描かれた漫画の単行本にたまたま少女が襲われそうになって逃げだすという具合の流れが数ページ書かれてるだけ、そういう短いものであった、その漫画がいくら巻数を増したところで、別段ロリコン趣味の漫画というわけでもなく、エログロはあっても、結局それ以上の発展性が無くても、確実に記憶してしまったのである。
そこからは悶々としたものを長く抱えることとなり延々と、記憶の反芻を繰り返しては、自らを慰めることで時間を費やしていたわけであるが、大人の女性が不足しているもの、圧倒的な若さ、もちもちとした肌、すべすべの肌、まだ成長しきっていない輪郭、そのすべてと一致する図像を延々とサーチし続けていること、そのことに気づいたのは最近である。
たまたまネットでみつけたエロイラスト投稿サイトに投稿されていたイラスト、チェックし、思わず画像を保存したどれもが、まだ十分に大人の女性として出来上がっていない、少女を中心としたものであること、それと合致する動画を求めていること、何もかもがうまくはいかない、不法行為に満ちたディープウェブの中で海賊版やコピー品に満ち溢れ、どのような性的好奇心も、興味もすべて一緒くたにサイトのアクセス数を稼ぐための道具に使われているにしても、満たされない思いだけは確実に拡大していった。
ロリ、処女、破瓜、ニンフェット、なんでもいいから、自分の頭の中を埋め尽くした妄想に答えを与えるものを、ネットの空間にキーワードを求めていたのかもしれない、だが満たされなかった。
結局、検索して得れる情報、知りえる情報は限られている、発信元がいくら努力してもいきつけない限界が存在する。
気づけば体のあちこちがガタがきてるようになって、だいぶ、コンピューターを中心とした暮らしに傾きすぎたのかもしれない、仕事でプログラムやロボットの関節部分に打ち込んで、帰宅してからはひたすら自分の欲求を満たすためにデータをサルベージするボットを開発して、それで情報を共有し、よりほかの人間から情報を手に入れられるように努力したが、下手をすれば犯罪になるというところで、犯罪にならないようにボットの画像の自動検出の機能と、通報機能まで据え付けて、逆に治安維持に一役買おうなどとありもしないでまかせの義侠心などを振るってみたりするのも、まだ体が元気だったからできたことである。
自分には決定的に癒しが必要だ、プールに漬かりながら、浮いて、ゆったりと背泳ぎをし、肩のこわばりをとる、市民のためのプールに入ることは市民の義務のようなものだと思うところがあるが、運動まで義務付けられているのは確かで、会社が逐一、運動量を報告するように、食事量を制限するように、行動のなにもかもを利益と義務に紐づけて社畜として人間を管理する状況であるのは正直心苦しく、こうして25mを泳ぎ、何往復するのも社会貢献のために体をつくるためだと、考えると何もかも馬鹿らしくなってくる、はは、競走馬もプールに入るのだっていうが、人間は自分の本能から動くというよりも、何もかもを義務としてやってるのか、
義務としてジムに通い、筋肉を鍛え、健康寿命を延ばして、ふと物思いにふけっていたから、
ゴツンと、背泳ぎのままプールの壁に頭を打ち付けてしまった。
ひどくめまいがする。
こんな失敗は正直、小学生以来か? いや高校の時もひどく打って首を痛めたことがあったか?
ひとまずプールは上がろう、そう、体がプールの塩素に浸されてる感覚もするので、併設されてる風呂に入らないといけないな、そうだ。
コインロッカーからタオルと下着を取り出すと、銭湯のように大きな風呂の脱衣所に入った。
(……?)
それを見た、自分の腰あたりまでしか背丈のない、白い肌のそれを見入った。
もしそれを正確に記憶し、画像として動画としてフォルダわけして保存しておけたならと考えるが、それをやった時点で犯罪であるのは確かだが、
そもそも、成人男性が多数裸身でいるこの環境に幼女を連れてきてる状態そのものがおかしいのであるが、市民のために開かれたプールはよく考えても老若男女問わず使ってる場である、そうである。 とりあえずたまたま見たということで許してもらおう。
その晩、自分は見た光景を忘れられず、結果として現在に至るまで反芻している、理想的とはいえないかもしれない、今まで自分が考えていたものと比較しても性倒錯かもしれない、けれど確実に理想に近い肌の質感がそこには存在していた。
そう、問題は肌の質感とあどけなさにある、その日からだ、頭の中にインプットされた正確な幼女の形を出力する方法を模索し始めたのは。
一にも二にも継続しなければならない、今、深層学習で自動的に様々な言語を学習させてはいるが、それに必要なものは根幹から言っても、幼女との対話であった。
「おはよう」
「……は……よ?」
声だけは確実に子供のそれである、そこまで作るのに時間がかかったのは確かだ、
だが、足りない、圧倒的に対話するレベルに到達するまで、きちんとふるまえるまでになってない、もっと教育する必要がある、いや自然に学習する環境が必要なのだ。
「データーがもっと必要になるな、入力する存在がもっと必要になる、
よりサンプルに接触できる環境に彼女を置く必要がある、
そう、私が教育したとしても自然に得た人格でなければ、
幼女と呼ぶことはできないだろう」
3Dプリンタは出力を終えた、そこには一体の赤ちゃん人形があった。
「AI学習をする赤ちゃん人形、幼い女児が自分の友とする存在を、
大量生産することで自然と女の子の生活をトレースできるのなら、
彼女を、いや娘をより活動させてやることができるだろう」
胴を抱えて、一体の人形を抱き上げると、私は高く掲げて、現実に打ち勝とうと心に決めた。
「……?」
莫大な情報が流れ込んでくる、時系列、時代背景、圧倒的で一方的な詮索、思考盗聴、個人を特定し小児性愛者を弾圧するための横断幕、無理やり犯罪者に仕立てられる個人、自分、そう、自分が時代を書き換える可能性がある存在であるから、自然と時代が己の欲求を押しつぶそうと寄せてくる波がある。
幼女が人間狩りをする、鎌を持った大量の幼女が人形に着せるようなフリルのついたお嬢さんの装束で人の首をはねていく、そんなのは夢だ、だが、確実にあるのはロリコンホイホイを作り上げた社会の形だ、何もかもアクセスから紐づけられ、性的傾向から弾圧され、糾弾され、自分が頭で描いたものを全部精査される時代がやってくる。 実際にニュースで見たんだ、自分の想像したものを記録する媒体、自分の記憶を視界に鮮明に出力して絵を鑑賞するように自分の記憶をフォルダ分けできる新しいシステムが構築されていくのを、その社会が来たら、その社会が実現したら、人間はもっと残酷になる、人間の思考や思想は常にネットに接続されサーバーに保存される、欲する一部始終がさらけだされ、獣の本性が明らかになる、そして糾弾される、内在する獣をしとめるために多くの人がイメージを一人の人間に放射して追い詰める、そのイメージこそが、自死のイメージ、崩壊の示唆、崩れる塔、タロットの暗示、何度も反復する。
つるされた男?
「はっ!?」
目覚めたとき、ベッドには二体の赤ちゃん人形があった、
さすがに裸体の状態で放置するのは気が引けたので、
3Ⅾプリンターで同じように出力し終わった服を急いで着せて、
鏡に映してみた。 これが。
「わたしの娘たちか」
何が何でも自分の欲求はかなえて見せる、
いまは赤ちゃん人形からだ、データを収集する必要がある、
AIの学習を名目として、一人でも多くの女の子たちの日常を、
解析し、収拾する必要が、
時代は今しかない、今、この時、可能としなければ、のちの時代ではもう機会がない、どうあがいても、人間が進歩してしまったときにはこの感情も、この欲望もなくなってしまうのだから。
思うに、すべての行動には理由があるにしても、その理由と動機を書き連ねたところで、多くの人にとっては納得するものには至らない、理由は簡単で、パッと浮かび上がったイメージや心象の全部が、ひとえに人間の妄想に過ぎないと唾棄されてしまうからだろう、だが、妄想を空想を、思いつく限りの羅列を可能としたなら、我々は現実と妄想の区別もつかずに天を仰いで、よだれを垂らして。