プロローグ
豆腐メンタルにつき、お手柔らかにお願いします。
時代は現在から半世紀くらい前のつもりです。
「このアマ!なんて事をしやがる!!」
「若頭 しっかりして下せい!いけねェ…!おい!救急車だ!早く救急車を呼べ!!」
男達の怒声が飛び交うなか、わたしはあの人からもらった懐剣を握りしめて佇んでいた。
足下に転がっているこの男を刺した懐剣は、わたしの最愛の旦那がくれた物だ。
「テメェ……!」
「……!!」
胸に衝撃を感じる。
目をやれば怒りで顔を歪ませた若い男がすぐ側にいた。若い男の手には短刀。その短刀はわたしの胸から生えていた。
不思議と痛みは感じなかった。
あの人を失った日から 唯一つの目的のためにすべての感情を封じてきた。
今わたしはとても満足。久しぶりに心からの笑顔を浮かべる。
旦那と初めて会ったのは、わたしがまだ半玉(見習い)の時。姐さんのお座敷でだった。
どこぞの組の跡目を継いだばかりの若親分さんと聞いて、緊張しまくったわたしが、よりにもよってそのお方に酒をぶち撒けるという失態を仕出かした。
てっきり手打ちにされるかと思って真っ青になるわたしに、鷹揚に笑って許してくれた。
その後もお座敷に呼んでくれ贔屓にしてもらった。半玉から芸者になる時はわたしの旦那になって祝いにこの懐剣をくれた。
「お前が俺の女になれば、良からぬ思惑で近づく者がいるかもしれない。身を守るためにコイツを渡しておくよ」
それからは旦那一筋。ほかの男は知らない。
わたしは芸者だけど、芸は売っても色は売らない。
たまにしつこく言いよって来る輩もいたけど、その世界では老舗の組の親分が後ろ立てとなれば引いて行く。
勿論 旦那には正妻がいたけどそんなのは承知の上。
奥様は先代の組長の娘で、この世界のことはよくご存知な方。
わたしの事も可愛がってくれて一緒に出かけたりしたもした。
何となく世間が殺伐としてきたと感じた頃、極道が暴力団と言われるようになった。
確かにみかじめ料を納めてる店に口利きしたり 揉め事の仲裁や祭りの出店の位置極めだの地域に溶け込むやり方は少なくなっていた。代わりに薬物が取り引きされるようになっていた。
旦那は当然薬物には手を出さなかった。
「素人さんに迷惑をかけるんじゃねぇ。クスリなんざ もってのほかだ!」
そんな旦那が組の若い衆に刺された。
その若い衆は、旦那の兄貴分にあたる、今は他の組で若頭をやってる男から預かった奴だった。
表向きはヤク中だった其奴が発作的に旦那を殺った事になったけど、誰が黒幕かはすぐに分かった。
その兄貴分はこの一家の跡目を旦那と争ってたんだ。先代とお嬢(現 奥様)が、旦那を選んだ事を納得してなかったんだろう。
今は新興の組の若頭に収まってる其奴が旦那の仇。あわよくば旦那のシマの、この地域も傘下にしようと狙ってた。
分かっていても直接仕返しが出来ないしがらみ。
組の幹部は皆んなを抑えていたけど、わたしは組員じゃない。
わたしは旦那のいなくなった組から離れて、其奴の女になった。旦那がいる時から随分コナかけられてたから。
旦那の組員からは散々罵られて、道で会えば唾をかけられることもあったけど関係ない。たった一つの望みのためなら。
今日わたしが組の事務所に乗り込んで来たのは、其奴が新しい女を作ったから。
悋気で事務所に乗り込んで痴話喧嘩を始めた。
思った通り、其奴は自室にわたしを引っ張り込んで言いくるめようとした。
わたしは機嫌を直したフリをして其奴の胸に飛び込んだ。隠し持ってた懐剣を握りしめてね。
呆然とした顔でわたしを見てる。
「…ざまぁ」
媚びた笑顔じゃなくて晴々とした顔で笑ってやった。
読んでくださりありがとうございます。
◯道の世界は想像です。温かい目でお願いします。