シャドウピープルの正体見たり
何かが僕達の後をつけていた。
それは何か、としか言いようのない不安を煽られるような感覚だった。
おそらくは三つ目の山中へ分け入ってからの事だろうか。ある時はねっとりと、またある時はねめつけられるような視線を感じるのだ。
「さっきのサスカッチか?」
イッシーは辺りを見回した。当然、そこには何もいない。
「違うと思うよ」
僕は、あのサスカッチの思慕深いまなざしを思い出した。どう考えても今現在の不快感を募らせるような視線とは異なる。
ピャッ!
短い悲鳴はネイスの声だ。
僕は何かを尋ねるよりも早く振り向いた。
そこにいるのは驚いた表情のネイスだけだ。胸元を押さえているように見えるのはどうしてだろう。
「どうしたんだい?」
「あ……えっとね、今、何かに触られた感覚があったからつい」
それで胸元を押さえているわけか。
これは犯人を調伏させるよりほかないようだ。
僕はかたかたと小刻みに震えつつ、怒りを鎮めるべくムラクモの鯉口を切った。決して羨ましいわけではない。
とは言え、僕達以外に何がいるわけでもないのは相変わらずだ。
三つ目の山に入ってからは、樹木の種類の変化によるものか、頭上で複雑に折り重なる樹冠もなくなってところどころで空が見渡せた。素の天気が悪いようで日は差していないものの、それでも昨日に比べると段違いで視界は良好だ。それなのに何も発見できないのはどういう事なのだろう。
「いい事思いついたよ!」
ネスは、両手を頭上に掲げていた。
僕は一瞬で理解したので、彼女の両手を慌てて抑え込む。
「駄目だめだめ! どうせあの大きな火球を出して辺りを焼き払ってみるとかそんなのだろう?」
「わ、すごーい。よく分かったね」
「そんな事したら下手をすれば山火事になっちゃうだろう?」
「そうかなあ」
「そうだよ。リュウ爺も言っていたけど、ちゃんと火力以外の事も考えようね」
「はーい」
素直なのはいい事だ。
全員が何かの気配を不審に思いながらも、かといって何もいない以上はどうする事もできない。だから僕達は、再び足を動かした。
しばらくすると、空に漂う雲間から日が差し込み始め、途端に辺りは明るくなった。
ちょうど木々の少ない開かれた岩場にやってきた時の事だろうか。
「おい、あそこに何かいるぞ!」
イッシーが岩場を指差して叫んだ。
そこにいたのは、蜃気楼のようにふよふよとたゆたう黒い影のようなもので、それがいったい何であるのかは判然としない。
「なんとなくこっちを見てるような気がしないか? きっとあいつだぜ、さっきから俺達をつけていたのはよ」
言うが早いかイッシーは走り寄っていった。
その瞬間、影が揺らいだように見えた。ともすると、イッシーがこちらを振り向く。
「消えちまった……まったく何だって言うんだ」
「相手はどんな形だった?」
「それがよ、どうやら人型って事以外はさっぱりだ。絶えずゆらゆらしていたって言うか、まるで影が立っているみたいな見た目だったぜ」
空は再び雲に遮られ、わずかに辺りは薄暗くなった。
「影か……」
僕はひとつの考えに思い至った。
「何か分かったのか?」
「ひょっとしたら、だけどね。とりあえずこっちに戻ってきてくれないかい?」
イッシーを岩場から呼び戻すと、交代するように今度は僕が岩場に近づき、そのてっぺんによじ登った。
曇天は変わらず日を隠している。
僕は、ムラクモを抜刀様にペカらせると、そのまま頭上高くに掲げた。
辺りは強い光に包まれる。
天候など関係なく、晴れていたら陰になっていたであろう岩場の裏側も含めて多くが光にさらされた。
光あるところに……
「イッシー今だ! 岩場の裏に影が隠れてるんだ。それも二体いる。分担しよう」
僕は岩場から飛び降りると、隠れるように潜んでいた影の一体に近づいた。
近場で目にしたら、ますます不思議な事この上ない。それは形こそ人であるものの、陽炎のように黒い影が揺らめいているだけで、とても生物のようには思えない。本当にこれが僕達をつけていたのだろうか。
僕が一歩近づくと、影はわずかに後退した。
意を決して飛びつくと、精一杯の力で影に掴みかかる。
ピャー!
直後、女性の悲鳴がこだました。
僕は咄嗟にネイスとネスを振り返る。が、彼女達は何事もなくこちらを見守っているだけだ。
一方のイッシーの方では、今の悲鳴とは対称的な野太い声がしていた。
僕達は、声の出どころがそれぞれ捕らえている影から発せられているのだと理解した。やはりこれは生き物なのだ。そしてこれが陰に紛れて僕達をつけていた。そこにどんな企みが隠れているのかはっきりとしない以上、警戒を解くべきではない。
「ユーマ、よくこれが分かったな」
イッシーが影を羽交い絞めにしながら言った。
「シャドウピープルだよ。地球で目撃される事のある未確認生物。だけどこの外見からも分かる通り、生物からかけ離れた目撃情報のため、僕は生き物だとは信じていなかったんだけどね。恐怖演出の一環としての悪戯や虚言、もしくは陽炎のような自然現象の一部だと考えていたんだけど、まさか実在したなんて驚いたよ」
「なるほどなあ。薄暗い山中だから隠れる場所は選り取り見取りだったってわけか。そんで俺が見つけた時だけは岩場に日が差してたもんな」
「そうなるね」
「ところでよ、それじゃあどうして人の声らしきものを発してるんだ?」
今もなお、僕とイッシーの手の内でじたばたと暴れ回っている影は、先ほどの悲鳴といい息を切らしている様子といい、確かに人に近い声帯を持っているように思われた。
と言うよりも、揺らめく影のような見た目に反して触り心地は柔らかく、体温を帯びている。たとえるなら人が、影に見えるような特殊な外套を羽織っているかのような……
確認のために至る部分をまさぐり続けていくと、影が艶っぽい声を出したので驚いた。
「ひゃうっ! ちょ、ちょっとどこ触って……ごめん、ごめんなさいって、正体見せるから堪忍してー」
理解の追いつかない僕は、束の間の逡巡を経て影を解放してみた。
ぶん、と電気的な音を立てて影から影が失われていく。
そこに姿を現したのは、かすかに頬を染める長い黒髪の女性だ。
「あれ?」と、僕は思わず声をあげる。
「ウマ子さん!」




