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伊香保温泉獣人……ならずや

 とある日の朝、僕は精神統一のために十秒間だけ瞑想した。


 秋と冬の境目

 北国であれば既に雪が積もっている地域もあるのだろうが、僕の住む関東圏ではただただ寒いだけだ。起床時には身震いする事もあるし、外に出れば冷たい風が頬を刺す。

 しかしながら、それがかえってよかったのかもしれない。

 僕はいそいそと準備をしながらそう思った。

 何故ならマフラーを巻ける時季だからだ。

 僕は先ず、銃型に改造した信号弾をベルトに引っさげた。手先が器用な事を生かして作った専用の革製フォルダーにしっかりとおさまっている。次に、ツチノコの剣ことムラクモを背負う。こちらは高校時まで習っていた剣道の竹刀用布袋の中だ。両手をフリーにできるように必要な物を入れたウエストポーチを装着し、最後にマフラーを自然な形で巻きつけて完成だ。


 そうして僕は、そっと目を閉じたのだ。風すさぶ荒野に立っている自分を想像するために。

 刀と銃を装備して、マフラーをはためかせた勇姿が(まぶた)の裏に現れる。

 僕は今、間違いなくかっこいい。と、今ならリュウ爺に胸を張って言えそうだ。


 僕は自宅を飛び出すと、例の溜め池まで軽やかな歩調で赴いた。

 池の水面にかすかに映る自分を見ていると、感慨も深く深くに(おり)のように溜まっていく。

 そう言えば友人は、ネッシーに関してはイギリス政府による隠匿説を推していた。太古の首長竜の生き残りとして秘密裏に保護し独占するためのようだ。1993年に、ネッシーの写真のひとつが玩具の潜水艦を使ったものだと判明した事すらも、政府による一種の偽装ではないかと勘ぐっていた。

 それを裏づける話がある。先ず初めに、ネッシーの目撃は今から1000年以上も前からある事。ネッシーの所有を巡ってイングランドとスコットランドで論争があった事。ネッシーに関する議題が国会にまであがった事。政府による本格的なネス湖探索が幾度もあった事――その中には複数のイルカに専用の装置を取りつけてネス湖に潜らせた探索まであったと言う。

 ここまでされ、それが流行の一端であるわけがない。生前の友人が熱弁を振るっていた事を思い出さずにはいられない。

 それでいて僕は、今ならもうひとつの可能性をあげられると思っている。異世界アースターとの(ひずみ)を通って地球側へやってきてしまったモンスターの存在だ。

 しかしそれも今回までだ。僕が今、長年の論争に終止符を打つ!


 暗い洞窟のような斜面を下っていくと、程なくしてアースターのネッスィー村最寄りの湖のほとりに出る。

 軽く伸びをして、空を見上げた。風があって寒いものの、雲ひとつない絵に描いたような青空だ。

 チュパカブラもいないので平穏そのものだと思っていたのも束の間、近くの林の中から物音がした。間もなくして姿を現したのは、オランウータンに似た一頭の類人猿のようなモンスターだ。

 僕は日本人なので、真っ先に脳裏に浮かんだのは群馬県で目撃例のある未確認生物、伊香保(いかほ)温泉獣人だ。だけど二メートルはありそうな巨体を見る限りでは違う気もする。どちらかというと、アメリカ大陸先住民であるインディアンの間で伝わるサスカッチ、あるいはそれと同一視されることのある、ロッキー山脈でたびたび目撃されるビッグフットに近いのかもしれない。

 とにもかくにも、その類人猿(便宜上、サスカッチと呼ぶ)は弱っているように見えた。痩せこけていると言ってもいいのかもしれない。こちらを見つめる目は濁り、今にも倒れ伏してしまいそうな危うさをはらんでいる。

 僕は試しに、ポーチに入れていたツチノコの燻製を差し出してみた。すると、それに飛びつくようにして(むさぼ)り始めるサスカッチ。どうやら餓えていただけのようでなによりだ。

 僕は、所持していたツチノコの燻製を全て岩の上に置くと、ネッスィー村に足先を向けた。


 村に辿り着くと、家の前で立ち話をしているネイスとネスの姿があった。


「おはよう。どうしたんだい?」


 僕が手をあげると、ネイスが元気に呼応してくれる。


「おはよー。出立の日が今日だって聞いてたからね、待ってたの」

「そうだったんだ。朝早くからお見送りありがとう」

「お見送り? 違うよ。私もついて行くんだよー」

「ええ? だけど山を三つも超えるんだし危ないよ」

「ツチノコに比べたら何があってもどうって事ないよ。それにユーマがこっちに来て一年が経つとは言え、まだまだ分からない事だってあるでしょう? 人手は大いに越した事はないよー」

「そりゃあそうだけど……」


 僕は、ちらりとネイスを覗き見た。

 ツチノコ討伐時にも見た事がある、決意を宿して輝く深緑色の瞳。きっと今のネイスは本当についてきてしまう。なので、僕は観念した。それにネイスの言う通りでもあるからだ。


「私も行くよー」


 続いてネスが言った。


「それは駄目だよ」

「ネスは駄目」


 僕とネイスの言葉は重なった。

 流石に十歳児を、おそらく日帰りでは済まされそうにない旅に連れていくのは気が引ける。


「えー? 大丈夫だよぉ。ほら」


 そう言って、ネスは小さな自分の頭上に直径五十センチほどの火球を作り上げた。

 そろりと手をかざすと当然ながら熱い。それでもツチノコの民家すら蒸発させてしまう火炎に比べると温度はかなり下がるようだ。

 ネスは、「えいっ」と遠くの空き地に向かって火球を放り投げてしまう。地は爆ぜ、焚き火の何倍も激しい炎がしばらくその場でくすぶり続けた。


「凄いでしょう。火の扱いだけはこの村でもお爺ちゃんの次の次の次の次の次くらいに上手なんだから」


 えっへん、とふんぞり返る小さいネス。


「凄いけど、そういう問題でもないんだよ」

「えー?」


 なおもネスが食い下がっていると、そこにリュウ爺が現れる。


「まあまあ連れていってやればよかろうて」


 その瞬間、ネスがにやりとしたのを僕は見た。

 なるほど。可愛い孫の特権を思う存分に駆使して祖父を懐柔したわけか。

 それからリュウ爺はなおも続ける。


「火力だけは一人前な反面、ネイスと違って精密な制御に難ありでのう。力に頼るのみでなく、様々な経験を通して大切な事を覚えていってほしいんじゃよ」


 そういえば、ツチノコの火球が僕の方に飛んできた際に、ネイスがピンポイントで火花を当てて軌道を逸らしてくれた事があった。火力の追求よりも精度に重きを置いているのがなんともネイスらしい。


☆異世界に来て分かったこと4


 当初、魔法がある事に驚いていた僕も、今では随分と順応しつつある。

 魔法だからと言って恐れる必要はない。ネスが扱う火ですら、地球ではライターひとつで代用可能だし、もっと大きな火が欲しければガスコンロでもいいし、いっその事火炎放射器でもいい。別にそれらを持ったからと言って危険な行為に手を染めようとはしないだろう。だから地球でもアースターでも、どれだけ危険な力がそこにあっても一定の秩序は保たれているし、逆に、秩序を乱す意思さえあればどんな力も不要なのだ。


 それはそれとして、僕とネイスは顔を合わせた。


「しょうがないなあ」


 ほとんど同時に声を出すと、ネスは両手をあげて歓喜する。


「いやったあああ!」


 この満面の笑みを見られただけでもよしとしよう。


 村から別の村や町へ行く者は多いが、あえてモンスターの棲まう奥深い山へ行こうとする者は稀なようで、僕達は酔狂な冒険者として大勢に見送られる事になった。

 その中にはイッシーもいたのだが、彼とだけはあらかじめ打ち合わせをしていたので、姿を見止めるなり僕は手を振った。


「お待たせ」

「なんだ。その二人も行く事になったのか」


 イッシーは、ネイスとネスを一瞥した。


「ああ、そうなってしまったんだ。リュウ爺からも頼まれちゃってね」

「あの爺さん、孫にだけはてんで弱いからなあ」


 言わずとも成り行きをしっかりと把握しているようだ。


「なにそれずるい。最初はイッシーと二人で行くつもりだったの?」


 ネスがすねた顔を見せた。


「もともと現地人ひとりくらいには案内を頼もうとしてたんだけど、そうしたらイッシーが引き受けてくれたんだよ」


 同じ性別、同じ歳というのも彼に頼みやすかった理由のひとつだ。

 イッシーは、とても大きな荷物を背負っている。それをネスに見せつけて言う。


「俺は荷物持ちも兼ねてるからな。なんならネス、代わるか?」


 地面に置いた荷物は、どすんと大きな音を出す。

 中に入っているのは組み立て式の簡易小屋。地球で俗にテントと言われているものだ。


「それはいやー。私は火しか出せないもん」

「そうだろうそうだろう。ていうか俺はこれを自力で持ってるんだぜ?」

「すごーい! イッシー力だけはあるもんねえ」

「だけとか言うな。ユーマも力はそれなりにあるみたいだが魔法が撃てないからな。いざって時に動けるように俺が持ってやる事になったんだよ」

「イッシーは見かけによらず気が利くんだね」

「でもよ、お前らも来るってんなら分担してもらおうかなあ」


 イッシーは、悪戯っぽくネスの肩に荷物の全てを背負わせた。

 それだけで背面からはネスの姿が見えなくなるほどの大荷物である。あまりの重さに身動きが取れなくなり、手をぱたぱたさせるネスがほほえましい。


「ほうら、二人とも遊んでないでそろそろ行くよー」


 と、ネイスのひと言が飛んでいく。

 僕は、その光景を横目にしながらも、この先の事に思いを馳せた。

 ようやくネッシーに会える。それは友人の夢がついに成就するという事でもあるのだが、なんだろう、それ以上に胸がわくわくして仕方がないのだ。

 きっと、仲間と共に未知への冒険に出られる事が嬉しいのかもしれない。


 僕達四人は並ぶと、遥か先に連なる峰々に臨んだ。

 いざ、モケーレ・ムベンベの森へ。


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