VSツチノコ
僕や村人たちはみな、山の深く深くに陣を築いていた。
人死にが出なかったのだけが幸いだ。それでも家畜の一部は食われ、民家の多くが壊された。
夕暮れ時が近づきつつあるというのに、ショックのためか避難した村人達は火を焚こうともしない。
「まさかツチノコが現れるなんて……」
村人のひとりがうなだれた。
あれがツチノコであって堪るものか。
僕は心の内で悪態をついた。
ツチノコはもっとこう、ゆるキャラになりえる素質を秘めた可愛らしい蛇さんだったはずだ。なによりもその存在は、ヤマカガシなど一部の蛇が獲物をのみ込んだ際の消化途中の姿であるとの見解が有力となっている。
そしてひとつ、不思議に思うことがある。
「ネイス、君は家が揺れた時点でツチノコの仕業だと悟っていた節があるよね。ひょっとして前にも現れたことがあるのかい?」
僕が尋ねると、ネイスの肩はびくりと跳ね上がった。
「あ……と、えっとね、一年と少しくらい前にね、うちのお爺ちゃんと町の優秀な魔術師さん達とが協力してツチノコを封印してくれたことがあるの」
封印とはまた穏やかではない。
「そっか。僕がアースターに来る前にはあんなのがいたんだね」
「うん」
「ということは、また同じようにすればどうにかなるってことかな?」
「どうかな。今はお爺ちゃんもいないし、町に助けを呼びにいく余裕もないし」
「そういえばお爺ちゃんは凄い魔法使いだって前に言ってたね」
「それでも封印するのがやっとだったの。ツチノコはね、八つある顔ごとに異なる力を持っていて、火をはくだけじゃなく、氷結や雷の力も宿していて、体には猛毒をまとっているから容易に手を出すことすらできないの。遥か昔に地上に君臨していた始祖大蛇の末裔だって言われてる……ずっと前に地震があったんだけど、その時から現れるようになったの」
ヤマタノ……いや、ツチノコはなかなかすさまじい設定(?)を持っているようだ。
「そんなものをいったいどうやって封印したんだい?」
「注意深く生態を探ったところ、どうやらどれだけ大きくても蛇には変わらないってことが分かったの。それでね、新雪の時季を待って山におびき寄せて」
「冬眠させた、ってことかな?」
「そう。その後に全員の魔力を結集して山の状態を冬だけとして固定したの。一種の結界と言っていいのかもしれない」
「凄いんだね。魔法って」
「精鋭の力を集めてやっとできるレベルのものだけどね。それでも完全じゃなかったから今になって再び封印が解けたんだと思う」
「冬眠中に倒してしまうことはできなかったのかい?」
「ずっとね、顔の内のどれかが起きていて、その顔が眠ると他の顔が起きて交代で周りを見張っていたの。だから近づくことすらままならなくて」
「そうか……それに今は秋だ。地球の僕の住む日本でも、アースターの今いるこの地域でも等しくね」
「うん……」
力なく首を垂れるネイスがとても小さく見えた。
すぐそこの木の根元には、恐怖のあまり気絶するように眠ってしまったネスの姿もある。
「ユーマは一度、自分の世界に戻った方がいいと思うよ」
ネイスが力なく言った。そうとう参っているのが一瞥して分かる。
「戻ろうにも、ツチノコは世界の穴がある方に向かっていってしまったからね。流石にあの大きさだと穴は通れないし地球は安全だろうけど、そのせいで戻れなくなってしまったよ。だけどさ、とりあえず前にした時のようにツチノコをどこかにおびき寄せることだけでもできないかな」
そうすれば、ひとまずは住人ごと地球に避難することも可能になる。
だけど、僕は今、不用意な発言をしたのかもしれない。
ネイスの華奢な体が震え始めた。
「どうしたんだい?」
僕が尋ねると、ちょうどそこに起きてきたネスが、やっぱり体を震わせて言った。
「お父さんとお母さんが囮になってくれたの。それでね……」
二人の両親は既に他界している。
そうか。それであんなにも怯えていたのか……
僕は、無力な拳を握りしめた。
それからは考え続けた。ない頭の底の底までまさぐるように必死でだ。
どれだけ長いこと考えることに没頭していたのか、気がつくと辺りは宵闇に包まれていた。
そして
「……そうだ!」
あるひとつの案が生じた。
「お、どうしたんだ?」
いつの間にか体躯のいい男が僕の方を覗いていた。
彼は僕と同じ歳の村人で、名前をイシェイドと言う。もちろん愛称はイッシーだ。そしてこんな逞しい体育会系の男でも魔法が使えるのだが、それは今はどうでもいい。
「なんだイッシーか」
「なんだとはなんだ。しかめっ面でずっと唸ってるから気にしてやってたのに」
「そうだったのか。ありがとな」
「それでどうしたんだ?」
「こっちへ来んさいね」
僕は手招きすると、イッシーの耳元にそっと囁いた。
「……はあ? まじかよ。いや、ていうかまじかよ」
イッシーの訝しむような視線が僕に突き刺さる。
「どうするかは最終的にはここに住む人達が決めることだよ」
「うーん……いや、ちょっと待っててくれ」
イッシーは、他の村人に合図を送るとひとところに集めた。
ごにょごにょごにょ、と、人が人と囁き合う際に聞こえてきそうな声が聞こえる。
やがて、村人を代表してイッシーが口を開く。
「しゃあねえな。一か八かだがやってみるか!」
アースターでもこの村の人達だけは僕の正体を知っている。だから僕が地球の特別な知識を持っていると思っていても不思議ではないし、ある意味で特別な扱いをして一縷の望みを託してくれたのかもしれない。よそ者の意見を排除するでなく、素直に聞き入れてくれるこの村の人達のことが僕は大好きだ。もちろん、よそ者に頼らざるを得ないほど切羽詰まっていたのかもしれないが、そんなのは構わない。
作戦を決行するにあたり、僕は生前の友人が教えてくれていたことを思い出した。
蛇は、赤外線感知によって相手の体温を探るためのピット器官を必ずしも所持しているわけではないと聞いたことがある。ネッシーを追っていただけあって、この手の話には精通していたのが今生きてくるとは思わなかったのだけど。
ただ、ピット器官を持たない蛇は、基本的には蛙などのように体温を持たない生き物を主な獲物としている種類のようなので、家畜を食べたツチノコのように哺乳類(ジャージデビルは哺乳類だと思う)も対象とする種類には備わっている恐れがある。それはネッスィー村の人々が、過去の経験上からか火を焚くことを避けていたことからもよく分かる。
なので、僕は先ず泥水を被った。
通常のガラスだと赤外線が透過してしまう一方で、濃色の色付きガラスの中には感知しづらくなるものもあるのだと言う。
泥はその代替で、水は体温を少しでも落とすためだ。ただし、絶対零度以外では赤外線は生じるはずなのでこれも気休めに過ぎない。
そもそも蛇は、小数点がつくほどの温度差にも敏感で、ちろちろと出した舌によって臭いを嗅ぎ取ることにも長けている。
ようするにこれだけでは不十分なのだが、打てる手は全て打つべきだ。
なにせ今から相手にする大蛇は、究極の探知生物であることに加え、超常的な魔力を備えているのだ。更にはビルのような巨躯と、相手を切り裂くための強靭な牙を持っている。生半可なことでは、たとえ囮が成功したとしてもネイスの両親の二の舞となるだろう。アースターの人達だってツチノコの生態を探っていたというから今の僕と同じことくらいはしていた可能性だってある。それでなお、命を落とすほどの危険を伴うのだ。
だからとにかく考え続けることだ。これ以上、ネイスを悲しませないためにも。
村人達に幾つかのことを頼むと、僕は山を駆け降りた。
生贄を差し出す? そんなものは糞食らえだ。
山の麓からは、僕は靴を脱いで素足で進むことにした。微細な振動にも敏感な蛇に気取られないためだ。
「って、ネイス!」
いつからいたのか、僕の隣には泥水にまみれたネイスがいた。
「私も行くよ!」
「いや、危ないよ」
「私にとっても大切なことだから……」
彼女の瞳は決意の光を宿している。
それでいて足元だけはがくがくと震えているのが滑稽だったが、それはお互い様だ。
僕達は、互いの空元気を笑い合った。怖いものは怖い。それでいいのだ。
「こんなに話し合ってたらばれちゃうかな?」
ネイスがはっとして声を潜めた。
「大丈夫じゃないかな。通常の蛇はね、耳が体内に埋もれているせいで聴力はないに等しいんだよ。完全に機能していないってわけでなく、伝達に使われることはあるらしいんだけどね。とにかくツチノコの顔を見た限りでは耳らしい器官はなかったし、仮にあっても同じようなものだと思うんだ。ただ念のため、振動だけは起こさないように気をつけておいた方がいいかもしれないよ」
「了解!」
そう言って、ネイスも素足をさらし始める。
きっと生傷も絶えないだろう。迷うことなくそんなことをできるなんて強い子だ。
「よし、行こうか」
僕がネイスを促すと、ほぼ同時に背後から幾つかの声があがった。
イッシーと数名の村人がそこにいる。
「それじゃあ、こっちは頼まれてたことを引き受けるからよ。しっかり帰ってくるんだぜ?」
「おうよ」
「任せて!」
僕とネイスは、にっと笑うと歩き出した。
ゆっくりとゆっくりとツチノコに近寄っていく。風向きも考えて、臭いが流れていかないように気を配りながらゆっくりと。
そして最寄りの湖のほとりにそれはいた。
蛇は視力が弱いとは言え決してないわけではない。だから必要以上に近づくべきではないだろう。八つの顔を持って常に周囲を探っているモンスターが相手なのだからなおさらだ。
僕達は待った。身を隠せそうな岩場の裏で待機して、合図が来るのをひたすらに。
ぱん、ぱん、と乾いた音が二回鳴った。
僕がイッシーにあらかじめ持たせていた信号弾の空砲だ。
魔法が熱を伴わない確証はなかったので、確実に音だけを出してくれる完全機械尽くめの科学の力を渡しておいたのだ。
「合図があったね。さて、出ようか」
僕は、どちらかと言うと自身に言い聞かせるように呟いた。
「うん」
そして、ネイスと共にツチノコの前に姿を見せた。
むくりと巨体を起こすツチノコは、見据えられるだけでも金縛りにあってしまいそうな冷酷な赤い目をしていた。僕達は今、蛙だ。
「行くよ、ネイス。このまま山中に戻ろう。みんなが例の物を用意してくれてるはずだから」
「頑張る!」
僕達は同時に走り出した。
一度、ツチノコから発せられた火球が間近に迫った時は駄目かと思ったが、ネイスが、ツチノコには遥かに劣るものの得意の火花の魔法で火球の軌道を逸らしてくれたおかげで事なきを得た。
山中に入れば地の利はこちらにあると思っていたのに甘かったようで、ツチノコは木々を物ともせずに薙ぎ倒しながら追ってくる。
どうにか目的地まで生きて到達した時には、チュパカブラに追われていた時とは比べ物にならないほどに必死極まっていた。
そして、ここまでが科学と魔法の出番だ。
次は
僕は、前方の開けた場所を見た。
そこに並ぶのは、幾つもの樽だ。中にはなみなみと酒をたたえている。みんなに頼んで村中の酒を集めてもらっていたものだ。
これを見れば、地球在住の日本人なら分かる人も多いのではないだろうか。
そう。ここから先は神話の出番だ。
僕が思い出したのは、なにも友人による蛇講座だけではない。ネイスの祖父の言葉もだ。
――地球とアースターは遥か太古より光と影のように作用し合っていて、互いの世界を偶然にも行き交ってしまった生物がいる――
だからアースターの生き物であるチュパカブラやジャージデビルが地球に迷い込んで未確認生物と呼ばれているのだ。それならば、逆もまたしかりなのではないだろうか。それはきっと、神話の時代に遡っても同様に……
アースターでツチノコと呼ばれ畏怖される、それはどう見ても日本のヤマタノオロチを見て、あるいはと思ったのが始まりだ。
後はツチノコが未成年でないことを祈るばかりだが、動きが緩慢になるのを見て安堵した。
ツチノコは樽に興味を示すと、八つの顔全てから舌を出して臭いを嗅ぎ始める。巨体は完全にその場に止まり、長い首の先の顔がひとつ、またひとつと順々に酒樽をくわえ始めた。酒をなめる速度は徐々に上がっていき、やがては遥か昔に味わった好物の味を懐かしむ勢いで樽を逆さにして口の中へと注ぎ込む。
ある意味で当たり前と言うかなんと言うか、蛇に酒を飲まそうなどとどこの誰が試みるものか。そんなことスサノオノミコトを除いては、いかにネイスの祖父や町の魔術師達が優秀でも考えまい。
だからこそ、ここまで協力してくれた人達には感謝しかない。
しばらく経ってそこにいたのは、べろんべろんに酔って骨抜きになったツチノコの情けない姿だった。
試しに、おそるおそるとツチノコの目前まで歩み寄ってみたが、相手からの反応は鈍くこちらには目もくれない。
「よし! 総出動でお願いします!」
それはまるで、幾重にも折り重なる花火のようだった。
赤いのは火だろうか。青白く光ったのは電流だろうか。見ているだけでも胸躍りそうな、一見して攻撃とは思えない魔法の数々だ。
やがて、八つ全ての首がぴくりとも動かなくなった。念のため、人々は首をひとつずつ丁寧に切り落としていく。
倒したツチノコは後日食料にしよう。
僕がそう考えていると……
ピャー!
人々の大歓声が周囲を包み込んだ。
ありがとうスサノオノミコト! クシナダヒメと末永くお幸せに!
こうして僕達のツチノコ討伐大作戦は終わりを告げたのだ。
ツチノコは生きるために他者を食べていたのだろうから、僕達もそれに倣うべきだとして肉を切り分けていると、ちょうど尾の辺りをさばいていた時のことだ。ひと振りの剣が現れた。経緯は不明だが、どうやらツチノコが過去のみ込んでしまっていたもののようだ。
「これはユーマが持っているべきだよ」
とは、ネイスの言葉だ。
魔法が使えない僕は、武器の入手は素直にありがたかった。
ただしツチノコの体液でべたべたなのは勘弁だ……
とにもかくにもこうして僕は、ツチノコの剣ことムラクモを手に入れたのだった。
長年、超魔力を保持する伝説の大蛇の体内に眠っていたからか、この刀には不思議な力が幾つか宿っていたのだが、それはまたいずれお披露目したいと思う。
僕はこの日、村に仮設小屋を建てるのを手伝って、そのままひと晩を過ごした。
ネッシー補完計画を夢見ながら。