過去から今へ
お母さんが家に連れてきた男の人はとてもいい人だった。
お兄ちゃんが居なくなる前のお父さんみたいで、とても懐かしくて暖かかった。
私はそれがどんな意味なのか知らないほど子供じゃなかった。お母さんが私に紹介する男の人、きっと再婚相手なんだろう。
あの日から笑顔が少なくなったお母さんは最近、ニコニコと上機嫌な事が多かった。私がお母さんを支えきれなかった分も、この人が支えてくれていたと思うと自然に警戒心が薄らぐ。
会った初日、私達は3人で日が暮れるまで話した。お互いの事、これからの事。私に出来る事は、二人にとって理想の娘で在ること。もう一度、あの日々を取り戻す。幸せで、穏やかで、笑顔が在った日々を。だからだと思う。壊れるのが怖かった。
私は中学生になった。
お義父さんのお仕事の関係で、今まで住んでいた場所から遠く離れた学校に通うことになった。友達と別れるのは、寂しかったけれど。日々増えてゆくお母さんの笑顔を見ていると、寂しさは埋まった。
移り住んで半年、慣れない土地、初めて会った人たち。私は学校でも、住んでいる場所でも、馴染む事ができずに居た。
学校の先生を勤めているお義父さんは私がそうして悩んでいると、進んで相談に乗ってくれた。普段の態度から思う所があったらしい。静かに私の話を聞いて、的確なアドバイスをしてくれるお義父さんは学校でも評判の良い先生に違いない、と思った。
私は次第にお義父さんに心を開いていった。良い娘である事に多少無理をしていた所はあったけれど、自然体でそう在れる。そんな関係になれるような、気がしていた。
○
脱衣所にカメラがあった。私が気づいたのは夜、歯磨きをして寝ようと思った矢先の事だった。
だれが? なんのために? 取り乱しそうな自分を抑える。
カメラの場所は観葉植物に紛れ、巧妙に隠されていた。私が気づけたのはカメラについていたランプが点灯していたから。今思えば気づかなければよかった。気づかなければ、今よりもっとマシだったかもしれない。
私はその日以来、注意深く家の中を見るようになった。
至る所にカメラはあった。初めて見つけた脱衣所から自室、お風呂。果てはトイレまで。
泣き出しそうになる。私は一人、心あたりがある人を思い浮かべる。が、それを振り払う。そんなわけがないのだ。これから3人で、一緒に幸せになろうとしていたのに。そんな事はあってはならない。私は間違えてはいけない。
私は、見なかった事にした。
○
気持ち悪い。ただただ気持ち悪かった。笑顔のお母さんも、優しいお義父さんも。
お母さんに相談なんて出来なかった。お母さんはお義父さんを愛している。それは毎日二人を見ている私が一番良く知っている。本人たち以上に。せっかく見つけた幸せを、壊すような事はしたくない。
良い娘で在り続けるにつれ、私の心はすり減った。吐いて、泣いた。
私は知らないふりをするのにも限界だった。
思い切って、こんな事はもうやめるよう伝えよう。私は知らなかった事にするから、と。もしかしたらお義父さんではないのかもしれない。そんな希望を信じて。
大事な話がある、と自室にお義父さんを誘った。
私はカメラの事をゆっくりと、話した。
みるみるうちにお義父さんの顔色が変わった。疑問は確信に変わる。
○
私はその日、大事なモノを失った。
醜い顔とむき出しの欲望をドロドロに煮詰めたような顔をしていたお義父さんの貌が印象的だったのは憶えている。
私はその日から人の顔を見られなくなった。
もう1話続きます。