♂♀ 魔王代理の華麗なる日々 (承)
周囲が眩しかった。 グッタベルの視界が薄らボンヤリと、白色に輝いていた。 彼は知覚した。 「仮初の命」が、繋がれた事を。
瓦礫の間に横たわっている。 ボンヤリと天井が見えた。 何とか崩壊せずに留まっているようだった。 魔人王の居城の中で、聖なる装具も無しに生きている事自体が、可笑しなことでもあった。
”……あぁ…… ”姿形は変わる” って、言ってたなぁ”
ボンヤリと、魔人王の言葉を思い出していた。 只人が、この妖気の濃い魔人城に居れば、なんの準備もしなければ、妖気酔いで、直ぐにでも発狂してしまうからだ。 落ち着いた気分で居られるのも、自分がもう、只人では無くなった証だと、そう感じていた。
「お目覚めですか?」
物静かな、それでいて、圧倒的な力を感じさせる声がした。 まだ定まらない視線を、声のした方に向けるグッタベル。 揺らぐ視線の中に、細身の端正な漢が立っているのが見えた。
「だれだ?」
妙に高く細い声。 グッタベルは自分の声に違和感を覚えた。
「フェガリ=セリニと申します。 我が主人より、貴方に助力せよと言いつかりました」
白手袋をはめた右手を胸に、深々と一礼して来るその漢。 徐々に視界が鮮明に成って来たグッタベルは、そこに帝都でも見た事が無いような、完璧な執事を見出した。 漆黒の頭髪は綺麗に撫でつけられ、何処までも深い黒々とした瞳。 高く優美な鼻。 見る者を虜にしてしまうような、”美しい”と、言える表情。
「くそ、イケメンは、嫌いだ」
半分やけくその様に、呟くグッタベル。 その凡庸な容姿から、常日頃、酒場の女達にも相手にされて居なかった、グッタベルの本音でもあった。 クックックっと、これまた人を魅了する笑い声をあげ、フェガリがグッタベルを見ていた。
「何なりと、お申し付けください。 主人の命ですので」
「主人とは…… 魔人王ガイル・ラベクなのか? まぁ、それ以外、考えらなれないが……」
「左様に御座います。 主人眠る時、わたくしが目覚め、主人の目覚めを待ちつつ、城と魔人共を見守る役目を仰せつかっております。 本来なれば、全ての権限がわたくしに有るのですが、この度の主人の眠りに際し、主人より、言いつかった事が有ります」
「なんだ?」
「全権を、至聖騎士グッタベルに引き継ぐと。 次に主人が目覚めるまで、彼の者が、主人の代理だと」
「くそ! またか! 何が、『 後は、気ままにせよ。 』だ! 結局は、自分の代わりか!」
「おや? 『そうだな、それも含めてだ。 このちっぽけな命が、なんかの役に立つのなら、それも良いと思ったまでだ』 では、御座いませんでしたか?」
驚きに目を見張るグッタベル。 なぜ、それを知っている。 あの場には、魔人王と自分しかいなかった筈なのにと、疑り深い視線を、フェガリに向けた。 にこやかに微笑みながら、フェガリはグッタベルの視線に応えた。
「居りましたよ、わたくしは。 貴方の脇腹に刺さっておりました」
「お前……魔剣か」
「主人と常に共にある者。 はい、わたくしは、魔剣フェガリ=セリニ。 主命により、貴方に使えましょう」
「……有難い事で。 ……ちょっと、ション…… ウッ!」
喉の焼ける激しい痛みと、全身に走る電撃の様な痺れが、グッタベルを襲う。 余りの事に、全身が硬直する。 眼が泳ぎ、何が何だかわからないまま、フェガリをグッタベルは見た。 涼しい顔で、そんな彼を見下ろすフェガリ。 口元に笑みを浮かべながら、フェガリが、静かに言葉を紡ぎ出した。
「主人より、ご伝言が貴方に有ります」
「なんだ……ろうか?」
「貴方の体の一部は、主人の魂で構成されております。 よって、口にすべきでない言葉をしゃべると、喉が焼け、身体に電撃が走ります。 どうぞ、御言葉にはお気を付けて」
「どういう事だ?」
「身を守る為と、暴言禁止です。 主人は優雅な方。 卑しい言葉は、お気に召しませぬ故」
ここは、魔王城。 魔人族の領域。 下手な事を言えば、直ぐに命の危険に晒される。 きっと、それを予防する為の処置だろうと、当たりを付けたグッタベル。 今は、生き残り、魔人王の望みを叶える事を優先させようとしていると、そう思った。 暴言禁止は……まぁ、魔人王なんだから、そうなんだろうと、無理矢理納得した。
「……気を付けよう」
「お判り頂けて、幸いです。 所で、何をお望みですか?」
「い、いや、しょ……小用をな」
妙に高い声に違和感を感じつつ、グッタベルは、下腹部の張を感じてそう答えた。
「あちらに、今は崩壊しておりますが、ラバトリーが御座います。 そちらの影で。 申し付けられれば、早急に修復いたします」
「う・・・判った」
グッタベルは、ふら付く足取りで、立ち上がる。 聖鎧の下に着ていたキルティングが身に合わず、”ぶかぶか” だった。 体が、妙に小さくなっている事をそこで初めて知った。 違和感が半端なく襲う。 が、尿意には勝てない。 指示された場所に赴き、小用をしようと、下履きを解く。
「無い! 無いぞ!!! 何をシヤガッ……ウッ! ウガァァァ~~~~!!!」
グッタベルの絶叫がその場を埋めた。
――――――
「済まない、フェガリ…… 状況が良く呑み込めない」
フッと”美しい”笑みを浮かべるフェガリ。 絶叫を聞き終えた彼は、グッタベルを誘い、半壊している「謁見の間」に降りてた。 玉座近くにある 【覗見の鏡】 発動していないのか、今は普通の鏡だった。 その前に立ち、自身の姿を確認したグッタベルは、言葉を失った。
物凄い長身だと思っていた、フェガリが細身の長身である事には違いないが、鏡に映る自分の姿と比べれば、そこまでの大きな人物では無い事が判る。 自身が縮んでいたのを理解した。 理解の理由は、鏡に映し出されている、彼自身の姿。
幼い…… 余りにも、……小さい。
今年で、三十八歳にだった自分は、比較的巨躯を誇っていた。 厚い胸板。 力強い筋肉が付いた手足。 お世辞にもイケメンとは言えない顔立ち。 キツイ目付き。 手入れの全くされて居ない、短く刈り込んだ、赤毛。 人生を諦めきった表情を浮かべている筈だった。
記憶にある人物は、鏡の中には居なかった。
燐光を発するがごとき銀髪。 紅い瞳。 小さな頤 白磁の肌。 ぶかぶかの鎧下が、肩からずり落ち、僅かに覗く胸元には豊かとはいえないが、それなりの重量感の双丘。 驚きに目を見開く表情は、何とも言えぬ色香を醸していた。 可愛いと云っても、だれも否と言わないだろう顔立ち……
見れば見る程、信じられなかった。 自身の声の違和感が何か理解した。 よく言えば鈴を転がすような声。 悪く言えば、細く頼り無げ…… 鏡の中の自分は、どう見ても十五、六歳の少女にしか見えない。
「これが……オッ……わたしか」
喉を焼き、全身に走る電撃に顔を顰め、身体を震わせる、薄幸そうな少女が鏡の中に居る。 ” なんてことだ!! ” グッタベルは、言葉を再度失った。
「至聖騎士の能力は、そのまま継承されております。 魔力の方は…… 御自分の事でしょうから、お分かり頂けると、思います。 ……昏倒されていらっしゃるときに、お体の方は、隅々まで、調べました」
「……そ、そうか」
「御身に施された、無限収納の【呪印】も、使用可能です。 また、中に入っていたお荷物も、そのまま使用可能です」
「……そ、そうか」
「さて、代理様。 如何致しましょうか? ご指示頂きとう御座います」
フェガリの顔から笑顔が消え、試すような光が、漆黒の双眸に浮かぶ。 彼の本来の主人である魔人王の命令では有るが、元至聖騎士の命令など、聴く気はサラサラ無かった。 ただし、彼の言葉が主人の意思に沿う物であった場合は、まぁ、聞いてやっても良いかとも、思っている。 そう、主命なのだから。
鏡に映る、自身の姿を疎ましそうに眺めながら、グッタベルは魔人王代理として、最初の言葉を紡ぎ出した。
「城内に居る、傷ついた物を、安全で広い場所に集めてくれないか? 治療する。 ……治癒魔法は、魔人族や魔物にも効くのか?」
「御意…… 効きます。 ただし、ポーション類はお気を付けください。 色々と差しさわりがある物が御座います故」
「了解した。 早速お願いする」
鏡に映る自分の姿を見詰めながら、グッタベルはそう口にした。 いま、生が有るのは、理由がある。 ならば、その役割を果たすべきだと、心に決めた。 たとえ、自分がどの様な姿に成ろうとも、それは譲れない。 己が矜持でもあった。 いままで、そうやって生きて来た。 姿形は変わろうと、自分は自分。 安々と代われるようなものでは無いと、心を決めた。
フェガリは、少し驚いた。 この状況で、自分の事より、優先するモノがあったとは、と。 右手を胸に、虚空に消える。 仮の主の願い、聞いてやってもいいと、そう思う。 なにより、それが、主命に沿うのだから。
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大広間に集められ、横たえられているのは、傷ついた魔物、妖物、魔人族の非戦闘員。 重篤なモノから順次グッタベルは治療に掛かった。 なるほどフェガリの云った通り、治療魔法は彼等にもよく効いた。 体を修復し、欠損部分を継足し、切断されている手足や深い切り傷を、治療していく。
珠の汗が額から頬に流れ落ちるのも構わず、ダブダブの鎧下のまま、彼は全身全霊を治療に費やしている。 当然、その中には、彼が切り裂いた者達も居た。 しかし、彼の姿があまりにも違う為、どの者にしても、彼が至聖騎士だったとは思ってもみなかったようだった。
彼の素性を知る者は、その大広間では、フェガリただ一人。 そんな彼も、グッタベルの真摯な治療を妨げるような事は言わずにいた。
何時間も、幾日もの奮闘の甲斐も有り、大広間に居た大部分の重傷者の傷は癒された。
その中に、蟲の王マルコムも居た。 城内の非戦闘員を纏め上げる立場の彼は、年老いた老人の姿をしていた。 魔王城に、ジレーヌ第三王女達が侵入した時、真っ先に行く手を阻んだ為に、グッタベルに斬られた漢だった。
「すまんな…… 見たことが無い御仁じゃな。 助かった。 さぞや名のある方だろう。 聞かせて貰えんか? 貴女の名を」
言葉に詰まるグッタベル。 彼の名は、至聖騎士として、魔人族を含む、魔族の間には十分広がっている。 悩んだ末、彼は呟くように言った。
「グッタベル=ジーナス」
不思議そうに、その名を聞く蟲の王マルコム。 小さな笑い声から、やがて大爆笑に代わった。
「フフフ、ハハハ、ワハハハ!! そうか、あの憎き至聖騎士と同じ名なのか!! これは、いい。 方や儂らを滅しよとしたモノ。 そして、貴女は我らを慈しんで助けてくれたもの! ハハッハ、これは……これは!」
遣る瀬無い気持ちで、蟲の王マルコムを見詰めるグッタベル。 そんな彼を、冷徹な黒檀の瞳で見詰めるフェガリ。 蟲の王マルコムは、そんな二人を見比べ、静かに言った。
「よしんば、同一の人物としても、今は、至聖騎士では無いな。 それに、性別、人種までまるで違う。 どうだ、混乱し何かをする度に悩むくらいなら、名を変えないか? そうだな…… 今までの名を使い、ベルシーとでも名乗るか? どうだ?」
グッタベルは、思わず目を見張り、更にフェガリの様子を伺った。 確かに、今まで通り、名を、至聖騎士の名であるグッタベルを名乗ると、これから先、色々な騒動を引き起こす可能性があった。 魔人王の言葉の規制も、完璧ではない。 いずれバレるとしても、最初の内だけは、穏当に治療を進めたいと、そう思っても居た。
フェガリもその案には賛成の様子だった。 余計な波風は、これからの仕事に差し障る。 ならば、完全に別人として扱った方が、容易いと考えたからだった。
「ベルシー……ですか。 余計な混乱と、嫌悪から、必要な治療が出来ないと、魔人王様との約束が果たせません。 判りました……私は、ベルシー。 いいですかね。 フェガリ」
「御意に」
二人の間に密約が成立した瞬間だった。
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――【魔人王伝】 に有る特筆すべき事柄として、一人の少女の名が記された。
● 魔人族暦 八千六百五十三年。 焔酷の月 晦日
魔王城「ダスク・スプレンドーレ」において、魔人王ガイル・ラベクが、至聖騎士グッタベル=ジーナスによって討ち果たされ、五百年の眠りに落ちたその日。 半妖半魔の魔王代理、” ベルシー ” と、魔剣フェガリ=セリニが目覚めた。
少女「ベルシー」の横に「フェガリ」は立ち、崩壊しかかった魔人達の結束を堅固なモノに変え、彼等を導く者として魔人王不在の間、魔王城と魔人族の者達の保護に勤めたのだった。 魔人王ガイル・ラベクが屠られたその日、魔族の者は、一つの希望を見出した
そう、簡素に締めくくられている。
昔日に傾く人族の帝国。 勃興する魔物達の国 交錯するその時に、ベルシー と、フェガリ は降臨したのだった。