冬の始まり
あるところに、春・夏・秋・冬、それぞれの季節を司る女王様がおりました。 女王様たちは決められた期間、交替で四季の塔に住むことになっています。 そうすることで、その国にその女王様の季節が訪れるのです。
空気も澄み、清々しい晴模様のある日の事です。
秋の収穫祭を終えたお城では、平穏な日々を取り戻し、優しく降り注ぐ太陽の光は、お城の周りの野原を赤や黄色の暖かい色に染めあげました。
ジョウビタキが鳴き始め、実りの季節の終わりを告げます。
そう、今日は秋の女王様と冬の女王様の交代の日です。
お城の離れの一部屋では、女性は窓の外の世界を眺め寂しそうな顔をします。
「またあの鳥が鳴いてしまったわ……。」
女性はため息を付きながら窓を離れます。
その銀色の美しい長い髪は、まるで誰も踏みしめていない銀世界のよう。
「なぜ、私なのかしら?」
一人っきりのその部屋で、誰ともなく問いかけても答えは帰ってきません。
女性はムスッとしながらベッドへと転がり込み、美しい顔を枕に埋めます。
その時、トントン、というドアをノックする音ともに、部屋の外から声が聞こえてきました。
「オリビア様、そろそろお出かけの時間です。ご準備の程はいかがでしょうか?」
オリビアと呼ばれた女性は寝転がったまま枕から顔を上げ、外の侍女に話しかけます。
「待ってちょうだい、ノーラ。髪の手入れがまだなの。もう少しかかるわ。」
「かしこまりました。私はここでお待ちしておりますので、準備ができたらお声がけ下さい。冬の女王、オリビア様。」
オリビア様はしぶしぶとベッドから起き上がると、寝間着から神事用のドレスへと着替えます。
「ノーラはとても真面目でしっかりした性格よ?」
化粧台へ向かい長い髪を髪を梳かしながら、ブツブツと独り言を言うオリビア様。
「でも、しばらく戻れないのだから、少しぐらいのんびりさせてほしいわ。」
鏡に映る均整のとれた顔も、今は少しばかり膨れっ面。髪を梳かし終わったオリビア様は外にいるノーラに声をかけます。
「入って、ノーラ。手伝ってくれる?」
その声を聞いた侍女のノーラは失礼しますと言うと、ドアを開け丁寧に一礼し、化粧台の前に座るオリビアの元へと向かいます。
「仕上げをお願い。」
「かしこまりました」
ノーラはオリビア様の長く美しい髪を手際よくまとめ上げ始めます。
しかし、思い詰めたその指の動きは、いつの間にかゆっくりになりました。
「……オリビア様。」
詰まった言葉を絞り出すように話しかけるノーラ。オリビア様はどうしたのかしら、と言わんばかりに首を傾げます。
すると、一息おいて
「……私のお世話ではご不満でしょうか?」
突然の事に驚くオリビア様。
「なぜそう思うの、ノーラ。」
ゆっくりだったノーラの手は、髪飾りを持ったままついには止まってしまいました。
「他の女王様はお付きの者が身の回りの世話をすべてやっております。……しかし、オリビア様は……。」
「私は?」
「髪の仕上げの時しか、私を必要としてくれていません!」
オリビア様はノーラの大きな声に思わずあっけにとられてしまいました。けれど、すぐにクスッと吹き出してしまいました。
「おかしいでしょうか?」
「ごめんなさい、気を悪くしたかしら?」
「いえ、滅相もありません。」
ノーラは慌てて首を横に振ります。そんなノーラにオリビア様は鏡越しに優しく微笑みかけて言いました。
「私は自分でやれる事は自分でやりたいだけなの。たとえ女王という立場であっても、そうすべきだと思っているわ。」
「オリビア様はお変わりです。」
ノーラの顔が少し寂しげに鏡に映りました。オリビア様は申し訳無さそうに
「そうね……。そうかもしれないわ。」
と言い、そしてまたこうも言いました。
「でも、そうでもしないと私は私の使命に押し潰されてしまいそうなの。」
「オリビア様……。」
「ありがとう、ノーラ。少し気持ちが楽になったわ。大好きよ。」
「そんな、オリビア様。私は何も……。」
ノーラは顔を赤らめながら、オリビア様に髪飾りを付けて支度の終了を告げます。
「終わりました。」
* * *
「冬の女王様のお成ーりー!」
お城の門が開くと、ラッパ手は盛大にラッパをかき鳴らし、門の前には衛兵と物見の民衆の道が出来上がります。その道の真ん中を、先導の騎兵に率いられて冬の女王様が乗る馬車が通ると、割れんばかりの歓声がそれを迎えます。
それもそのはず。冬の女王様を始めとした4人の四季の女王様はこの国の宝なのです。
しかし、時折ファンファーレと拍手の合間から民衆の不満も聞こえてます。
「また冬が来るのね……。」
「寒いのはしんどいのう……。早く春になって欲しいわい。」
冬の女王様はその声を聞いても、顔色一つ変えません。しかし、心の中ではとても辛く思っていました。
――私だって、本当にそう思うわ。
――けど、これは決められたことなの。
馬車は人々の道を抜け、冬の女王様の一行は街の外へとでました。
しばらく行くと、四季の塔へと向かう一本道に着きました。するとそこで冬の女王様は御者に声をかけます。
「お願い、止まってちょうだい。」
冬の女王様の急なお願いに御者は慌てて馬を制止します。馬車が止まると、突然冬の女王様は馬車から降りてしまいました。
「馬車から降りてどうされたのですか、オリビア様。」
「ノーラ、今年の見送りはここまででいいわ。」
突然の申し出にノーラとお付きの者達はびっくりしました。
「それはできません!私達はオリビア様を安全に四季の塔へと送る義務があります!」
ノーラは冬の女王様を必死で止めます。しかし、冬の女王様の気持ちは変わりません。
「大丈夫よ、私はもう何年も四季の塔へ行ってるのよ?道も覚えたわ。」
そう言うと冬の女王様は四季の塔の方へと目をやり続けます。
「だから、たまには自分の足で行きたいの。」
「しかし、オリビア様……。」
「言ったでしょう、ノーラ。」
「私は自分でやれることは自分でやりたいの。自分のためにもね。それに……。」
「それに?」
冬の女王様は言い淀みます。
「いえ、なんでもないわノーラ。」
強い決意の表情をした冬の女王様をしばらく見つめたあと、ノーラは溜め息混じりで口を開きました。
「オリビア様は言っても聞きませんものね……。」
諦めたような面持ちのノーラは、冬の女王様に真っ直ぐな視線を向け直しました。
「わかりました。私どもの送迎はここまでと致します。ですが……。」
「何かしら?」
「せめてオリビア様の姿が見えなくなるまでは、ここで見送ります。」
「……わかったわ。風邪をひかないようにね、ノーラ。」
「オリビア様こそ、お身体に気をつけて。」
別れの挨拶を済ますと、冬の女王様は踵を返し、四季の塔へと足を踏み出しました。
しばらく歩いたあとに後ろを振り返ると、ノーラ達は変わらず冬の女王様の行く先をしっかりと見守っていました。
従者達のその献身的な態度に、冬の女王様はとてもありがたく、そしてどこか申し訳なく思いました。
「私は歩いていった方がいいのよ……。」
一人になったオリビア様は、これまで取り繕っていた毅然とした態度と顔をやめ、物悲しそうな瞳で足元を見ます。
「……その方が冬の始まりが遅くなるから……。」
オリビア様は、そうポツリと漏らしました。