ep.1 出会い
ボキャブラリーのなさを見せつけていくスタイル
春の日差しが暖かな日曜日、僕は県立図書館に居た。一週間分の日本史と世界史、化学の復習、月曜の教科の予習をこの日曜日の午前中に片づけてしまうのが習慣だ。この習慣を高校入学当時から特別な事がない限り毎週続けている。今では司書さんや購買のおばちゃんとは顔見知りになっている。
今利用している県立図書館の自習室は中学生や高校生だけでなく、社会人や高齢者も利用するため、とても静かである。ここで騒げるのは余程の常識知らずでないと騒げないだろう。
「よしっと…..」
今日やるべき予習復習は終わった。現在午前十一時。まだ昼食をとる時間ではない。いつもはだいたい十二時に勉強が終わるのだが、今日は一時間も早く終わった。先週は学年が上がってからの初めての週ということもあり、始業式や入学式の準備でまともに授業をしていなかったため、予習しかする必要がなかったからだ。ここに居ようにもやることがないので自習室を後にすることにした。
自習室を出て何か時間を潰すことのできることを考えた。悩んでいると、図書館の案内図が目に入った。
「屋上、行けないんかな」
この図書館に子供のころから何度も来ているが、関係者以外立ち入り禁止の六階と屋上はまだ行ったことがない。好奇心と暇つぶしのため屋上に行くことにした。
エレベーターでは五階までしかなかったため仕方なくそこで降りた。おそらくどこかに階段があるのだろう。分かりにくい場所にあるのだと思っていたが、その階段はあっさり見つかった。立ち入り禁止のポールが脇に寄せられていた。
六階に到着。今までの階と違い殺風景で薄暗い印象を受けた。職員と遭遇しないことを祈りながら探索した。五分ほど経っただろうか、少し開いている重そうな扉を発見した。扉には「屋上」の文字。気持ちの昂ぶると同時に、誰かに誘われているような感じがした。少し背筋が寒い。しかし、ここまで来たらもう引き下がれない。屋上への階段を踏み出した。
屋上に到着。暖かい日差しが気持ちよかった。あたりを見回すと、女性の人影があった。自分と同じくらいの年齢だろうか、白い肌が太陽の光を反射し、艶やかな黒髪が風になびいていた。悲しげな横顔も相まって絵画のようだ。見惚れているとあることに気が付いた。彼女は柵を越えた縁に立っている。
「何してるんですか!」
生まれて初めてあんな大声を出した気がする。彼女は驚きも叫びもせず、ただ穏やかな口調で
「死のうとしているんですよ。」
と告げた。彼女の言葉には不思議と安心感があった。決して落ち着いてはいけない状態なのは自分の脳では分かっている。しかし、彼女の言葉が思考を邪魔している感じがした。
「…お話しませんか」
咄嗟に出た言葉に自分でも驚いている。ただ、彼女を死なせたくなかった
「いいですよ。」彼女は微笑んだ。
「お名前は?」そんな言葉しか出てこない。
「島村 楓です。あなたは?」
「…高坂 新です。」
「新さんね。短い間だけどよろしくね。」
「…年齢は?」
「十六歳よ。」
「僕と同い年なんですね、あはは…」
あきらかに今から死のうとしている人と話す内容ではない。彼女はずっと微笑んでいる。何を話せばいいのか考えれば考えるほど沈黙に繋がった。
「…なぜ死のうとしているのですか?」僕が発した精いっぱいの言葉だ。
「人生が退屈だから…..かな。」彼女は続けて言った。
「何一つ不自由なものなんてない。けどね、『生きがい』って言うのかな、そういう類のものがないのよ。だから死ぬの。」
ああ、この人は僕と同じなんだ。何一つ不自由なものがない。しかし「何か」が足りない。そんな気持ちを抱えながらこの人も生きているんだ。ただ決定的に違うところは、もう諦めようとしているところ。自分はこんなにも耐えているのに彼女は死のうとしている。そんなふざけたことさせてたまるか。そう思ったら自然に声が出ていた。
「死なないでください!」「僕もその気持ち凄くわかります。だから、あなたには死んでほしくない。いつかその『生きがい』が見つかる日が来るはずだから。」確証なんてない。そう思ってないとやってられないだけだ。
「けど、それでもあなたが死のうとするなら」
「僕があなたの『生きがい』になります!」
咄嗟に出た言葉だった。多分僕は彼女に惚れていたんだと思う。というか確実に惚れていた。彼女はあっけにとられていたが、言った本人のほうが何倍もパニックに陥っていた。少しの沈黙で冷静になった。
「あ…いや…あのですね…これは言葉の綾というか…」
「言葉の綾なんですか?」彼女がすかさず聞いてきた。目敏い。
「…..いや、違います…..」もう思考が回っていない。彼女はふふっと笑い柵を越えこちらに来た。
「少し嬉しかったです。今日はやめておきますね。ありがとう、新君。」そう言って僕の横を通り過ぎ屋上を立ち去った。横を通り過ぎた瞬間、甘い香りがした。彼女の残り香に包まれながら、僕は茫然と立ち尽くしていた。