社会の冬休み
「そうですか。今は正月ですか、困った時期ですね」
七三分けがバッチリと決まったサラリーマン。凍えるような場所にいようと、熱すぎる場所にいようと、
「どいつもこいつも社会の制服を脱いでいるとは困ります」
Yシャツ、ネクタイ、スラックス、ジャケット、ベルト、革靴。立派な一流サラリーマンの装備を纏うのが、社蓄。寒さを倍増させる風が吹き、揺れる髪と服がいくら乱れようと宿る精神は揺るがせない。真に働く者と、働いていない者の違い。
伊賀吉峰は駅のホームにいた。電車の運行状況が平日であるにも関わらず、休日ダイヤに切り替わっていることで今が正月だということを知れた。それだけ伊賀吉峰という男は働き、その働きこそが命だと考えている。
「正月を知らないのか?伊賀。俺が教えてやろうか?」
「なんですか?」
「正月はちゃんとした休暇がある時期なんだぞ。ということで、俺もお前の警護を一日休ませてくれ」
「王くん……あなたねぇ」
正月は一般的な会社もお休みになる時期だ。
「我々はそーゆうところじゃありませんよ。缶コーヒーを買ってきなさい」
「お前の警護は楽じゃねぇからだよ、しゃあねぇな」
しかし、会社が全て休止するわけじゃない。待っている列車を動かす者がいるように、休まずに働いている者達は確かにいる。正月があることは多くの労働者が苦労して働いてきた報酬とも言える。
働くことに制限が掛かっている一般社員。その制限がない役職者。そのどちらでもなく、目的のために労働を続ける者。伊賀は、目的のみを考えているため自分に休暇はなかった。一方で王來星は一般社員の枠組みでありながら、その制限が外されていた。労働基準を完全にオーバーしているスーパーフルタイム。365日、24時間、伊賀を警護する人物だ。訴えれば勝てる。
その訴えを行動で示したかったのか、自販機で買って来たコーヒーを伊賀に投げつける。
「やってらんねぇって、顔でコーヒーを投げないでくれませんか?」
「休日だと、相方の陳までいないから神経磨り減るんだよ。普通の缶コーヒーだ」
迷惑は掛けていない。さらにはそれすらも仕事だと、伝える伊賀の顔と心は鬼社長である。働ける事は幸福だと謳いながら、多くの人間を賃金に似合わない強制労働させる畜生だ。その畜生だって、休まず働いているのだが
「私は正月……いえ、休みが嫌いなんですよ。だって、私はこーして人間共を操っている事が最大の楽しみですし、彼等の成長や出会いには喜々としていられる。ボーっとテレビを眺めたり、渡されたお金を使う事よりも楽しいですから」
「娯楽と仕事を一緒にできる人間なんてそうはいねぇよ」
「キャバクラとか、女性関係の面にしても仕事でやり合ったりしますし。パチンコや競馬といったギャンブルなんて、私ほどの人材育成者であればいつもの事です。人に賭けることなんて多い。運動不足にしても、こうした通勤や出張先が酷いもんですから徒歩も多い。走ったりもする。体力がなくては務まらない。何一つ、休みで欲する社蓄達の渇望はないんです」
理想的な職業とも思えるが、並の社蓄ではやってられないような仕事をしているのが伊賀だ。彼はこんなサラリーマンの姿をしながらも、中国マフィアを牛耳っているボス。世界的にも知られる悪党であった。ちなみに伊賀は中国人であるため、伊賀吉峰という名は偽名。護衛する王も、伊賀の本名を知らない。
羨む仕事をしているというより、誰からも嫌われる仕事をしている。そして、誰もやりたがらない。伊賀は能力的に自分が最適な生き方であると判断でき、目標も自由に一つに決められる。
先ほどあげた社蓄に起こる渇望の中で唯一挙げなかったことがある。伊賀が何を抱いているかは分からないが、目をやっていたのは反対側ホームにいる楽しそうな3人の親子の旅行風景だった。それに接して
「人間は操られる事を嫌いながら、操られる事で役割をもらえることを喜んでいます」
「?」
「本当に社会が良い加減でしたら、人類はとうに滅んでます。私は好きなんですよ。社蓄共がねぇ……有能だとより好感が持てます」
伊賀には家族がいない。
家族とはよく分からない。役割なんて、父と母と、いつか離れる子ぐらいの役割しかないはずだ。そこに愛情が本当にあるのか、ただの利害の一致で作られているのか、一生を共に過ごそうと愛しているのか?
あんな部分は見たくないと願っていたら、待っている列車がやってきてあっという間にその家族の顔を忘れてしまった。
「王くん。じゃあ、正月らしく旅行でもしましょうねー」
「伊賀。俺達は海外出張という形じゃねぇか?」
「世界中周れるなんて、私と王くんはツイてますよ。次はロシアです」
「また、ロシアかよ。勘弁してくれ、俺はあの極寒の地は嫌いだ。ダーリヤも怖いから嫌いだ。変人博士もいるし」
喋りながら乗り込んでいく伊賀と王。警護する側は軽口を叩きながらも、周囲の警戒を怠っていない。一方で護られている側はとても勝手に動き、誰も座りそうにないグリーン車に向かってアッサリと座ったのだ。あんたの持っている券は自由席だろっと、訴える目をする王だが、細かいことは気にしない伊賀は笑っていた。
「さぁ。私を護るために隣に座ってください」
「ったくよ」
空港までここから1時間とちょっとだ。
正月の伊賀は休みじゃないんだろうが、多くの国を陥れ、人材や金、資源を毟り取る超悪党な風格がなくなっていた。警護を続ける王は伊賀の愚痴や話を聞いてやることも仕事だ。
休憩もまた仕事だ。話す事も仕事だ。
「ずっと好きなまま仕事ができたら嬉しいですね」
「そうだな」
「切ない話ですけど。ある者はずっと追いかけていたからこそ、その偉大さと大変さを知って、挫折し全部を失った。ある者はやらなければいけなくなり、好きでもない事を毎日続けていたら、いつの間にか大切な事を追い越してしまったんです。世の中って不平等ですよ。けど、それが仕事と生き方なんですよねー」
伊賀は
「まぁ、好きなだけで才能がなかったんでしょう。私は今年も人間を多く発掘していきたいです。今年も、任務をお願いしますよ。王くん」
悪党であることを自負している。
だが、人が持っている大小様々な素質をちゃんと導いてやると誓った。今日から今年の12月31日までそう働こうと思っていたら、
「あ、どうやら今日は正月ではなく、成人の日のようですね?」
「やっぱり働き過ぎもよくねぇな。もう来年になっていたとは」
運行状況やニュースなどを伝える電光掲示板が映した日にちは正月を示していなかった。平凡な祝日であった。とうに正月は過ぎていた。