一狩り行こうぜ 訓練編
雪解けがもたらしてくれたものは、雪解け水の恩恵だけではない。暖かくなってきたことで、野山の冬眠していた獣たちも目を覚ます。目覚めた獣たちは餌を求めることで、自然が次第に騒がしくなっていくのだ。もちろんここは日本ではないので、熊が餌を求めて山村の人家にやってきたりすることは殆どない。ただ、魔物が餌を求めて人を襲うことはあるわけで……
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今日も、数ある演習場の一つでは、軍人と有志の市民達による狩りへ向けての訓練が行われている。この狩りは、軍主導のもので、一年の間に、春と秋の2回行われるものだ。
冬眠を行う魔物は食糧確保の為に、しばしば人のいるところを襲い、被害を与える。一重に、人間のいるところは、食糧が豊富であり、襲いやすいと知っているから。特に、春先のものは、消費したカロリーを補うために凶暴になっていつも以上に被害の報告が多くなる。そのために、毎年軍が動くわけだ。
職業軍人たちにとっては、定期的な軍隊行動の訓練かつ実践の殺し合いに慣れるために、市民達にとっては生活に関わってくる上、徴兵された時に慣れるためにに、等の理由で必死に訓練を行うという訳である。
そして、その中には当然付近を治めるフリーデン家の息子達も狩りに参加することを命じられて、訓練への参加を義務付けられているわけで、彼らも兵士達に混じって集団で槍を用いて突く訓練を行っている。
「しっかりしないか!そんな事では、実戦では凶暴な魔物共に食われてしまうぞ!」
連日の激しい訓練によって疲弊気味な雰囲気に対して激を飛ばす。それに対して「おぉー!」と返事はするものの、やはりどこか疲れている感は否めない。特に、一般市民から募った有志の兵士達の様子は顕著だ。彼らは生活が掛かっているので、必死なのは分かるが、近頃はそう戦もないし。集団での行動は苦手なためにこうなってしまっている。狩猟の日取りは近い、よって訓練はその日に近づくにつれて次第に厳しくなっていったが、その前に訓練で潰してしまっては仕方ないので、渋々ながらも休憩を取ることを伝える。
「よーし、あと五十回の素振りが終わり次第、各々暫くの休憩を取れ!半刻程過ぎたら十分おきに太鼓を鳴らすので、太鼓が三度鳴り終わるまでに集合するように、勿論隊列を組み終わっての集合だ!」
と言って教官は去っていった。あと少しで休憩できると知り、彼らの素振りに熱が入る。また鬼のいぬ間に洗濯ということで、教官がいなくなった途端に素振りをやめようとした者が多数居たが、教官のフェイントに引っ掛かり、追加で五十本の素振りを命令された者もいた。その中にはフリーデン家の長男がいた事は見なかったことにしよう。
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ふーっ、と深い息ををつき、五十本の素振りを終えたアリス・アリソンは、給水所で水を貰い、木陰で休憩を取っていた。
彼女は職業軍人である。女性が軍人として働くのは、随分と近代的だが、その理由は、女性の人権云々と言った近代的なものではない。単純に魔術の存在が女性軍人という存在を可能にしたからだ。
魔術によって戦場が苛烈さを増すこの世界では、人員の減り方が著しい。そこで、ある国で魔術の行使を専門にした女性の部隊が設立されたのが、女性の職業軍人の始まりと言われている。
実際に戦場での戦力として、魔術での攻撃の有用性は実証できており、体力に劣る面はあっても戦うことはできのだ。
だが。女性には生理などの、男性にはない問題もあり、また、戦場で性欲を抑えきれなかった男性兵士が……。などということもあったりする。
その上、従来の史観によって、女性は家で男性を助けるものだ。女らしく家で仕事をすべきだ。非力な女性が現場に来てもらっては困る。猫の手も借りたいところに猫を持ってこられても混乱するだけだ、規律を乱す。などの意見があり、風当たりが強い。
これらの要因が相まって、女性の職業軍人それほどメジャーなものではなく、取り敢えずこの国では歓迎されない。その女性部隊が初めて実践投入された国も、小さい国であって、兵士の減少が著しい為に、やむを得ないと言った具合で設立されたものだと言われている。現にここでも、雑用をやらされたりということがよくあった。
だがそんな苦行を耐えて、彼女が職業軍人として働くのは、自分の育った国を守りたい、その一心からだった。たとえ非力であったとしても、自分が国の為に働けるのならば、と周囲の強い反対を押し切って軍人となった。それで親と大喧嘩して勘当されたりしたが、本人は全く気にしていないつもりだ。自分の現状に対して不満はほとんどないはずからだ。
そうだ、何も悪いことは無いじゃないか。一定の階級まで行けば、後年も女性兵士の教官として安定して終身雇用だ。戦争に駆り出されて死んだとしても、この国のために死ねるなら本望。
「よぉねーちゃん、俺達と向こうでお話しねーか?」
ただ、このようなことが起こる事を除いては。三名ほど柄の悪く、頭の悪そうな奴らが話しかけてきた。リーダーらしき赤髪に、取り巻きの二人がくっついている。
普段は女性部隊の構成員と一緒に行動し、そのような奴を威圧する上、軍の厳しい罰則のためにこのようなことは滅多に起こらない。だが、いかんせん、民兵を募ると多少の規律の乱れが生じる。街のチンピラ共が今回の募兵に応じたようだ。それに、いつの間にか他の部隊員たちともはぐれてしまっていた。
だか、職業軍人になってまだ一年と経っておらず、歳も若いとは言っても、軍人としての矜持は持ち合わせているつもりのはず。例え対処に慣れていなかったとしても、こんなチンピラ共を放っておくわけにもいかない。強気で当たらなければ。
「貴方t、コホン、貴様ら、どこの所属か、名乗りな……なのれ!」
「おうおう、きれいな顔して粋がっちゃって、可愛いねー。」
「っ、私はどこの所属か名乗れと言いました。ここは軍です。どこかの大衆酒場などではないのですよ。軍中での女性兵士の扱いに関する規律は、把握していますか?」
「そんなつれねーこと言うなよ。今は休憩中じゃねーか、それに少し話したいっつーだけだろ。」
周囲が止めることを期待して周りを見回してみたが、自分が止めよう、というものはこの中にはいないようだ。こちらが視線を向けても、目を合わせようとしない。面倒事に巻き込まれたくはないという気持ちはわかるが、少しぐらいは注意してもいいだろうに……。
「そういう態度が全体の士気を下げるのです。上に進言して、軍から退去させますよ。」
「言っとくがなぁ、俺ら少しは名のしれた商家の出なんだわナッシュ商会って聞いたことあるよな。そんくらい揉み消せるっての。それに、自分で言うのもなんだけどよ、結構顔に自信あるぜ。どうよ、可愛い軍人さん。」
「気色が悪いです。また、軍内での女性兵士への過剰な絡みは、棒叩き五十回の刑です。それに、いざという時の自衛権も認められています。もし罰則に従わないと言うのなら、怪我をしますよ。」
「んだと、言わせておけば女の癖に……!」
プッツーン
……よし、決めた。向こう十年は女に対して声をかけられない位に、こいつをボッコボコにしてやる。土魔術で宙吊りにして、肉の下処理をするみたいに、全身くまなく叩いて泣かす。それから……
「……おい。」
ふと、近くで可愛らしい子供が必死に低い声を出そうとしたようなような声が聞こえた。歳は声から想像すると、十二ほどだろうか。何だろうか、と怪訝に思う。かと思えば、またたく間に周囲が熱気を帯び始め、熱風が身体に当たる。見ると、金髪の子供が、魔術を使い、腕を組んで仁王立ちしている。どうやら威圧したいようだ。こんなところに何故年こんな子供がいるのだろうか。そう思うが、チンピラのリーダーらしき一人が子供に絡んでいった。
「何だこのガキ、偉そうに、ガキは家に帰ってママのところで甘えてろ、それに魔術なんか使って何を、偉そうにしてんだ?ああ!?」
「…………。」
さっきから少年は黙りこくったままだ。
「何も言えねーのか?おい?なんか喋ってみろよ。ギャハハ。」
周囲のチンピラ共もそれに合わせて笑い出す。
「警告しても自らを戒めようとせず、その上なぜ私のような年若い身がここにいるのか、考えようともしないとはな。」
「あ!?」
「今すぐ消えるか、あそこで未だに素振りの続きをやっている奴らの元へ行くか、選べ。」
そう言うと子供は両手に身につけた籠手をかざす。すると、熱気の塊が少年の近くに集まったと思うと、リーダー格のチンピラの周囲を取り巻く。熱気にやられて、汗が吹き出し、演習場に僅かながら残っていた雪が溶け出す。
「あんだてめぇ、こんな事をして俺等の家の親父が黙ってると思うのか?そもそも子供一人と大人三人だぜ、怪我しないうちに帰んな。」
「そうだ、そうだ。」
その言葉に、取り巻き達は追従するが、その言葉にこの子供は
「場を履き違えるな。ここは軍だ。お前らが普段ふんぞり返っているところではない!軍律に従わないと言うのなら処罰する。それとガキではない!せめて少年と呼べ。」
子供が大人に対して説教するというシュールな光景に対して、さっきからアリスは呆然としていた。そのせいでさっきの怒りも何処かへと去ってしまった。熱風と共にさりぬ。
すると、チンピラの周囲を取り巻いていた熱風は更に出力を上げた。中にいる者は苦悶の表情を浮かべ、衣服を放り出す。一水の魔術を使えるようで、水の初級魔術を放ったようだが、焼け石に水で、殆ど効果を発揮していない。どころか、ただでさえ蒸し暑い熱風の中が、中の湿度を上げてしまったようだ。その様子に困惑したチンピラの取り巻きは、そそくさと逃げて行った。
「おい、お前ら待て!うぅ……くそ熱い!このままじゃ蒸し焼きになっちまう、助けてくれ!」
「いいだろう、反省したら助けてやる。」
「このクソガキッ……!」
「もう少ししたら蒸し風呂の気分だけでなく、水気も飛んで干物にされる気分も味わえるぞ。」
「……っ分かった!反省する、反省するから!この熱風を出すのを止めてくれ!」
「では、行ってこい。」
「え?」
「あっちで素振りをしている阿呆っ、ゲフンゲフン、奴らがいるだろう。あれに混じって素振りを300本だ。」
「このっ……。」
クソガキ、とまでは言わなかったようだが、子供が熱風を緩めた為に、チンピラ達は服を着ようとして、地面に脱いだ服を拾おうとする。
「待て、誰が服を着ていいと言ったか。」
「いや、俺殆ど全裸じゃねーか。」
「殆ど全裸でやれと言っている。」
「はぁ!?」
「本来なら棒叩きどころではない話だが、今回はそれで許してもらうように掛け合おう。」
「何言ってんだお前?春っつってもこの寒さだぞ!雪まだ少し残ってるぞ!ヘックシ!」
「先程も言ったと思うが、なぜこのような少年がここにいるのか考えないのか?」
「ふざけんな!そんなの知らねーよ!それよりお前、後で商会でお前の身分調べ上げて、絶対報復してやるからな!ベッドで泣いて後悔してろよコノヤロー!」
「いい心意気だ、大いに結構。では行ってこい。」
覚えてろよ!と吐き捨てて、半分自暴自棄になりながら、チンピラは素振りを未だに続けている若い兵士達の元へと歩いていった。周囲にいつの間にか人だかりができ、ここから逃げるにも逃げられないようで、素直に従ったようだ。正直かなり溜飲を下げることができた。よくやったとこの子供を褒め称えたい。
それにしても、あの二人の兵士達は何時まで続けているのだろう……。もう休憩も半分は過ぎたというのに。
「ああ、あれは気にするな。大して考えることじゃない。どうせどこかの誰かが「だらけた兵士の中に素振りをやる空気を作らなきゃな!」とか体のいいサボった言い訳で墓穴を掘った結果だ。」
「どこの誰かは分かりませんが、助けて頂き感謝します。」
この子供は、なぜか少し偉そうな態度だ。だが、何はともあれ、結果的に撃退してもらったので、取り敢えず感謝の言葉を述べる。自分の言えることではないかもしれないが、こんな風に派手な事をしてしまっても大丈夫なのだろうか。
ふと、周囲を見てみると、何故か少年に対して跪くものが何名かいる。一体どうしたことだろう。それに、跪いているものは、この中にいる人だかりの中で些か階級が高い者のようだ。他の者は、自分と同様、大半のものは跪くものに対していぶかしんでいる。
あれ?この子供って、
「気づいたか、まあ、今さっき絡んできた奴らのように、私の立場を察する必要はないし、気づいても気づかなくても良いのだが。だが、敢えて名乗らせてもらうと、私はフリーデン家の次男、フレデリック・フリーデンという、語呂は悪いが以降覚えてもらえると助かる。まあ、既に知っているかもしれないが。」
アリスは、その場で少しの間、思考停止せざるを得なかった。
前回と同じです