第一章タケシ②
「よう中卒」
ヒロトが電話に出るなりタケシはそう告げた。
「中卒じゃねえし、高校中退だし」
「それって中卒と同じだろ?」
「同じじゃねえし。なんだよ」
「おまえ最近声小さくなった?」
ツッコむ声が地元にいた時より小さく感じたタケシは何の気なしにそう訊ねた。
「あんまおっきい声だせねえんだよ」
「そんなんでまともな曲書けんのかよ」
「うっせぇ、でっかいお世話だ」
受話器の向こうでは車がすぐ近くを通り過ぎていく音が聞こえる。
時折、ギターの弦が爪弾かれる音も耳に出来るが、それは申し訳程度でしかなかった。
「んで、大晦日どうするよ。そろそろうちの芹菜ちゃん抱っこしたくなってきたろ?」
タケシはようやくつかまり立ちできるまでに成長した我が子の背中を抱きながら返事を待った。
「いや、今年は帰らねぇ」
そう聞くと彼は受話器を持ち直した。
「なんでお前が帰らないんだよ。他は百歩譲ってよしとしても、お前は許せないね。まず、お前が帰らない理由が思いつかないから。むしろ帰ってこい」
「いや、帰らないったら帰らない」
「なんだよ。用事でもあんのかよ」
「いや、ない」
「じゃあ何で帰らないの? 今年はブリシャブだぜ?」
「まじか? それは上手そうだな・・・。ってとにかく、今年は帰らないんだ」
「いや帰れよ、そして来いよ。絶対来い」
「うるさいな。あ、降りた」
「なにが?」
「いや、神が降りた、まじで。とりあえずこのメロディーを書き残さないと・・・」
そんな独り言の最中に通話は途切れた。
「ヒロトくんも来られないって? 珍しいわね」
台所でレミも意外な声を上げる。
ただの音楽ニートがなぜ帰郷しない。
タケシは煮え切らない気持ちを抱き上げた芹菜にぶつけた。
娘は父親に持ち上げられ、足を宙ぶらりんにされてニコニコ笑う。
幼少時代からの悪友は地元を離れ、それぞれの理由で帰郷を断念している。
恐らく死ぬまでこの地を離れないであろうタケシの心には、漠然とした焦りと寂しさが去来していた。
「所詮、おれたちの友情なんてこんなもんよ」
一人ごちて彼は潰れた空き缶をもう一度煽る。
今度は一滴も酒が零れなかった。
「今年はみんな多かれ少なかれ生活が変わって大変な時なのかもね」
そんなことを言いつつレミが炬燵に足を入れ、新しい缶ビールをタケシの目の前に置いた。
「都会に行くと人が変わるっていうけど、ホントかな」
「何言ってんの。んなわけないじゃん。ただ、今はこっちに帰ってくる余裕がないだけよ」
レミは言いながらいつまでも開けられないビールのプルタブを引き、豪快に缶を煽った。
「今年は家族で水入らずか・・・」
ビールを取り上げながらもタケシは寂しげに呟く。
「人も少ないから質素にいきますか?」
「そうだなー」
「じゃあ、ブリシャブもなし?」
「いやあ、それは外せないね」
勢い良く反論する夫を見てレミはやはりビールを取り上げて一口啜った。
芹菜は二人の遣り取りを目で追うのがやっとで、ビールが何か大切なものに見えたのか、目を輝かせている。
「おう。芹菜ちゃんも飲むか?」
「バカいわないで。ホントに怒るよ」
「おれはきっとこのくらいから飲んでたぞ?」
「それは信じる」
そういったレミの声があまりに真剣で、タケシは苦く笑うしかなくなった。
「ま、誰かが来てもこなくても良い様にしといてくれや」
彼はビールを空にしてやはりオートマチックにその缶を潰す。
クリスマスが終わり、年末年始までの空白期間に思いを馳せると少し寂しい気がする。
昔は年中バカをやって、気がつけば年を越していた。
今年はレミが傍らで寝て、妻と二人で向かい合って酒を酌み交わしながら年を跨ぐのかとタケシは思った。
そんな年があってもいい。
そう思える自分に彼は気づく。
携帯電話の向こうで独りで過ごす旧友達を思いやりながら、タケシは酒を啜り続けた。