第一章タケシ①
瞬くと、携帯電話のディスプレイに呼出中の文字が踊った。
「おまえ今年帰ってくんの? 大晦日どうするよ」
画面が通話に切り替わると、タケシは前置きなくそう切り出す。
「ごめん、今年は帰らない」
電話の向こうはなにやら騒がしい。
マサクニの近くで大勢の話し声や、グラスがぶつかる音が聞こえる。
「んだよ。地元より大学のダチをとるのかよ」
からかい半分でそう告げると、徐々に喧騒が遠ざかっていった。
「そんなんじゃないよ。でも、一年って飲み会に呼ばれること多いみたい。それもあまり断れる雰囲気でもないやつばかりでさ」
とマサクニは笑う。
小さな頃から世渡り上手だった彼がすでに大学の先輩達から引っ張りだこの存在になりつつあるのだろうことはタケシにも想像できた。
「年始には帰ってくんの?」
「わからないけど、帰るようにするよ」
そう告げた後に電話は切れた。
タケシは携帯電話をソファーに乱暴に放り投げると缶ビールを煽ったが、飲み口からは一滴零れただけだった。
衝動に任せて缶を握りつぶす。
小気味良い音で金属がひしゃげていく。
「マサクニ、帰らないって?」
台所でレミが訊いてくる。
タケシは放った携帯を拾い上げると、今度はダイスケのところに電話した。
「今度は誰にかけてるの?」
妻は心配声を上げる。
「ダイスケ」
「ダイスケ君はダメよ。今年は絶対ダメ」
慌てて手を拭いレミは電話を止めにかかるが、タケシは取り合わない。
「うるさい。ちょっと声を聞くだけじゃ」
呼び出し音が留守番のメッセージに変わる。
「ダイスケ、いるなら返事しろや」
彼はそう言った後、ディスプレイに目をやる。
「どうした」
画面が通話に変わると、受話器から枯れ切った声が聞こえてきた。
「いるなら早く出ろや」
毎度おなじみのくだりをタケシは演じる。
「ちょっと集中してて」
いまいち力のない声がダイスケのケータイから聞こえてくる。
「おう、相当まいってるみたいだな」
流石にタケシも苦笑してそう言う。
「もう栄養ドリンクの飲みすぎでお腹タプンタプンだよ」
冗談を言っている間もダイスケは参考書を捲っているようで、紙が擦れる音が時折聞き取れる。
「おまえ、ここに来て面白いこと言える様になったじゃんか。その分なら今年は受かるな」
タケシは敢えてそんなことを言う。
今年の初めに大学受験に失敗して浪人生活中のダイスケに、受験の話はタブーとされていた。
が、目の前で人差し指を口に押し付けているレミを尻目に、彼は空笑いしてみせる。
「んで、大晦日どうするよ。今年はブリシャブにしようと思うんだが、どうだ?」
「悪い、行きたいのはやまやまなんだけど、今年は俺はパスするよ」
面白くない答えをまじめに言ってダイスケは電話を切った。
「来ないって。相変わらずつまらん奴だな」
再び電話を放り投げると、タケシは膨れっ面をした。
「当たり前でしょ。本番の試験が近いんだから。今はそっとしといてあげるの。今年も落ちたらどうするのよ」
そんなことを言いながら夫と同じくらいの膨れっ面をレミはした。
「たまには息抜きしないと。詰め込んでもなにも入らないだろ」
「もう息も抜けない時期なのよ。無理やりにでも詰め込む時期なの」
「お前になにがわかる? 中卒のクセに」
「誰のせいでそうなったと思ってるの? 馬鹿で高校いけなかったあんたに言われたくないわ」
レミは娘の芹菜がもらった風船で夫の頭をシバいた後、再び台所に立った。
「バカって言うなよ、バカって」
頭を摩りながら再び携帯を手にしたタケシは、今度は幾分の期待を胸にリダイヤルボタンを押した。