ある告白…Ⅱ
「コート持ってきなさい。すぐに出かけるわよ」
慧は、鞄を下ろして中から財布と携帯電話を取り出してコートのポケットにしまいながら、言った。
黎貴は、何故かエプロンに三角巾の格好で近寄ってきた。淡いピンクのフリフリエプロンが、妙に似合って気持ち悪い。
「今すぐは…。ハルちゃんが、ケーキを焼いてくれるって……」
渋る黎貴に、慧は、ぴしゃりと言い放った。
「ケーキなんて、後からでも食べられるでしょ。急いでるんだから。ホラ、行くわよ」
慧は、黎貴のコートを持ってくると強引に着せ、台所でケーキ作りに勤しんでいるハルちゃん――こと、深陽に声をかける。
「母さん! 黎貴連れてタッキーん家行って来るー」
「あ、ちょっと待って。クッキー、もう少しで焼き上がるから、それだけでも持っていって」
「急いでるから、また今度! 行ってきまーす」
ズルズルと慧は、問答無用で黎貴を引っ張っていく。
「…一体…何なのだ……」
すっかり虜になってしまっているケーキを食べそこねてよっぽど腹に据えかねたのだろう。
黎貴は不満そうに呟く。
「さぁ、私も聞いてないからなぁ。一体何なんだろ? 知ってる?」
一緒に慧も首を傾げる。それに、脩一も同様の仕草をする。
「父さんが『今日は慧ちゃんと黎貴君にウチに寄って貰いなさい』としか言わなかったからなぁ。俺も知らないよ」
「伯父さんがねぇ…」
思い当たる事がない三人は、ただただ首を傾げるだけだった。
慧と黎貴のご指名という事は、何か黎貴や神仙に関わる事であろうというのは想像がつくのだが、内容まではまったく見当がつかない。
「こんにちはー」
お邪魔します、と言いながら、慧は瀧沢家へと入った。
脩一が先頭に立ち居間に入ると、炬燵では瀧沢家当主で脩一の父である総一と龍族の頭である老婆の龍嫗がぬくぬくとくつろいでいた。
「三人とも、寒いだろう。早く入りなさい」
遠慮なく慧たちは炬燵に入る。
小さい炬燵ではないので、五人程度ならば余裕を持って入れる事が出来るはずだったのだが。
慧は、ムッと脩一を睨み付けた。
「ちょっと、タッキー。あんた、私と黎貴んトコに入んないでよ。狭いでしょ」
「俺だって、そっちに入りたいんだよ~」
ぎゅうぎゅうと押し入ってくる脩一と慧の身体に挟まれて、黎貴は、苦しそうに呟いた。
「……狭い……」
それを確かに耳に収めて、慧は勝ち誇ったように言う。
「ホラ! 黎貴もそう言ってるじゃない。あんた、図体でかいんだから、一人でそっち入ってなさいよね!」
「え~」
「『え~』じゃない!」
脩一は、渋々慧や黎貴と並んで炬燵に入るのを諦め、一人で寂しく別の所に入る。
落ち着いた所で、総一は、おもむろに一枚の紙を取り出した。三人の前に広げる。
「これを見て」
『今朝未明、○×駅付近のマンション、ハイツ・ねばぁらんどで女性の遺体が発見された。亡くなっていたのは、このマンションに住む会社員、鈴木里菜さん(25)で、悲鳴を聞いて不審に思った近隣住人が警察に連絡し、里菜さんが死亡しているのを発見した。里菜さんは、首を絞められた痕があり、それが直接の死因のようである。なお、全身を紐のようなもので縛られた痕がある事から、警察は、怨恨による殺人事件とみて、捜査を行っている』
事件の概要は、大まかに言えばこのようなものだ。
「この事件のことは知っているよね?」
「はい。朝、テレビで見ましたけど…」
総一の言葉に要領を得ないなりに、慧は肯いて新聞記事を手に持った。それで、気付いた。紙は、一枚だけではなかった。合わせて四、五枚程の紙がホッチキスで止められている。パラリと捲ると、載っていたのは、被害者のプロフィール。マンションの見取り図、司法解剖の結果など。
慧は、ガバッと総一を見つめた。
「これ、警察の捜査資料じゃないんですか!?」
総一は、平然としたものだった。
「おや、良く分かったね。これが警察の資料だって。前にも見た事があるのかい?」
「ありませんよ! でも、見れば分かります。ドラマで見た事あるし。…そんな事よりも、どうして警察の捜査資料が手に入ったんですか!? これを私たちにやって、何をさせたいんですか!?」
総一に代わって、龍嫗がさて、と口を開けるとキッパリと、しかし、衝撃の一言を言い放った。
「この事件、そちらに解決して欲しいのじゃ」
「は?」
「え?」
「――――!?」
三者三様の反応。しかし、その思う所は一つだった。
「警察の捜査も難航しているような殺人事件を、私たちみたいな素人が解決出来る訳がないじゃないですか!!」
龍嫗は、冷静だった。
「いや、言葉が間違っておった。犯人を捕まえるのは、そちらでなければならぬ」
その龍嫗の意味深な口ぶりに、慧は、ピンとした。スッと、目を細める。
「それって、どう言う…? まさか…。もしかして、龍嫗、この事件の犯人、分かってるんですか!?」
その言葉に、黎貴も脩一も驚いた。総一だけが、全てを知っているらしく、ただ黙って龍嫗と三人を見守っている。
「天界においで遊ばす太白神より、御使者がいらせらての。使いの大蛇が、誤って地上へ堕ちてしまったそうなのじゃ。元々、大蛇は気性が荒くて太白神ですら手を焼くほど。それが下界へ堕ちてしまい、何か災いが起きねば良いがと苦慮しておったのじゃ。そこに、この事件。恐れていた事が起きてしまった」
慧は、ようやく納得した。被害者の息を止めた紐も、体の自由を奪っていた縄も、見つからなかったと言う。それが、大蛇の仕業だったと言うのなら、事件は驚くほど簡単になる。
総一が、実はね、とようやく内部事情を明かしてくれた。それは、驚くべき事だった。
「天界の者が起こした事件は天界の者が始末をつけるのが掟なんだ。でも、成獣は『力』を揮う事はご法度。今、天界の者として地上で『力』を揮う事の出来るのは、この辺りでは黎貴君しかいない。だから、長官には無理を言って捜査資料をコピーさせてもらったんだ。…実際、この事件は警察じゃ解決出来ないしね」
総一は、総務省の官僚だ。表向きは大きな役職にもついてはいないのだが、神仙を束ねる家の一つである瀧沢家の当主であるから、ともすれば大臣にまでも直接物を申せる立場にあるのである。
今更ながらに瀧沢家の偉大さに気付く慧である。
コホン、と龍嫗が咳払いして注意を呼び戻す。
「兎も角、天に住まうものが地上へ故なく堕ちるも、人を殺めるも、罪。黎貴、慧、脩一。彼の大蛇を急ぎ捕らえ、天界へと送るのじゃ」
龍嫗は、きっぱりと言う。慧と脩一は、慌てた。
「そんな、あっさりと言わないで下さい!」
「そうですよ! どうやって大蛇を、しかも、こんな広い町の中で探せって言うんですか!?」
二人の言葉に、龍嫗は、やけに落ち着いた様で答えた。
「大蛇は、まだ死者の部屋におる。そこに行けばよいのじゃ」
「でも、天界に送るって、どうやって――」
神仙と言っても、不思議な力も持っていない。そもそもが仙人となる資格を持った普通の人でしかないのだ。本当の仙人のような仙術も会得していなければ、そもそも天界にも行った事がない。
それが分かっているであろう龍嫗は、事もなげに言った。
「その為に黎貴がおるのであろうが」
「――はい?」
二人は、ポカンと顔を見合わせ、そして、黎貴を見つめた。いきなり注目を浴びて、黎貴は、身体を強張らせる。ダラダラと冷や汗を流す黎貴を見て、龍嫗は、溜息を吐いた。
「黎貴…。我ら龍も、確かに神じゃ。それも、天界の、な。神ならば、左様な事、朝飯前であろうが。通力の使い方も、我はしかと教えた筈じゃ。よもや、忘れたとは言わせぬぞえ」
「…それは……覚えているが……しかし……」
小さな言葉で、黎貴は呟く。龍嫗は、黎貴を励ましはしても甘やかしはしなかった。
「これが良い機会じゃ。黎貴、努力しや」
「でも、龍嫗――」
どこか切羽詰ったように、黎貴は、龍嫗を呼ぶ。その心を察したのだろうか。ふと、龍嫗は、表情を柔らかくさせた。
「…大丈夫。そちなら出来る筈じゃ。畏れるでない。何しろ、そちは、この婆が見込んだ子じゃからのう」
くしゃり、と皺だらけの手を伸ばし、黎貴の髪を撫でる。しかし、黎貴は、泣きそうな顔で俯くだけだった。その肩は、何かを恐れているように小さく震えていた。
太白とは、金星の古名である。その金星を神格化したものが、太白神だ。古来より、金星は、厄災を呼ぶものとして忌まれてきた。つまり、太白神は、禍つ神。その使いとなれば、おのずとその性格も善くはなかろう。凶暴さにも納得が行くと言うものだ。
「黎貴? 黎貴ってば。何か分かんないの?」
「……」
先刻から、黎貴は、沈黙を貫いている。脩一は、ふぅ、と息を吐いた後、二人に言った。
「とりあえず、事件の現場に行ってみよう。捜査の基本だしな」
じっとしていても仕方がない。行動あるのみだ。慧も、黎貴も、異論は無かった。足を、駅付近のマンションに向ける。
この市内で起きた事件だ、事件の起きたマンションは、行った事がないなりに場所はよく知っていた。
「――あ」
マンションの周辺には、まだ黄色いテープが張ってある。そして、慧が小さく声を上げたのは、そこに見知った顔を見たからだった。