ある告白…Ⅰ
黎貴の重大な告白。そして、文也の意外すぎる正体が明らかになる!?
『今朝未明、市内のマンションで女性の絞殺遺体が発見されました。亡くなっていたのは鈴木里菜さん二十五歳で――』
朝、慧が寝惚け眼で食卓に着くと、流れていたニュースが耳に飛び込んできた。
「あら、嫌ねぇ」
テレビに眉を顰めながらも、どこか呑気に深陽が言って慧の前に味噌汁を置いた。
朝に弱い慧は、大きな欠伸をしてから箸を持った。
「おはよ、母さん。黎貴も」
「おはよう、慧…」
黎貴は、すでに食事を終えようとしているところだった。ぼそりとした返事も、眠い慧にはいつもほど癪には障らない。
深陽は、慧ににこやかに挨拶を返して台所へと引っ込む。
その間も、ニュースは続いていた。
『――警察では、怨恨による殺人事件として捜査を進めています。それでは、次の――』
「殺人事件だって。やぁねぇ」
慧は、目玉焼きをつつきながらようやくはっきりしてきた頭で感想を述べる。その感想が深陽と全く同じである事には気付いていない。
黎貴は、じいっとテレビ画面を見つめていた。まだまだテレビが珍しいのだろうか。
慧は気にも留めなかった。
「慧。帰り気を付けなさいね」
「はーい。分かってる」
そう返事をしてから、時間に気付いた慧は、慌てて朝食をかき込んだ。
***
いつもよりも少し早く学校に着いた慧は、教室の戸を開けて目を見開いた。
いつもより早いと言ってもそれほど早く来た訳ではない。なのに、教室には一人しかいなかった。
「あ、お早う。倉橋さん」
いたのは、最早すっかりとクラスに溶け込んでしまっている転校生の岩井文也だった。
女の子と見間違うくらいに可愛らしい顔立ちの男の子で、一見すると人畜無害そうに見えるがやはりどこか得体のしれないものがあるのも事実だ。
そう感じているせいか、慧はまだ文也に心を許す気にはなれなかった。
「…おはよ」
短く返し、慧は席に着く。
慧の席は文也の隣だから、色んな意味で運命の悪戯としか言いようがない。
鞄から教科書を出して机の中に仕舞う。
その間、二人とも無言だった。
そう言えば、と不意に文也が口を開けたので、慧は文也の顔を振り返る。
「今日のニュース見た? 女性が殺されたって事件」
「あぁ、あれね。うん。意外に現場が近くてびっくりした」
何を言われるのだろうと思っていた慧は、他愛ない話題に少し拍子抜けしてしまった。
「そうだね。犯人もまだ捕まってないって言うし…。怖いね」
文也は、肩をすくめてみせる。
「でも、怨恨による殺人事件でしょ? 私たちには関係ないわ」
「そうだね。…そうだと良いんだけど…」
文也は、妙に意味深に呟く。
しかし、慧にはただの心配性にしか聞こえなかった。
「警察が血眼になって犯人捜してるでしょ。もしかしたら、もう捕まえてるかも。心配ないわよ」
「うん。頑張ってね」
「――…はい?」
今の会話、どう考えても成り立っていない。
何を頑張れと言うのだ。
文也は、時たま――いや、そう言えば出会った時から不可思議で妙に意味深な事を慧に言っていた。
他の人に聞いてもそんな事はないと言うから、そんな事を言うのは慧だけらしいのだが。
これまで、不思議に思いながらも周りに人がいて訊けなかったが、今なら人はいない。
「あの、岩井クン?」
「なぁに?」
文也は、「変な事でも言ったかな」と言わんばかりの可愛らしい顔で小首を傾げてみせた。
まるで、自分が可愛らしい事を知っていて、反論を許さないようだ。
しかし、それくらいでやられるほど、慧は乙女ではない。
「ねぇ、今の頑張れって――」
「おっはよーう! あれ、慧も文也君も早いねー」
慧が尋ねようとした瞬間、突如として教室の戸が開いたかと思うと、クラスメイトが無駄に明るい声で入ってきた。
慧は、脱力した。
いつもこうなのだ。
慧が文也の言葉の核心を探ろうとする度に、どこからともなくタイミング良く邪魔が入る。
まるで、図られてでもいるかのように。
慧は、今回も追及を諦めたのだった。
お昼休み、慧は、げんなりと弁当をつついていた。
深陽(母)特製の、幼稚園児のようにカラフルな弁当が嫌な訳ではない。
寧ろ、子供っぽいと言われそうだが、大好きだ。
しかも、今日は、好物まで入っているのに。なのに、それにさえ手を付けていないのは、結局の所、外的要因によるものだった。
「岩井君のお弁当って、いつもバランスしっかり考えてあるー、って感じだよねー。自分で作ってるの?」
「独り暮らしってホント?」
「えっ、文也君って、独り暮らしなの!? すごぉい」
隣の席から聞こえてくる、華やかな嬌声。
転校してから、もう数週間が経つと言うのに、文也を取り囲む女の子たちの熱は、まだまだ引かない。
「慧~? さっきから箸が進んでないよ」
大丈夫、と訊いてくる友人の松永和世に、慧は、「んー」と唸り返した。
「タコさんウインナー、貰っていい?」
「ダメ」
慧は、今日の弁当の中で一番の好物である、蛸の形をしたウインナーの頭の部分に箸をぶっ刺して、乱暴に口の中に放り込む。
和世は、ちら、と隣の女の子たちを見遣った。
「…それにしても、全然収まんないね、コレ」
箸で、隣を指した和世に、慧は、心の底から肯いた。和世は、続ける。
「確かに、岩井クンって、可愛いし、雰囲気もちょっと他の男子と違うしねー。でも、私は、岩井クンよりも――」
不意に、和世が言葉を切った。
それと同時に、肩を叩かれる。首だけで振り返れば、ぷすりと、何かが頬に突き刺さった。
人差し指だった。
「や~い、引っ掛かった~!!」
振り返ると、従兄の脩一が、やたら勝ち誇った顔で叫んだ。
慧は、固まった。
途端に、すぐ傍で黄色い声がした。
和世は、実は脩一の熱烈な信奉者なのだ。
「タッキー先輩! どうしたんですかぁ❤」
語尾に、怪しげなピンク色の模様をつけてされた問いに、脩一は、フッと髪を払った。
カッコ付け方が一昔以上古いのは気のせいだろうか。
「君たちがあまりに可愛いから、ちょっと話がしたくてね」
再び、きゃぁぁと言う嬌声がする。
得意の絶頂にいた脩一は、不意に、ガシッと指を掴まれた。それと同時に、寒気が襲う。
「…………タッキー…。これは一体、何のマネなのかしらー………?」
「け、慧…!」
脩一は、震え上がった。
いつもだったら、これ位の事では怒ったりしない慧なのに、今日の機嫌は最高に悪かったようだ。
地雷を踏んでしまった。
「いや、あの、嘘! 嘘ですっ。ちゃんと話があって…!!」
ごめんなさい、悪ふざけし過ぎました、と土下座する勢いで謝る脩一。
先輩としても、男としても、かなり情けない姿だ。
しかし、脩一は、幼馴染のこの慧には、どうしても頭が上がらなかった。
これが日常風景なので、和世は腐りながらも微笑ましく二人の遣り取りを見つめている。
「ふぅん?」
慧は、指に力を込める。
「イタ…、痛い、慧! ちょっと…離して下さい、慧ちゃん!!」
折れる、と連呼する脩一の目が潤んでいる。少しやり過ぎたかと思って、慧は、指を離してやった。
脩一は、涙目で握られた指をさすり、慧をキッと睨みつけた。
「ホントに折れたらどうしてくれんだよ!?」
「で? 用件は?」
慧は、脩一の文句など、聞いてやらない。脩一は、無視されてへこんだが、すぐに真剣な眼差しをする。
「慧。今日、一緒に帰ろう!」
「――ハァ?」
真剣な顔をして何を言うのかと思ったら、そんな事か。
慧は、拍子抜けした。いつも一緒に帰っているのに、今更、改めて言わなくても、脩一を置いて帰ったりはしない。
しかし、脩一は、いつになく真面目だった。
「絶対だからな!? 絶対一緒に帰るんだからな! 迎えに来るから、先に帰るなよ!!」
「あー、はいはい。分かったわよ。待ってれば良いんでしょ」
慧は、面倒臭そうに、頷く。
脩一は、最後に絶対だからな、としつこいくらいに叫んで教室から消えて行った。
ふぅ、と大きく溜息を吐いた。
「相変わらず、仲良いよねー。慧とタッキー先輩」
その言葉に、慧はゲッとあからさまに嫌そうな顔をしてみせる。
「冗談でしょ? 仲良いって言うか、アレは腐れ縁なの。イトコに生まれた運のツキ」
「慧って結構意地っ張りだよね…」
呆れたように和世が言う。
図星を指された自覚がある慧は、ギロリと和世を睨み付けた。
生まれる前からの付き合いなのだ。脩一と仲が良い云々の話は、次元を超えていると言う事だけは確かだろう。
しかし、と慧は脩一の事を思い出すと、何故だか疲労に襲われる気がする。
本当に、嫌なヤツじゃないのに。
「ただいまー。黎貴、いるー?」
約束通り脩一と一緒に帰った慧は、そのまま家に帰った。玄関で脩一を待たせて、靴を脱ぎながら奥へと呼びかける。
黎貴は、台所から、ひょっこりと顔を出した。
「……お帰り、慧。…脩一も」
黎貴は、もうかなり脩一に徐々に懐いていた。
脩一が、面倒な性格ながら慧よりも人が好く、とっつき易いと分かったからかも知れない。