聖夜の怪…Ⅲ
「働いて働いて、ようやくお金を貯めて指輪を買って、『結婚してください』って…言うつもりだったのに…」
婚約指輪になるはずだったものがなくなってしまったのだ。それは、尚更成仏できないだろう。家森は、しょんぼりした。
慧は、慰めるように家森の肩を叩こうとして、体を通り抜けてしまった。驚く。さっき触れたのは、嘘だったのだろうか。
「…ま、まぁ、そんな事なら仕方ないわ。わたし達も探してあげる」
「え!? そんな事いうけど、慧――」
脩一は止めかけるが、慧にずいっと迫られる。
「困ってる人は助けてあげないと。それに、黎貴だって、幽霊ごときに気絶してもらっちゃ困るの。この際だわ、克服してもらいましょ」
まぁ、確かに。脩一はうなずきかけて、最大の問題事項に気付いた。
「でも慧。探すのは良いけど――」
「じゃ、決まり!」
「え」
脩一の言葉は、綺麗に無視される。あまりの仕打ちに脩一はこれ以上何も言えなくなり、慧と家森の間でのみ着々と相談が進められていく。
気のせいか、さっきよりも背中の黎貴が重くなったような気がした。
慧が、何もない空間を向いて誰かと会話をしている。
駅をブラブラ歩いていた慧の級友・岩井文也は、それを目に留めて足を止めた。
「ん? 倉橋さん…?」
小さく名を呼んだ文也は、何かに気付いたかのように眼を細めた。
「ほんっと、情けないわね。幽霊ごときで気絶なんて」
「……」
黎貴に対している慧は、怒っているというよりも呆れている。黎貴は、我ながら情けないと思ったのか、しょんぼりと項垂れた。
「怖いって思うのもわからなくはないけど、あんたは龍で、神なのよ? 幽霊くらい、まともに対峙できるようにならなきゃ。笑われるわよ」
「……」
黎貴は黙っている。しかし、その沈黙は、さっきとは違う気がする。激しい憤りのような、強い感情が底にある。慧は、挑発した。
「それとも、笑われていいの? 弱虫、泣き虫って」
「………っ」
一瞬息を呑んだ黎貴は、激しく首を振って声を絞り出した。
「…いやだ…っ…!」
常にない強い感情に慧は驚いたが、ありがちな負けず嫌いだとしか思わなかった。今なら、黎貴の幽霊に対する恐怖が克服できるかもしれない。神獣なのだ、ただの人よりも不思議には強いはず。そう信じて。
「じゃ、今から家森さんに会いに行きましょっか」
「え!?」
黎貴は、強がったのものの、心の準備はしていなかった。サアッと顔を蒼ざめる。慧は、そんな様子にイラッとして、あえて無視する。
「作戦会議よ。行きましょ」
すでに慧に逆らえない黎貴は、項垂れた。
さぁさぁと、黎貴い強引にコートを着せ、慧と黎貴は寒い中出ていく。
途中、慧はふと黎貴に尋ねた。
「ねぇ、黎貴。どうして幽霊が怖いの? 体もないし、害を加えられる事も――特に、神獣のあんたなら、ないはずじゃない。それに、天界では見慣れてるんじゃないの?」
なかなか漢らしい発言だ。そう思えるのなら、誰も幽霊など怖がらない。黎貴は、そう思いながらも、その事は口にしなかった。
「…私が住んでいた水晶宮には、幽霊はいなかった…。そもそも…、天界にはあまりいない…。だから…見慣れて、いるわけではない…。幽霊は…、わけがわからないから…怖い…」
「そんな事言ったら、私にとっては、あんた達神獣もわけがわからない存在よ」
納得して聞いていた慧は、ズバッと切り返す。『わけがわからない』と言われて落ち込む黎貴に、慧は笑う。
「冗談よ。…確かに、暗がりで『うらめしやぁ』って出てこられたらすごく怖いかも知れないけど、今は周りも明るいし…一人じゃないじゃない? 大丈夫よ。家森さんはとってもいい幽霊だし」
自信たっぷりに言う慧を眩しそうに仰ぎ見て、黎貴は小さく呟いた。
「…慧がいれば…、大丈夫かもしれない…」
祟られそうもない慧を見ていると、不思議に怖さが薄れるような気がして、黎貴はうなずいた。
はや三日目。
相変わらず家森のために指輪を探しているが、いっこうに出て来ない。一日、二日は大した事ないと笑っていた慧だったが、流石に三日経って手掛かりすらないとなると、疲労の色が隠せない。
「ねーもう! 何で見つかんないかなぁ!」
「指輪って小さなモンだし、大体、ないって事は誰かに盗られたって事も…。あ、いや、あくまで最悪その可能性もあるってだけだから!」
思わず弱音を吐いた脩一は、家森のショックを受けた顔を見て慌てて言い添えた。
休憩と称して、ベンチに腰掛ける。脩一は、先に一息ついていた慧と黎貴に温かいお茶を差し出した。
ありがと、と受け取りながら、慧は手を温める。
「でも、諦めるわけにはいかないでしょ。クリスマス、もう明後日まで迫ってるし。家森さんが今年も成仏できなかったら、私たちの責任なんだから」
「そうだけどさ…」
これだけ探しても見つからないのだ。このツリーや、近くの事故現場にもないとなると、正直どこを探していいのか見当もつかない。
「ありがとうございます、皆」
家森は、しょんぼりとしながら頭を下げる。黎貴は、初対面の衝撃自体は克服したらしく、一応は何事もなかったかのようにしている。しかし、かなりまだ怖がってはいるが。
「いいのよ。いいの。これは私たちのおせっかいなんだから。それより、家森さん。他に何か思い出せないの? 最後に持ってたのはどこ、とか」
「…すみません…」
家森の言葉に、慧はハアッと息を吐く。不意に、脩一は「あ」と声を上げた。
「この近く、交番あったよな? 俺たちで探す所は探したんだし、後はお巡りさんに聞いた方がわかるかも。それに、何年も前のモンだったらあるかわからないけど、落し物で預かってくれてたりしないか?」
「あ、そっか。そうね。どうしてそれを早く言わないの!」
「今気付いたんだって」
脩一は得意げに言う。家森も、言われて初めて気付いたようだった。
そうと決まれば行動あるのみ。四人は、早速交番へと向かった。
文也は、小さなものを握り締めて微笑んでいた。
「流石に、これを見つけ出すのは、ちょっと手間だったかな」
握り締めた右手でパチリと指を鳴らすと、その手にあった指輪は綺麗に消えていた。
この交番に配属されたばかりという若い警官は、家森の事故の事も知らなければ、前任者の事も良く知らなかった。
最後の望みまで絶たれてしまった。四人は、すごすごとツリーの傍に戻る。
手掛かりも何もない。もう、見つからないのだろうか。
「…はぁ…」
大きく溜息を吐いた、その時。
不意に、突風が吹いたかと思うと、慧は、何かが隣を通り抜けていったかのような気がした。
「もう、何なのよ…」
ぶつくさ言いながら、ぼさぼさになった髪の毛を直した慧は、ふっとツリーを見上げた。
「――――……あ」
小さく声を上げて、慧は急に立ち上がると、ツリーの枝でたくさん飾りの付けられていた一枝を引っ張った。そして、何かを外す。
脩一は、慌てて傍へ寄った。
「おいおい、勝手に飾り取っちゃ――」
「これ。そうなんじゃない?」
突き出したのは、銀の小さな指輪だった。小さなルビーがついたもの。脩一もハッとして、家森を呼ぶ。家森は、見るなり、声を詰まらせた。
「これ…です…」
「何でこんな所に?」
脩一は、呆然と呟く。この木は、生木だから、指輪が去年、一昨年からあったとしても不思議はない。下ばかり見ていたので、上は盲点だったのもあるが、それにしても意外だ。
慧は、あっけなさ過ぎて肩を落とした。気のせいじゃなく、これまでの疲れがどっときた気がした。黎貴も脩一も、疲れた顔をする。
「あー、もう、疲れたぁ…。灯台下暗しだったわけ?」
「そんな事ありません」
家森の言葉に、三人はハッと彼の顔を見る。家森は、なぜか持てないはずの指輪を持って、三人に晴れやかな笑顔を見せていた。
「私のために、皆必死に探してくれた事、俺は忘れません。…って、俺、死んでるから、意味ないか…」
「いや…」
不意に、小さな声がきっぱりと否定する。これまで、あまり喋らなかった黎貴が口を開けた事に、家森はもちろん、慧と脩一も目を見張った。
三人の注目を浴びて、黎貴は急に怯んだ。もごもご口ごもるのを、慧は優しく目で促す。
「…だ、だから…。どんな事にも、意味はある…し、お前の事は…私は忘れない…」
家森は、ゆっくりと、柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます」
その笑顔をまともに見てしまった黎貴は、顔を赤らめてそっぽを向く。くすり、と慧と脩一は顔を見合わせた。
どうやら、幽霊は克服したか。
スウッと、家森の体が透け始める。あ、と声を上げた慧に、黎貴は振り向いて引き止めようとする。
「あ…、駄目だ…っ」
「いいえ。俺、いきます。皆のおかげで、俺はもう未練なくなっちゃったし。…それに、俺の事、忘れないでくれるんでしょう?」
こくり、と黎貴はうなずくだけだった。最初こそ怯えていたものの、一度は心を通い合わせたものには、ありったけの親愛を寄せる。それが黎貴。神獣だ。
もう、今の黎貴は家森を――幽霊を怖がる事はなかった。
家森の体がどんどん透けて、もう、輪郭すらなくなる。
カラン、と指輪が地面に落ちる小さな音とともに、家森は消えた。
こうして、クリスマスは無事に始まったのだった。
「何とかなって、良かった、かな?」
可愛らしい声が、風に溶けた。
こうして、これから慧たちは厄介事を次々と呼び寄せていきます(笑)乞うご期待!