聖夜の怪…Ⅰ
黎貴が下界に降りてから迎える、初めての大きなイベント。果たして、楽しめるのか!?
「…け、慧。くりすますというのは一体何なのだ?」
クリスマスツリーの飾り付けをウキウキしながらしていた慧に、黎貴は必死に訊いた。
先ほどからはしゃいでいる慧のテンションに、黎貴はついていけないのだ。
どうやら、楽しい事であるらしいというのはわかったものの、何がどう楽しいのわからなくては、一緒に喜べない。だから、黎貴は必死だった。
慧は、手を止めて何と説明しようか悩んだ後、ちょいちょいと手招いた。黎貴は、そろそろと近付いて慧の傍に座る。
「黎貴は、基督教って知ってる?」
コクリ、と小さな龍はうなずいた。
「西には、西の神がいるのだと聞いた…。キリストというのは…、その神の子だと龍嫗が言っていた…」
「まぁ、間違っちゃいないわね。クリスマスっていうのはね、そのイエス・キリストが生まれた日の事よ。皆でお祝いするの」
黎貴は軽く首を傾げた。
「…誕生日会のような…?」
「そんなとこね」
慧は明るく笑う。黎貴は、更に首を傾げた。
「なに?」
「…いや…。たかが神の子でしかない者の誕生日など、なぜ祝うのだ…? 信じていないに…」
その鋭い言葉に、慧はうっと唸った。
いつもは臆病さに隠れて気づけないでいるが、黎貴は聡明だ。それが、こんなふとした会話から気づかされる。
一方、黎貴は慧が無言になっている事に内心怯えていた。
普段は陽気で明るい慧だが、不機嫌になったり起こったりすると半端なく怖い。それこそ、黎貴は内心鬼だと思っている。
「そうね。確かにそうだわ。なんでだろう?」
慧は、ただ純粋に考え込んでいただけだった。
黎貴は恐る恐る問いかける。
「…け、慧。怒ってはいないのか…?」
「何を怒る必要があんのよ? それとも、なに? 私が怒るような事したの?」
「し、してないっ」
だんだん不穏になっていく慧に慌てて否定して、黎貴はホッと息を吐く。
慧は、まだ疑り深そうに黎貴を見つめていたが、諦めて笑いかけた。
「ま、誰の誕生日だろうが、信じてなかろうが、蓬莱人ってのはイベントが大好きな民族なのよ。しょーがないわ。黎貴も、余計な事は考えずに楽しもうっ」
「あぁ」
うなずいて、黎貴は、そのくりすますつりーなるものを見つめた。
キラキラしたオーナメント、色とりどりの電飾。
天界で育った黎貴にとっては初めて見るものばかりだ。しかし、それはなぜか心を浮き立たせる。
黎貴はだんだん楽しくなってきていた。
「…慧、その星はどうするのだ…?」
黎貴が慧の手にある大きな金の星を見つめる。慧は笑って差し出した。
「天辺に飾るのよ。やってみる?」
「良いのか…!?」
黎貴は瞳をきらめかせた。
倉橋家のクリスマスツリーは母の深陽の趣味で異常にでかい。本物のもみの木を使っているのだ。なので、当然の事ながら誰も天辺に手が届かないのだ。
慧は、黎貴に声をかけた。
「脚立を持ってくるわ。少し待ってて」
そう言って、慧は居間から出ていく。残された黎貴はぼんやりとツリーを見つめた。
ふと、そこに。
とことこと白猫のムーンが現れた。つい、と黎貴を見やる。
「ムーン…?」
ムーンがニヤリと笑ったような気がした。
瞬間。
しなやかな体をバネのように折り曲げて、ムーンはツリーに飛びついた。ツリーは、ものの見事に黎貴の方へと倒れてきた。
「わ、あぁぁぁっ!」
黎貴は、頭を抱えてうずくまった。その横を、大きなツリーが振動と共に倒れた。土台が不安定だったようだ。
どうやら、間一髪。黎貴がドキドキする胸をなだめていると、慧が慌てて駆けつけた。
「どうしたのっ!? すごい音が――、怪我は!?」
ツリーの横にうずくまっている黎貴に、慧は持っていた身長よりも高い脚立を壁に立てかけて傍による。
「…だ、大丈夫だ…」
黎貴は、心底安心したように答える。
それにひとまずはホッとして、慧は「あーあ」という顔をした。
「せっかく飾りつけしたのに、こんなにして…」
「…わ、私ではない…!」
黎貴が珍しく顔を上げて答えたので、慧はびっくりした。
「あんたじゃなきゃ誰がやったのよ?」
「あ…いや…ムーンが…」
「ムーンがそんな事するわけないでしょ」
慧がきっぱり言い放った。黎貴は、ちょっとの間呆然とした。
「あんなちっちゃくて可愛いムーンがこんなおっきなツリーを倒せるはずがないじゃない」
慧は、頭から信じてしまっていた。まぁ、その気持ちも無理からぬ事ではあるが。
黎貴は、大好きな慧に濡れ衣を着せられて慌てた。
「ち、違…!」
「あー、はいはい。もう良いわ。さっさと直しちゃいましょ」
慧は気にせずに適当に言って大きなツリーを元に戻した。このツリーがグラグラする事をもとから知っていた慧は、これくらいでは怒らなかった。ただ呆れただけだ。
しかし、異変に気付く。
ふっと黎貴を振り返ると、彼は唇を引き結んで俯いていた。ぐすり、と鼻を啜る。
慧はうんざりした。黎貴には随分慣れたが、どうしてもここだけは気に入らない。
「…私では、ない…っ!」
黎貴は、叫んで唇を引き結んだ。慧は、ツリーを立たせようとして、ハッとした。
いつものような細い声だが、こんな強い口調の黎貴など初めてだ。どうやら、本当に濡れ衣を着せてしまったらしい。
ソファで寛いでいるムーンを見れば、今の黎貴の言葉にぎっくりしているようなので、やはりムーンが犯人と見て間違いないだろう。
慧は反省した。早とちりが過ぎたようだ。黎貴の目を真っ直ぐに見つめて謝る。
「ごめん、黎貴。あんたは本当に何もしていないのね。謝るわ。疑って悪かったわね」
「……」
黎貴は、慧の殊勝な様子に一瞬信じられないというようにポカンと見ていたが、我に返ると大きく首を振った。それから、少し頬を染めた。言わないが、誤解が解けて嬉しいのだろう。
黎貴は、口下手で言葉がすぐに出てくる方ではない。それに気付くまで、人見知りのせいかと思ってかなりイライラしたが――今も、イライラしないわけではないが、今では結構慣れてしまった。慣れてしまえば、どうという事はない。
「さ、今日中にやっちゃわないと。…黎貴。脚立立ててあげるから、あんたは上から飾りつけ直してくれる?」
「上から…」
黎貴は、慧をじっと見つめる。慧は、「ん?」と首を傾げた。
「なに…? あ、もしかして、高所恐怖症?」
本性が空を悠然と飛ぶ龍なので、それはないだろうとも考え付かず、なにも考えずに慧が訊くと、ふるふると黎貴は首を振った。
「違う…。慧は?」
「私?」
きょとんと慧は自分を指したが、すぐに黎貴の言いたい事がわかったので、にっこり言う。
「私は下から飾りつけを直していくわ。二人で直したらずっと早く終わるわ。終わったら、何かおやつでも買いに行きましょ」
是と黎貴はうなずいて、二人は黙々と飾り付けを直し始めた。
天辺には金の星、さまざまな色のモール、電飾。倒れて外れてしまったとは言っても元はきちんと飾りつけされていたものだ。元通りにするのにさほど時間はかからなかった。
クリスマスまで残り少しだ。町の中も、並木などにカラフルな電飾が絡められて華やかだ。夕方近くから深夜まで点けられているので、チカチカしている。
黎貴は、こんなに明るい町も、華やかな飾りもこれまで見た事がなかった。こわごわと周囲を見回しながらも、目が輝くのを押さえられないでいる。
「あれ? 慧と黎貴じゃん」
前から歩いてくる人物に妙に見覚えがあると思ったら、脩一だった。
寒がりなので、白いロングコートをがっちり着込んだ上にチェックのマフラー、手袋までしている。気障な格好だが、それが似合うから趣味が悪い。
「どうしたんだ? 買い物?」
脩一は、爽やかに笑って慧の手にあったスーパーの袋に目をやった。慧と黎貴はうなずく。
「そう。母さんがシチューにするって言ったのに、肝心のジャガイモないの忘れてんだもん。まったくもう。ついでに、おやつも買ってきたの。タッキーは? …あ、もしかして、デート?」
「そんなんじゃないっ!」
ニヤリと笑って訊く慧に、脩一は頬を紅くして反論した。
「そりゃあ、お邪魔でしたねぇ。彼女さんはぁ? ごめんなさーい。すぐに私たち帰りまーす」
慧は、勿論、当然のように脩一の反論など無視だ。
「違うってば」
「あ、紅くなってる~。照れてる?」
「だから、違ーう!」
慧は、ひとしきり脩一をからかって満足した。毎日のように会うとは言え、冬休みが始まってからは会う回数は減ってしまった。良い玩具がなくなってしまった慧としては、傍にいる黎貴では物足りない。
「で、何なの? 手ぶらだし」
「財布と携帯くらいは持ってるよ」
脩一は言い返してから、自分を見つめている黎貴に笑いかける。黎貴は、脩一と目が合っても平然としている。流石に慣れてくれたか、と脩一は嬉しくなる。
最初の頃は、目も合わせてくれなかったのが、今では一緒にいる事を当然として考えてくれているのだ。嬉しくもなる。
脩一は、微笑んだ。
「クリスマスケーキの予約がてら、ツリーでも見に行こうと思ってさ」
「クリスマスケーキ…」
黎貴は、ポツリと呟いた。すでに何百と生きている龍だが、ケーキと聞いて目を輝かせるところなどは、見かけの年相応だ。