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ふたりの異邦人…Ⅱ

 出てきた伯父の総一(そういち)は、一見すると、ただのしがない国家公務員にしか見えなかった。

 しかし、彼が、瀧沢家の現当主である。

 総一は、二人を見ると、顔を綻ばせた。

「やぁ、慧ちゃん。良く来たね。脩一もお帰り。さぁ、上がって上がって」

 総一に簡単に挨拶を済ませて、玄関から上がり込む。

 廊下を渡り、座敷に行くと、人が沢山集まっていた。

「おや、慧。思っていたよりも早かったなぁ。脩一君も、誕生日おめでとう」

 真っ先に二人を見つけて寄ってきたのは、慧の父の綾次(りょうじ)だった。

 因みに、総一の弟である。

「ありがとうございます。叔父さん」

 脩一は、神妙な顔でお辞儀をする。

 慧は、あれ、と思った。

「何で父さんまでここにいるの? タッキーの誕生日会なら、明日でしょ?」

「父さんだけじゃなくて、ハルちゃんも呼ばれてるんだよ。ホラ、あそこ」

「ハーイ♪」

 座敷の奥から、不惑の年に近付こうとしているのに、なお小娘のように華やいでいる母の深陽(みはる)が手を振っている。

 げんなりしながら、慧は、手を振り返した。

「どうして? いくら、私たちが瀧沢家とは縁が深くても、今日は呼ばれないはずでしょ。父さんも、瀧沢の人間じゃなくなっちゃったし」

 今日は、瀧沢本家の跡取り息子の十八の誕生日。

 血が濃かろうが、薄かろうが、瀧沢の姓を掲げる者以外は、呼ばれる事はない。

 それなのに――。

 疑問符で頭の中をいっぱいにさせていく慧の様子を見て、総一が何気なく答えた。

「実は、倉橋の人間を呼ぶように言ったのは、私じゃないんだ。龍嫗(りゅうおう)なんだよ」

「龍嫗が!?」

 瀧沢家は、太古の昔から、ある事を司っている。

 それは、この国が神獣と神仙が住まう国と言うお伽話と、大いに関係が有る。

 お伽話ではないのだ。

 蓬莱国には、華王朝の皇帝を(よみ)する神獣が生活しており、その神獣を護り育てる神仙と呼ばれる人間がいるのだ。

 そして、その姓からも分かる通り、瀧沢家は、『龍』に関わる神仙の一族なのだ。

 龍嫗というのは、その地上にいる龍を束ねる長老格の老婆だ。

 龍嫗自身、数千を生きた黄龍らしいが、本性を見た者はいないので定かではない。

 龍嫗と言う名自体が、名ではなく、通称なのだ。

 慧に至っては、物心つく前に一度会ったらしいのだが、記憶にあるはずもなく、後は話に聞くだけだ。

 父も、瀧沢の人間で総一の弟だったとは言え、倉橋家に婿入りした時点で瀧沢の人間ではなくなっている。

 未だ神仙の地位を保持し、その上当主と誰よりも血が近しいと言っても、このような一族が集まる場に呼ばれる事はなくなった。

 おそらく、深陽と結婚してからは初めてなのではないだろうか。

 そんな彼を――しかも、家族揃って――龍嫗がじきじきに呼び出すなど、そうそうある事ではない。

 しかも、今日は脩一が神仙となる日だ。

 蓬莱の法律で言えば成人するのは二十歳なのだが、古くからの慣例では十八歳と言う事もあり、十八歳の誕生日に神仙として、昇仙(しょうせん)する事になるのだ。

 そして、神仙となれば、おのずと龍の雛を育てるようにと一匹預けられる。

 今日は、瀧沢家にとって、何よりも大事な日なのだ。

 それなのに、そんな日に、瀧沢について知っているとは言え、部外者の慧たちが呼ばれている。

 慧は、首を更に傾げた。

「私たち倉橋家の人間まで呼ばれるなんて、大ごとね。でも、神仙の父さんならともかく、私や母さんはいなくても良かったんじゃ――」

「――そちが居らぬと話にならんのじゃ、慧」

 静かな声が、背後から響き渡った。

 座敷に入ってきた老婆を見て、皆は一斉に静まり返る。

 真白の髪。皺だらけの黄ばんだ肌。曲がった腰。しかし、眼は炯々と光って、威厳があった。

 老婆――龍嫗は、意外にしっかりした足取りで上座に着いた。

 口を、開く。

「今日、皆を呼び出したのは他でもない。神仙となる者たちを、皆に知らせるためじゃ」

 慧は、自分の事でもないのに、固唾を呑んだ。

 脩一が神仙となる、そんな大事な場面に自分がいるかと思うと、自然と背筋が伸びてくる。

 同時に、自分が呼ばれた意味が更にわからなくなる。何か、これから龍嫗が言う事と関係があるのはわかるのだが。

 龍嫗は、ぐるりと周囲に視線を送ると、一番末席にいた慧にピタリと視線を据えた。

 慧は目線を合わせられて戸惑った。

「先頃、天帝より命が下った」

 天帝からの命、と言う言葉に、ざわめきが起こる。

 神仙は、天帝からの命を受けて拝命すると言う形を取ってはいるものの、実際はただの形式に過ぎず、十八になった者から順次拝命する事になっている。

 大袈裟な儀式もない。長い歴史の間に、すっかり慣例化してしまったのだ。

 しかし、それが、直接天帝からの命が下ったのだ。

 その事を、一応は知っている慧にも、事の重大性が理解は出来たが、それと納得出来たかは別だ。

 ざわついている人たちの感覚が掴めなかった。

 龍嫗は、スウと息を吸うと、衝撃の一言を放った。

「常ならば、脩一だけじゃ。しかし、此度は、そこに座する倉橋慧にも神仙の地位を与えよ、と」

「えっ?」

 一瞬、辺りが静まり返った。

 神仙となれるのは、血が濃かろうと、薄かろうと、『瀧沢』の名を持つ者だけ。

 秘事を知る事は出来ても、関わる事は出来ないはずだった。

 それなのに、今、瀧沢家の人間ではない慧にも神仙としての命が、それも、天帝自らの下知があったのだ。

 呆然としてしまうのも道理だろう。

 それこそ、前代未聞だ。

 総一も脩一も、聞かされていなかったらしく、ポカンと口を開けて理解できないでいる。

 龍嫗は、慧を見つめて仄かに笑んだ。

「異例なのは、天帝御自身もご承知じゃ。なれど、命は命。逆らう事は出来ぬ。皆、心するように」

 何故、自分がこの場に呼ばれたかは、これではっきりした。

 しかし――。

「龍嫗! どうしてなんですか? どうして、私まで」

 慧の声に、その場にいた全ての人間の視線が突き刺さる。

 妙な視線だった。

 龍嫗は、声を上げた慧に、チラと視線を向けた。

「納得がいかぬのは道理じゃろう。しかし、我も此度の雛は脩一だけでは心もとなかったところでのう。慧が拝命すれば、安心と言うものじゃ」

「でも――」

「反論は許されぬ。すまぬな、慧」

 皮肉げな笑みを片頬に刻むと、龍嫗は、ピシャリと言った。

「今日呼び出した件は以上じゃ。皆、ご苦労であった」

 その一言で、皆はざわめきながらも立ち上がった。

 今回は、異例続きだ。

 ひとりの雛に二人の神仙がつくと言う事自体滅多にない事である上に、その二人の内の一人は『瀧沢』の人間ではないのだ。

 どうしてこのような事態になったのかは誰にも――おそらく、龍嫗以外の誰も知らないだろうが、これまでの歴史の中でなかった事態である事は確かだ。

 おそらく、一時間もしない内に、他の神獣や神仙の一族にまで知れ渡る事になるだろう。

 慧は、ポツリと座って呆然としていた。両親が先に帰ると言ったのにも気付かないほどだ。

 放心状態なのは、脩一も同じだ。

 まさか、従兄妹で神獣の面倒を見るように言われるなんて。

 脩一と、思わず顔を見合わせてしまう。

「さて。脩一、慧。…そう、固くならずとも良い。雛を育てると言うても、大した事ではない。特別な事はせずともよい。ただ、心の赴くままに導いてくれればよいのじゃ。我は、そちらに期待しておるゆえ、な」

 そう、龍嫗は、意味深に微笑むと、すくっと立ち上がった。

「二人とも、ついて来なさい。雛に引き合わせよう」

 ずりずりと足を擦るようにして、龍嫗は歩き始めた。

 龍嫗は、この瀧沢家の中で生活している。それこそ、『神』だから、下にも置かないような待遇だ。

 幼少期を天界で過ごす雛も、神仙がつくしばらく前から、龍嫗の元で必要最低限の「人間として生きる知識」を教えられるために、この家にいる。

 龍嫗の住まいは、瀧沢の邸の奥にある小さな離れだった。しかし、小さくとも、神の住まい。清浄な空気に包まれ、きちんと掃除がなされて清潔だ。

「こんなトコ、初めて来た」

 瀧沢家には幼い頃から出入りしてきたはずの慧の呟きを聞いて、総一が笑った。

「そうだろうね。ここは、瀧沢の人間と神仙しか入れない」

 慧の父は、一応入れるらしい。

 今は、倉橋の人間だから、龍を育てる事はなくなったが、たまに、父に育てられたと言う龍が家に遊びに来たりする。

 だから、龍を見た事が無い訳ではなかった。

 しかし、今、慧の胸は期待に溢れていた。龍の雛って、どんな子なのだろう。

 龍嫗は、二人を見比べて、ニッと笑った。

「難儀な()での。少々手はかかるやもしれぬが、根は良い仔じゃ。よろしく頼む」

 慧と脩一は、顔を見合わせるとコクリ、と肯いた。

「これ、おいで。出ておいで」

 龍嫗は、離れの中へと呼びかけた。

 ガタンッと一度、中で大きな音がしたが、後はシーンと静まり返っている。

 息を凝らしているような気配がした。

 はぁ、と龍嫗は大きく溜息を吐くと、二人へと振り返った。

「人見知りがひどくてのう。…どれ、呼んでこようかの」

 ガラリと戸を開け、龍嫗は中に入っていく。

 中に入ってしばらくして、どったんばったんと物凄い音がし始めた。何か、凶暴なものが暴れているような音だ。

 慧と脩一は顔を見合わせた。なぜだか、嫌な予感がしてしまう。

 皆が、龍嫗の身を心配し始めた時、龍嫗が、肩で息をしながら誰かを伴って現れた。

「…さぁ、皆に挨拶しや」

 雛は、龍嫗の小さな背に、隠れるように縮こまってくっ付いている。

 龍嫗が小さいので、隠れきれてはいなかったが。

「………」

 雛は、何も言わない。

 見えるのは、真っ黒のポニーテール。同じく、黒い清服。

 龍の雛、と聞いて、何か変わったところがあるのではないかと期待していた慧は、容貌は普通の子と変わらなさそうだったので拍子抜けした。

 そして、首をかしげる。

 龍嫗と格闘していたらしいのは、本当にこの子供なのだろうか。

 脩一が、気合の入っている顔で、慧に囁く。

「この雛に気に入ってもらえたら、この雛を引き取る。良いな?」

「……オッケー」

 別にそんなのどうでも良いんだけど。

 そもそもなりたくて神仙になった訳ではない慧は、そう思いながらも渋々うなずく。

 面白そうだとは思うが、どうしてもやりたい訳ではないし、そもそも、自分の意志などどこにも無いのだ。

 これで、この龍の雛が脩一を選んでくれれば、脩一に全て任せて無問題モーマンタイなのだが。

「…俺は、瀧沢脩一」

「私は、倉橋慧。あなたのお名前は?」

 我ながら、小さい子に対するような甘ったるい喋り方になったと、内心苦くなる。

「………」

 雛は、やっぱり何も言わない。

 しかし、興味が無い訳ではないのだろう。じっと見つめる視線を感じる。

 無視はされていないのだろうが、案外、それよりも質が悪い。返事をしてくれる様子がないのに、慧の眉根が寄る。

「ホラホラ、声を聞かせてくれよ」

 脩一は、芸能人も真っ蒼のスバラシイ笑顔を見せている。

 ふと、雛が顔を上げた。

 整った顔立ちの、見た目は一二、三歳ほどの少年だった。

 脩一をチラと見ると、か細い声で龍嫗に呟いた。

「……わ…私は…、男は好かぬ。神仙がその者なら、嫌だ………」

 ピキッと、脩一の爽やかな笑顔が凍りついた。

 慧は、その言葉を聞いて笑った。大いに笑った。泣くほど笑った。

 おーおー、言うじゃないの、このヒナちゃんは。

 龍嫗も、若干顔を引き攣らせながらも、「では、慧じゃな」と呟いた。

 慧は、にっこりと笑う。

「良かったわねぇ、ヒナちゃん。本当は、タッキーもあなた付きの神仙だけど、男が嫌いだって言うなら、私が引き取ってあげるわ。タッキーのこんな顔見れたし」

 雛は、じっと慧を見つめた。

「……け、慧も、神仙なのか…?」

「そうよ。…ところで。ヒナちゃん、って呼ぶのもナンだから、いい加減名前教えてくんないかな」

 慧がそう言うと、雛は、ふいとそっぽを向き、ぼそりと言った。

「……黎貴(れいき)……」

「ふぅん。黎貴って言うんだ。カッコ良い名前じゃない」

「………」

 黎貴は、顔を隠した。チラリと見える耳が、真っ赤になっている。照れているらしい。

 慧は、少なからず安心した。

 喋れない訳じゃなさそうだし、反応も素直だし。

 まぁ、これなら、少し人見知りが激しいだけで手間はかかんないかな。

 慧に懐いたと判断したのだろう。龍嫗は、黎貴を自分の背後から、前へと立たせようと押し出した。

「のう、黎貴。もう、この婆が居らなんでも大丈夫じゃろう? 慧の傍に行きや。慧がこれから面倒見てくれるでのう」

「え、ここから…、出て行かなくてはならないのか……?」

 黎貴は、へっぴり腰で龍嫗の背後から出て行く事を拒んでいる。

 そんな仕草に、ピクッと、慧は眉を動かした。しかし、強いて笑顔を作る。

「出てきなさいよ。怖くなんかない。私がいるし。ウチの父さんも母さんも、優しいからさ」

「………」

 まただんまりかよ。

 慧は、こめかみに血管が浮いてくる気がした。


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