伝説と真実…Ⅱ
文也は、コクリと肯いた。
「うん。知ってると思うよ。多分、二人の知りたいと思ってる事は全部」
「だったら――」
「黎貴君も連れてきて」
え、と二人は声を上げた。文也は、再びにっこりと可愛らしい笑みを顔に張り付かせた。
「一気に全部解決させて、すっきりした方が良いと思うんだ。これは黎貴君自身の事だし、彼が話したいと思うよ。それに、彼がいないまま話をするのもどうかと思ってね。だから、ゆっくり話そうよ。明日、日曜日でしょ。僕の所に遊びにおいでよ。場所はここ」
そう言って、文也は、一枚の紙切れを差し出した。ゆっくり話せるならそれに越した事はない。二人は、顔を見合わせながら肯いた。
紙に書いてあったのは、地図と神社の名前だった。火矢神社、どこか文也と関係がありそうな別雷神社の分社だ。
「………」
黎貴は、慧と脩一に無理矢理外に連れ出されて不機嫌だ。「外になんて出たくないのに」オーラが全身から放出している。
そんな黎貴に辟易しながら、二人は、それでも黎貴の気分を浮上させようと試みる。
「ねぇ、アヤヤのトコに行くだけなんだから良いでしょ、そのくらい」
「アヤが会いたいって言ってんだから、仕方ないだろ。それに、最近会ってなかったから、お前だって会いたいだろ?」
その脩一の言葉に、黎貴のトゲトゲしかった引きこもりオーラが、少し和らいだ気がした。
「…うん……」
こくり、と小さな子供のように肯く黎貴。人見知りが激しく、慧や脩一の家族くらいにしか懐かない黎貴だったが、何故か文也だけは、初めて会った時から人見知りもせず懐いている。
慧は、その理由に文也の童顔が入っている事を疑っていなかった。それに、あの天使の微笑みは、どんな人間をも骨抜きにすると信じている。
「それにしても…」
脩一は、手に持った紙を改めて見返して、前方を見遣った。
「アヤは、俺たちをどこに来させるつもりなんだ…?」
「確かに…」
髪に書いてあるのは、神社への行き方である筈なのだが、目の前にあるのはどう贔屓目に見ても山だ。大きな山ではないし石段もあって登りやすいのだが、登って行くのにかなりの時間がかかるだろう。
確かに目的地はここだ。頂上に、かすかに赤い鳥居が見える。
しかし、これは。
「おいおいアヤ~。これ登れってか~?」
「…みたいね」
「………」
これからこの何千段あるのかも知りたくない石段を登っていくのかと思うと、今から疲れてしまいそうになる。手っ取り早く登る方法でもあれば良いのに。
ハァハァと息を切らせながら、三人は石段を登る。石段の周りは深い森で、周囲は全く見えない。しかし、空気は澄んでいるし、日陰で涼しい。
頂上から吹き降ろしてくる風は、気持ちの良い葉と太陽の匂いがする。
「ま、まだ着かないの…?」
「……もう、疲れた……」
「…いや、もうちょい…。あ、頂上が見えた…!」
へたりそうな黎貴を励ましていた脩一は、頂上の鳥居を視界の隅に認めて歓声を上げた。足が笑いそうになっている。
頂上には、文也が白い狩衣姿で待っていた。平安貴族のように烏帽子はつけておらず、少し長い髪を後ろで尻尾のように束ねている。一見してみるとお稚児さんのようだ。
文也は、にっこりと笑って持っていたペットボトルを三本、それぞれに渡した。
「ようこそ、僕のバイト先へ」
「へ?」
三人は、渡されたペットボトルを取り落としそうになる程呆然とした。
「バイト!? アヤヤ、こんなトコでバイトしてんの!?」
文也は陰陽師だから、神社で働いていても不思議はないのだが、それにしたってもう少し場所とかあるだろう。そう言うと、文也は、悪戯っぽくくすりと笑った。
「まぁ、バイトって言うか…。ここの神主さんは他所にいて、時々見に来るだけだから、実質は僕の家みたいなものになってるかな。管理も掃除もしなくちゃいけないけど、結構のんびり出来るよ。見晴らし良いし、好き放題出来るしね」
くすくすと文也は笑う。文也の事だ、仕事はきっちりこなすだろうが、何だかんだ言ってサボっていそうだ。
呆れともつかず黎貴が見つめていると、不意に文也が向き直った。あまりに唐突だったからか、黎貴は反射的に怯む。文也は、それを見てピクリと頬を動かしたが、その事については何も言わずに優しく腕を取った。
「ついて来て。ここからの眺めは最高なんだよ」
葉の薫りを含んだ風が吹き抜ける。
「わぁっ…!!」
「この神社は、山の上にあるでしょ? それに、ホラ。展望台みたいになってて、だから、町を一望出来るんだ。夜は真っ暗だから星の観察も出来るしね。一部の人の間じゃ、隠れたスポットになっているんだよ」
歓声を上げた慧に、文也は心なしか自慢げに言った。風は心地良いし、蒼い空の下に広がる町は心の無い人工物の塊なのに、何故かこの上なく美しく見えた。
黎貴は、言葉もなく見惚れている。ふっと文也は微笑んだ。
「…良かった。少し元気になったみたいだね」
「え…?」
振り返った黎貴は、顔を強張らせる。
「この前の事、脩一先輩と慧ちゃんから聞いたよ。大変だったんだってね」
「…話した、のか…?」
少し咎めるような黎貴の視線に、脩一は慌てて言った。
「だって、アヤは仲間だろ? 知ってなきゃなんないって、こんな大変な事。…でも、勝手に言って悪かったな。自分で言いたかったか。ごめん」
妙にしおらしい脩一も珍しく、黎貴は驚いたようだった。ぼそぼそと言う。
「別に…良い…。私は、話すのが得意ではないから…。慧と脩一が話してくれて良かったのかも、知れない……」
「――――」
慧は、無言で頬をピクリと引き攣らせた。それを視界の隅に認めた脩一が、ぎょっとした顔をする。黎貴は、不意に顔を曇らせた。
「…慧、脩一……。もう、私と関わらない方が…良い……。私は……呪われた黒龍だから――」
「あーもう! ウジウジうるさいわね!」
遂に慧の我慢の限界が来た。それまで俯いて話していた黎貴は、ふっと顔を上げて目を見開いた。慧は、怒っていた。
「あんたが何だろうと、私はそんな事知った事じゃないわ。私にとって大事なのは、あんたがあんたである、って事だけ。呪われた黒龍? ナニそれ。私たちは、あんたが言ってくれない事は知らないの。私たちの知らない事を持ち出して離れろですって? ふざけんじゃないわよ!」
強い声に、黎貴はビクリと体を震わせた。しかし、目は慧に吸い寄せられて離れない。
「私たちは、あんたの神仙なのよ! 何があったって、私たちだけはあんたの味方なの。あんたの事でしょうから、どうせ私たちが怪我するのが嫌とか、嫌われたくないとか、色々思ってたんでしょう。そんなの、百も承知よ。でもね、分かっているからって、離れる訳ないじゃないの! あんたは、大事な事を話してくれないじゃない。そんなの公平じゃないわ。話してもらうわよ」
怒り心頭の慧の言葉が途切れるのを待って、黎貴が恐る恐る言った。
「…何も話さなかった事を、怒っているのか…?」
慧は、くわっと目を見開いて怒鳴った。
「私たちを信じてくれなかった事を怒ってるの!!」
「………」
黎貴は、項垂れた。格段に小さくなったその背を、文也が慰めるように優しく叩く。
「これは、話さなきゃいけないね」
諭されるように文也に言われてしまえば、黎貴は肯くしかなかった。どの道、この慧の前では、話さずに済む事は出来ないだろう。
ザァッと風が黎貴の長い髪を梳く。その漆黒を目の端に認めて、黎貴は、顔を顰めた。
「――黒龍は…天界では忌まれる存在なのだ……」
「どうして?」
間髪入れず慧が訊く。黒い龍って事だけじゃない、と言う慧にそこまで説明出来ず、黎貴は困って文也をかえり見る。文也は、にっこりと笑った。
「じゃあ、僕が説明しようかな。黎貴君には少し辛いお話になるかも知れないけど、大丈夫?」
コクリ、と黎貴は蒼ざめながらも肯く。
「天界では、あんまり黒いものは良く思われてはいないんだ。黒って色は、何だか不吉な色だしね。中でも、黒龍って言うのは同じ神獣である玄武とは違って、突然変異的に生まれる黒色の神獣なんだよ。だから、悪く言うと、自然ではない存在なんだ。だからかなぁ。もしかしたら、長い歴史の中でも黒龍はそこそこいるけど、その誰もがどんな神獣よりも強い通力を持っていたのも理由の一つかも知れない…。いつの間にか、黒龍は不吉だって思われるようになったんだ」
「そんなの、迷信じゃない!」
憤慨して、慧は言う。隣で、脩一も大きく肯いている。
「全く、迷信くらいで黎貴を罵るなんて、佳影ってヤなヤツだなー」
「迷信、ではないのだ…っ」
黎貴が、血を吐くように叫んだ。え、と三人は黎貴を振り返った。黎貴は、ブルブルと震えていた。
「……迷信、では、ないのだ…。…私は一度、天界で…暴走した事があるのだ……」
三人は、黙って黎貴を見つめる。
ふと、白い雲が陽光を遮り、地上に陰が降りる。一陣の強い風が四人の間を吹き抜けていく。この前黎貴が暴走した時の状況に似ている事に気付いて、慧は緊張したが、黎貴は蒼ざめているだけで至って正気だと知ってホッとする。