神の力…Ⅲ
「…どうしたの、黎貴? あんた、さっきから何か変よ」
「……」
黎貴は、答えない。その小さな体は、小刻みに震えていた。
「ねぇ」
「……」
顔を覗き込むと、黎貴の顔は蒼いのを通り越して紙のように白かった。慧は心配になるが、黎貴はかろうじて大丈夫と小さく頷いた。
――ギィッ…
古く重い扉が音を立てる。その音だけで、三人はビクリとした。中にいる誰かに気付かれたらどうしよう。
幸いな事に、玄関ホールには誰もいなかった。その事には若干ホッとしながらも、三人は、恐る恐る周囲を見回す。
ふと、電流が走ったかのように黎貴の体が震えた。それを見咎めて、脩一が訊く。
「どうした? 寒いのか?」
「いや…」
黎貴は、蒼ざめたままだ。その顔色から黎貴を気遣おうとする脩一を、黎貴は敢えて無視した。
脩一に大丈夫だとでも言うように。
「…これから、どうするのだ…?」
その問いに、慧は困ったように振り返ってきた。正直言って、部屋が多すぎる。取りあえず、と慧は手近な部屋に視線を据えた。
「まずは、近い所から行きましょうか。…手分けする?」
部屋数が多いし、その方が効率が良いだろうと提案した慧に、脩一は待ったをかける。
「それはやめた方が良いかも。神獣を捕まえられるヤツがいるって事だろ? バラバラになるより固まってた方が安心だ」
「それもそうね」
慧は肯いた。まずはすぐ傍の部屋からと、慧がドアのノブに手をやった時、黎貴がふっと二階を見上げた。
「…………?」
その様子に気付いた脩一が、どうしたんだと声をかける。黎貴は、不思議そうな顔をして二階を見上げたまま答えた。
「……気配が…」
「気配?」
慧が聞き返したが、黎貴は首を傾げるだけだった。
「それって、佳影のか?」
脩一の「佳影」と言う言葉にさっと顔色を瞬間変えたが、すぐに首を振る。
「…分からない…。でも、上から、誰か、が…」
黎貴の言葉に、二人は顔を見合わせた。雛で、通力がないとは言え、神獣は神獣。やはり、どこか人間とは違う力があるのも事実だろう。
慧は、階段を睨みつけて、よしと肯いた。
「一階は後回しね。先に、二階を探りましょ」
「そうだな」
その言葉に、黎貴ははっと二人を見つめた。
「信じて…くれるのか…?」
それはまるで、黎貴自身が自分の言った事を信じていないかのように聞こえた。慧は、笑う。
「やぁね。私たちは、あんたの神仙なのよ」
信じて当然じゃない。
蒼白かった黎貴の頬に、少しだけ血の気が通ってきたかのようだった。
三人は、正面に見える大きな階段を上り、踊り場から右に曲がって薄暗い二階へと進む。
先頭は慧だ。脩一は、後方に注意しながら黎貴の背をじいっと見つめている。
細やかなところのある男だ。顔色こそさっきより良くなったが、おかしなところのある黎貴の事を心配しているのだろう。
「ねぇ、黎貴。どう? 気配は」
何か感じる、と訊きかけて、慧は言葉を途切らせた。
二階の突き当たりに、わざとらしく『立入禁止』と汚い字で貼り紙がしてある。慧は、その部屋を瞬きすらせずに見つめていた。
いかにも怪しい。――と言うよりも、疑ってくれと言わんばかりにわざとらしい。
廊下の床は古い木材で、どんなに気をつけてもギイギイと軋む音を立てる。三人は軋む度にハラヒラしてしまいながら、突き当たりの部屋へと向かう。
ふと、ピタリと慧が廊下の中央で立ち止まった。黎貴は、さっきからずっと何かの気配を感じて身を震わせている。
慧は、半眼で周囲を静かに見回す。
「…見られてる」
ハッと、黎貴が息を呑む。
誰がと訊きかけて、脩一はハッと黎貴を背で庇った。
誰かが、いる。じっと、鋭い視線を送っている二つの気配がある。
すっと深く息を吸い込み、慧は腹の底からの声を出した。
「誰!? いるのは分かってるのよ、姿を見せなさい!!」
「――…バレちゃ仕方ないわね」
艶やかな女の声と共に、薄暗かった周囲が急に明るくなった。邸の中の電灯が急に点いたのだ。突然の明るさに目が眩んで思わず目を細めた慧と脩一の前に、男と女が現れた。
「よく分かったわねぇ、坊やたち。…でも、ダメよぉ? 勝手にヒトのウチに入ってきちゃ」
豊満な肢体を持った美女の方が、やけに鼻にかかった媚るような声で言った。二メートルはあるかと言う大男の方は、表情一つ変わらず、口も開けようとしない。
「あんた達の家じゃないでしょ! この家は、瀧沢家の所有物なんだから。それに、ここに、人を閉じ籠めてるんでしょ? 解放しなさい!」
慧は、女にビシリと指をつきつけた。女は、にっこりと色っぽく微笑む。
「人を閉じ籠めてる? 一体何のこと?」
「しらばっくれんじゃないわよ!」
鼻の下を伸ばしそうな脩一の腕を思い切り抓って、慧は厳しい口調で遮った。女は、張り付かせていた笑みを消した。
慧は啖呵を切る。
「とっくに調べはついてんのよ。佳影の事も、あんた達がしようとしてる事は全部分かってるんだから! 勘念なさい!!」
「あたし達が一体何したって言うのよ。佳影ってだぁれぇ? …あ、もしかして、アナタ達も神獣サマなの!?」
「ボロ出したわね!」
女はしまった、と言う顔をしたが、すぐに開き直った。
「そうよ、知ってたらどうだって言うの? あたし達は、たまたま知ってただけよぅ」
女はそう言ったが、慧は女の言葉を少しも信じていなかった。神獣、神仙の事は、最重要国家機密だ。この二人は、神仙に見える筈もないが、何故知っているのだろう。
その事実だけでも、充分に怪しい。
「私の質問に答えなさい! 佳影はどこ? 何故あんた達が神獣の事を知ってるの!?」
女は、にっこりと笑った。
「まだまだお子ちゃまね、お嬢ちゃん。直球に言って、あたし達が素直に教えるとでも思ってるのぉ?」
「…言わなきゃ、痛い目見るわよ」
慧は凄む。隣で聞いていた脩一は、背筋が寒くなった。女には嚇しに聞こえているのかもしれないが、慧は間違いなく本気だ。これは、血の雨が降るかもしれない。
男の方は察知したらしい。スッと一歩前に、女を庇うように出てきた。女は、悩ましく溜息を吐いて、次に艶やかに笑った。
「…良いわ。教えてあげる。神獣サマは、確かにこの部屋にいらっしゃるわよ」
「…あんた達、一体何者?」
慧は、胡乱げに問う。女は、その質問を待ってましたと言わんばかりの笑顔で、何故かクルリと一回転した後に男と共にポーズを決めて言った。
「あたし達は、そう! 世界を支配するために、神獣の不思議な力を手に入れようと日々邁進しているス・テ・キ・な二人組よ♪ あたしは乙姫、こっちのでかいのが甲彦。あ、本名じゃなくてコードネームだからね!」
「世界征服って、んなベタな…」
脩一が、ドン引きしたように呟いた。しかも、他力本願な所が少しどころかかなりセコイ。
「…あんた達の名前も目的も、私には関係ない」
「あっ、ヒドイ」
わざとらしく落ち込む乙姫には構わず、慧は甲彦と乙姫をギッと睨み付けた。
「そこをどいて! 佳影を解放しなさい!!」
ツカツカと正面から部屋に入ろうとすると、案の定甲彦が両手を広げて遮ってきた。しかし、慧はスルリと隙間をすり抜けた。甲彦は、慧のあまりの素早さに呆然としたようだった。
ノブに手をかける。回せない事から、鍵がかかっているようだった。苛ついていた慧は、少し離れてドアを蹴破った。
ドアが真っ二つに壊れて、部屋に入れるようになる。中にいたのは、椅子に縛りつけられた茶髪の青年だった。黄色いシャツを着ていて、ドアを蹴破った慧をポカンと見つめた。
「…お前は…?」
「アナタが佳影さん?」
その言葉で、佳影は全てを察したらしかった。佳影は、答えのように笑う。佳影は、どこか冷えた目をした青年だった。笑顔も、どこかひねくれて見える。
慧は、駆け寄って縄をほどく。
「私は、倉橋慧。神仙です」
丁寧に、慧は答える。独立した神獣は、立派な『神』なのだ。黎貴とは格が違う。
「神仙…。じゃ、あの背の高い男がお前の神獣なのか?」
佳影のいる所からでは、甲彦の図体が邪魔で黎貴の姿が見えないらしい。佳影は、脩一を指差した。
慧は、首を振る。
「違います。彼は、私と同じ神仙なんです」
その時、それまで黙っていた乙姫が手を打った。
「あら! それじゃ、アナタ達は神仙で、この可愛い坊やが神獣サマなのねぇ! 道理で変わってる筈だわぁ❤」
乙姫の言葉に、佳影が不快そうに眉を顰める。
「一生の不覚だ…。こんな下衆な者たちに捕まるとは。抵抗しようにも、俺たち独り立ちした神獣は、下界の人間を傷つけてはならない。お前と、お前の神獣を待っていたんだ」
慧は、にっこりと笑った。
「では早く出ましょう、こんな所。私たちは、そのために来たんです」
「それはどうかしら? 神獣が二匹も手に入る機会を、逃す筈がないじゃなァい。やっておしまい、甲彦!」
「――――」
乙姫は、鋭く甲彦を呼ぶ。甲彦は無言で慧に、乙姫は黎貴を捕まえようと襲い掛かってきた。慧は、咄嗟に佳影の腕を掴んで飛びすさりながら叫んだ。
「タッキー! 黎貴を護って!!」
「分かってるよ!」
脩一は背で黎貴を庇いながら答える。慧の隣で、佳影が息を呑むのが分かった。同時に、手を激しく振り解かれる。慧は、ハッと佳影を振り返った。