神の力…Ⅰ
ある日龍嫗からもたらされた大事件!とうとう、黎貴が力を発揮する!?そして、ふざけた二人組の登場――。物語は大きく動き…だす?
「つ・か・ま・え・た❤」
艶やかな声が、小さく愉しそうに呟いた。
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「ねぇ、黎貴ちゃん。行く気はないの?」
優しげな声をかけられているには、黎貴の顔はあまりに仏頂面だった。膝をついて黎貴を見上げている深陽は、残念そうな顔をしている。
「…行かぬ…!」
珍しくも、黎貴はきっぱりと断る。
「そう…残念ね。せっかく制服まで用意したのに」
深陽が手に持ってるのは、近所の公立中学の制服だ。つまりは、学ラン。
神獣とは言え、表向きは普通の少年として暮らしているのだ。そんな黎貴が中学にすら行っていないと言うのは、不自然だし、友達も欲しいだろうと深陽が提案したのだが、すぐに黎貴に突っぱねられてしまった。まぁ、大抵の神獣の雛は学校には行かないから、行かない事自体には何ら問題はないのだが。
因みに、慧はそこまで気が回らなかったらしく、深陽に提案された時は少しだけ落ち込んだ。
「本当に、行かないのね?」
「……」
念を押した慧に、黎貴はしっかり肯く。慧は、小さく息を吐いた後に深陽を振り返った。
「――だって、母さん」
「無理になんて行かせられないわ。わたしも、黎貴ちゃんが行きたいかと思って、勝手に制服を用意しちゃっただけだし」
学校に行くと言ったところで、戸籍や書類を捏造しなくてはならないから、それを考えると黎貴の選択は至って正解なのだが。
それでも慧は、少し不安になってしまうのだ。
黎貴は、どうして誰かと関わるのをこんなにも恐れるのだろうか、と。
「ま、それはさて置き、黎貴。これ、着てみてよ」
そう言って、慧は深陽から学ランを奪って黎貴に差し出した。
「……」
無言のまま抵抗する黎貴に、追い討ちをかけるかのように慧の母の深陽までもが残念そうな顔で懇願する。
「黎貴ちゃん、本当に着てみて欲しいだけだから。ね? きっと似合うわ」
「そうよ、黎貴。着たって減るモンじゃなし。それくらい良いじゃない」
慧も、脇から一緒になって続けた。黎貴は観念したように、渋々学ランを受け取った。
しばらくして、その学ランを着て現れた黎貴を見て、二人は同時に声を上げてしまった。
「あらっ」
「へぇ!」
「…どうなのだ?」
小さく声を上げたままで言葉を途切らせた二人に、黎貴は流石に気になったのだろう。恐る恐る、と言った風に訊く。
「黎貴ちゃん。すごーく似合ってるわ」
「意外と、学ランも似合うのね。…あ、そっか。いっつも清服だもんね。詰め襟の服違和感なくて正解か」
慧は、妙な所で感心している。褒められて、黎貴は赤くなって照れた。ふと、深陽が言い出した。
「ねぇ、黎貴君。脩一君に見せに行ってきたらどう?」
「そうね、タッキーにも見せに行かなきゃ」
深陽の言葉に、慧までもが賛同する。
「あ…いや…」
「タッキー、見れなかったって知ったら、悲しむと思うなー」
渋っていた黎貴だったが、慧にそう言われるとうっと変な声を出した。あの脩一なら、容易に想像出来る。悲しむどころか、泣く程に嘆くだろう。それはウザ過ぎる。
「分かった…。行く…」
黎貴は、項垂れて答えた。決して、脩一の事は嫌いではないし、寧ろ一緒にいて楽しい相手なのだが、何故だろう。会う、と決めた途端に疲れたような心持ちがしてしまうのは。
内心で苦笑しながらも、慧は深陽に行ってきますと言って家を後にした。
「おー。慧。黎貴! 何だそのカッコ。中学校でも行くのか?」
脩一の第一声は、挨拶ではなかった。しかし、毎日のように会っている仲では、挨拶も不要だろう。黎貴は、小さく違うと呟く。
「ふーん。違うんだ。でも、懐かしいな。俺も着てたしな」
「…それにしても、タッキー。あんた、いつにもまして…」
慧は、ヒクリと引き攣ったような顔で脩一の服装を見つめた。脩一は、某二人組アイドルユニットのウイングではない方に似ている。彼の「タッキー」と言う渾名も、それに由来して慧が呼び始めたものだ。そんな訳で、元々の好みもあって、脩一は好んで真似をする傾向にある。結果、普段着であるはずなのに、妙に気合の入った格好になってしまっているのだ。
脩一は、首を傾げる。慧が、脩一の派手な格好に正直ドン引きしている事は、驚くべき事にまだ脩一には悟られていない。
「なんだ? 慧」
「…何でもない…」
絶句していた慧は、かろうじて答える。脩一は「そうか?」と少しだけ首を傾げながら黎貴に向き直る。
「黎貴。これ叔母さんに買ってもらったのか?」
「…そうだ。私は要らぬと言ったのに……」
肯いた黎貴の長い黒髪を、脩一はくしゃりと掻き回す。
「ま、そう言うなって。叔母さん、男の子も欲しかったって言ってたから、黎貴が来て、色々世話焼けるのが嬉しいんだろ。…いくら男みたいだからって言っても、慧じゃ息子にはなれないしな」
「…誰が、なんですって?」
後半の囁くような脩一の言葉を聞きとがめて、慧はにっこりと笑う。
「いえ、何でもないデス…」
笑顔を見せてこそいるが、その笑顔は怒りを含んだものである。黎貴と脩一は震え上がった。
「そう? 確かに何か聞こえたけど。誰かが男みたいだって…」
「気のせいだって、気のせい!」
脩一は、脇に冷たい汗が流れるのを感じながら、力強く答える。
慧の逆鱗に触れるべからず。
小さい頃から尻に敷かれてきた脩一は言うに及ばず、黎貴も慧には逆らえない。男二人、情けない限りである。
「…な、何はともあれ、わざわざ見せに来てくれてありがとな、黎貴」
強引にズレた話題を元に戻し、脩一は無駄に爽やかに笑った。黎貴も、わざとらしく恐縮したようにどういたしまして、などと言っている。
ふと、ドアをノックされたかと思うと、家政婦の清美が顔をのぞかせた。
「あの、坊ちゃま。それに、慧お嬢ちゃまと黎貴さまも。龍嫗さまがお呼びでいらっしゃいます」
三人は、顔を見合わせた。最近の龍嫗は、厄介事しか持ってこない。どうせ受けるしかないのだが、今回は何が用なのだろう。
龍嫗は、居間で待っていた。その改まった様子に、自然と三人の背筋も伸びる。
「座りなさい」
三人が龍嫗の目の前に腰を落ち着けると、龍嫗はピタリと視線を据えた。
「…探って欲しい邸があるのじゃ」
龍嫗は慎重だった。だからこそ、三人は嫌な予感がする。龍嫗のこの言葉に乗って、この間も危険な目に遭ったばかりだ。だから、龍嫗の言葉には即答しなかった。どうせ、拒否権はないのだから受けなければならないのだ。同じ受けるなら、ささやかでも意思表示をしておきたかった。
ピラ、と龍嫗は、どこにでもある一枚の住宅地図を取り出した。机の上に広げて、ある一点を示す。
「この邸じゃ。今は誰も住んでおらぬ筈の洋館なのじゃが、この邸に佳影が入ったきり、戻って来ぬのじゃ」
佳影の名を聞いて、黎貴の顔色が変わった。今にも倒れそうな程蒼白になる。その事を不審に思いながらも、慧は口を開ける。
「佳影って誰なんですか?」
「黄龍じゃよ」
龍嫗はさらりと口にしたが、その言葉に慧と脩一は驚愕した。
黄龍が、行方不明になっただと!?
「そう言えば、佳影って確か…。俺が小学生の時にウチに居た龍だよな? 髪の毛茶色で、やたら偉そうな。いじめられた記憶しかないけど…。龍嫗、その龍なんですか?」
「そうじゃ」
龍嫗は、はっきりと肯く。慧は、そうなんだ、と初めて聞く話に感心しながら聞いた。いくら瀧沢家とは血が近しくても、龍の雛と関わる事は皆無だったといって良い。
しかし、まさか、この脩一が問題の龍にいじめられていたなんて。
いじめられるような人間じゃないのに、と脩一を良く知っている慧は、その龍に少しだけ嫌な予感がした。人間の世界でもよくいる人種だが、要するに、それなのだろうか。
所謂、ガキ大将と言う存在は、神獣の中にもいるのだろうか。
「今は独り立ちしておるのじゃが、先日、怪しい邸を見つけたから調査して欲しいとの申し入れがあっての。そち等を呼ぼうと思うておった所じゃった。佳影は、勘は鋭いが少し考えが足らぬ所があってのう。無茶はせぬかと心配しておったのじゃが…」
それでは、佳影の事は尚更心配だろう。それに、龍が行方不明となれば一大事だ。
慧は、訊く。
「それで、佳影はいつから行方不明なんですか?」
「一昨日の夜には、もう連絡がつかなくなっておった。もしかしたら、心配は要らぬのやも知れぬが念の為と言う事じゃ。ついでに邸の調査も行っておいておくれ」
そう言われて、慧は、改めて示された場所を確認した。一駅行った高級住宅街の一角である。瀧沢家からなら駅も近いし、すぐに行けるだろう。
「で、この邸をどうして私たちが調査しなくてはいけないんですか? 何か、神獣に関係があるんですか?」
「昔、神獣が暮らしておった事があった邸でのう。以来、瀧沢家の所領となっておるのじゃ」
慧は、へぇ、と声を上げた。知ってたのか、と脩一に目線で問いかけると、地図を凝視していた脩一は、いいやと首を振った。
瀧沢家は旧家で、謎な部分も多い。次期当主の脩一も知らない事は、それこそ山のようにあるのだろう。恐らく、その全貌を知っているのは、当主の総一だけなのであろう。