ある告白…Ⅳ
似たようなもの、と訊いて、慧は、ハッとした。
「じゃ、あんたも神仙だって言うの!?」
ふるふると首を振り、文也は、空気を吐くように答えを口にした。
「僕? 僕は、ただの陰陽師だよ」
「おんみょーじ?」
それって、お札もって悪霊退散~ってやる、アレ?
「…何か、間違ってるとも言えないけど…」
「何よ、文句でもあるの!?」
驚くような話だったが、慧は、それ程驚かなかった。陰陽師は、慧の考えていた退魔も仕事の内だが、他にも、占いや呪い等もそうなのだ。文也の言動も、彼が陰陽師なら、納得がいったからだ。
「まぁ、僕の事は、分かってくれたかな?」
「そんなの、訳わかんない――」
混乱している脩一に、文也は、にこりと笑った。
「とにかく、助っ人って事だよ。太白が逃げられないように結界を張ったのも僕だし」
「は…!? じゃ、お前がこの結界を――!?」
文也は、にっこりと背後に花を飛ばした。
「そう。黎貴君がいれば、大丈夫かと思ったけど、やっぱり僕が解いた方が良いと思ってね」
ポカンとする面々の中で、文也は、今までで一番真面目な顔をした。人差し指と中指をピンと立てて揃え、それを口の前に持ってきて、小さく何か呟く。目の前のドアを見据える。
「――開!」
文也は、躊躇いなくドアノブを掴んだ。ドアは、あっけなく開いた。少しだけ開いたドアの向こうから、もわっと重たく淀んだ空気が溢れ出てくる。
自称陰陽師の少年は、くるりと三人の方を振り返った。その顔には、先程までのあの可愛らしい笑みは微塵も無かった。三人は、ハッと我に返って緊張を取り戻す。
「下界に降りて、おまけに罪を犯している。凶暴だろうから、気をつけてね」
「分かってる」
三人が頷くと、文也は、ようやく微かな笑みを頬に刻んだ。そして、四六二号室へと入った。
先頭が文也。慧、黎貴、脩一と続いて居間に入って、息を呑んだ。
そこには、とぐろを巻いた大蛇がいた。慧の腕程も太さがある。こんなのに絞められたら、一貫の終わりだろう。大蛇は、慧たちに気付くと、金の眼を向けて赤い舌を出した。
「…誰だ……」
低い、シューと言う息を出す音と共に大蛇は言った。
文也は、恭しく一礼して、言葉遣いを一変させた。
「この部屋の主を、何故殺めました?」
大蛇は、閉じ込められて不機嫌だった。フンと傲慢に鼻を鳴らす。
「…この部屋の者は、吾がおるにも関わらず、吾に気付かぬふりをした…。愚弄されて黙っておるほど、吾は寛容ではない…!」
鈴木里菜は、ただの人。天界のものを見る事も、感じる事も出来ない。気付かないふりをしたのではなく、本当に分からなかったのだ。
「それは、あんたの事が、見えなかったからよ!」
慧がはっきり言うと、大蛇は、怒ったようだった。
「…見えぬ筈がなかろう! 現に、その方らには、吾が見えておるではないか…!!」
文也が、穏やかだが凛と大蛇を見据えた。
「この世界には、貴方が見える者の方が少ない事を、ご存知ではないのですね。…しかし、何にせよ、天界に住まうものが故なく下界へ降下するも、人を殺めるも、罪だとご承知の筈。如何なされます」
「…む…吾が罪だと、申すか…」
大蛇は、唸る。文也は、スッと黎貴を指す。黎貴は、この後の展開が分かり、ビクリと身をすくませた。
「ここに、龍がおわします。この場に現れたと言う事が、どういう事か、知らない訳でもありますまい」
「…そこな童が…」
神なる獣には見えぬが、と大蛇は、言う。文也は、黎貴を促した。
「さ、黎貴君」
「――――」
黎貴は、何も言わず、ただ震えるだけ。文也は、初めて戸惑ったようだった。
「黎貴君…?」
慧が、文也の腕を掴んだ。少し慌てたように言う。
「駄目なの。黎貴は、通力が使えないの。何にも出来ないのよ!」
「…何だって…!? だって――」
文也は、顔色を変える。大蛇が、侮蔑の色も露わに嗤った。
「…通力が使えぬ、神獣だと…!? 何の冗談だ…!?」
シュー、と大蛇が吐く息が、黒くなる。黎貴が、小さくなった。
「…そこな童を神獣とたばかり、吾をまた愚弄するか…!! …許さぬ…!!」
鎌首をもたげ、襲いかかろうと黎貴に向かう。体が大きい割に、動きは、驚く程早い。
黎貴は、咄嗟に腕で顔を覆った。
「危ない…ッ!」
その瞬間、慧が動いた。あろう事か、大蛇に回し蹴りをかましたのだ。太白は、慧の前にあっけなく倒れた。
周りのものが一緒に倒れて散乱し、部屋はもう、片付けられる状態ではない。
「ハァァァ…」
慧は、拳を握って息を吐いた。何故か、一仕事終えたと満足げな様子だ。後ろにいた脩一が、蒼白になっている。しかし、慧は、あっけらかんとしたものたった。
「神獣である黎貴を襲おうとするなんて、言語道断! 裁きが下るわよ!」
「…小娘が…!!」
大蛇は、シューと慧を威嚇する。慧も負けずに睨み返している。大蛇が慧に襲いかからないのは、慧が強敵だと感じているからか。
一人と一匹の作る緊張状態の均衡は、崩れない。
それが分かったからか、さっきまで主導権を握っていた陰陽師が、動いた。すたすたと慧の横をすり抜け、ベランダへと向かう。
「何をする気だ?」
脩一の言葉に、文也は、ベランダの窓を開け、振り返ると、パチリと星が出るようなウインクをした。
「今回は、黎貴君の代理って事で、この場は、僕が治めさせてもらおうと思って」
何たって、僕は、陰陽師なんだしね。
文也は、可愛らしく言って、大蛇を見据えた。大蛇が、文也の様子に気付き、阻止しようと動いたが、慧が、素早く前に立ちはだかると、臨戦態勢でクスリと挑発した。
「私から目を逸らしてどうすんの?」
「……ッ…!!」
太白は、激昂する。しかし、依然としてその危うい均衡状態は崩れない。
いや、二人とも動けないでいるのだ。互いに、出方を探り、仕掛けるタイミングを計っている。
一方、文也は、パン、と一度拍手を打つと、目を閉じた。手では、複雑な印を結んでいる。
場の雰囲気が、変わる。
「オン・キリキリ・バザラ・ウン・ハッタ……」
スッと目を開けて半眼になって、合掌する。
「――――謹請し奉る。南方にまします軍荼利明王よ、いざ速やかに光臨し給え。急急如律令!」
唱えるのと同時に、ベランダに何か明るいものが落ちたように、カッと光った。ザァッと、開いたベランダから、風が吹き込む。浮かび上がるシルエットがある。
それは、全身を髑髏で飾り立てた恐ろしい姿の明王だった。召喚した筈の文也には目もくれず、大蛇に近付いていく。大蛇は、畏に打たれたように動けなかった。
「故なく下界へ降下し、人間を殺めし事、天界に於いては重罪だと存じおるか。汝を冥界へと連れて行く。裁きを受けよ」
四人に一瞥をくれると、大蛇をむんずと掴み、首に捲きつけ、来た時と同じようにベランダから出て行った。再び青い強烈な光が閃く。開いた窓から風が流れ込み、カーテンがヒラヒラとはためくのがおさまってから、文也は、クルリと振り返った。
「これで、めでたしめでたし。一件落着だね。…どうしたの?」
「すげぇ…」
脩一の言葉は、全員の心の声だった。正直、陰陽師など、見た事も無かったし、過去の遺物だ。文也の言った事など、八割も信じていなかったのだ。しかし、認識は改めねばならないだろう。
「これは、本当は黎貴君がしなくちゃいけない事なんだけどね。今回は代理って事で」
文也は、黎貴は気にしないように、何気なく言う。
「…でも、これ、龍嫗に何て報告しよう?」
慧は、ポツリと訊く。脩一は、そう言われてみて、結局何も出来なかった自分たちを省みた。少しどころか、かなり情けない。
「…ありのままを言うしかないんじゃね?」
「そうだよねー」
慧は、溜息を吐く。
「……あの……すまぬ……」
黎貴が、小さく謝った。二人は、目を見開いたが、すぐに顔を見合わせてふわりと笑った。
「良いんだよ。今日は無理だったけど、いつかは、な。こっちも長い目で見守ってるから、気にすんな」
コクリ、と黎貴は、くすぐったそうに、泣きそうな笑顔を見せた。慧は、にこりと笑っていたが、ふと、我に返った。
「でもさ。この先、また、今回みたいな依頼が龍嫗からあったらどうしよう?」
慧の言葉に、他の二人は考え込んだ。ありえる。あの龍嫗なら、絶対にまたあるだろう。
「その事なんだけどさ」
文也が、会話に割り込んできた。三人の注目を一気に浴びて、文也は、にこりと笑って言った。
「僕を君たちのパーティに入れてくれない?」
って、ゲームかよ!
と言う突っ込みはさて置き、文也は、ニコニコと続ける。
「今回みたいな事があれば、力になれるし、それに、面白そうだから」
おそらく、最後の言葉が本音なのだろう。しかし、慧たちにとっては、この言葉は、正直ありがたい。
三人は、顔を見合わせる。それぞれの表情に拒否はない、と見て取って、慧は、肯いた。
「良いわよ。…じゃ、文也――」
「違う」
文也は、首を振った。え、と訊き返す慧に、文也は、告げた。
「アヤって呼んで。文って書いて、アヤ。岩井文也って名前も間違っちゃいないけど、僕の本当の名前はね、加茂文晴って言うんだ」
文也は、そう言ってにこりと笑った。
「アヤハルねぇ…」
口の中で呟いていた慧は、不意に、良い事を思いついたかのように、にんまりと笑んだ。脩一は、全身に鳥肌が立った。こんな笑みを浮かべている慧の考えている事は、大抵ろくな事ではない。
「分かった。だったら、あんたの事は、今、この瞬間から、アヤヤって呼ぶ事にする! 良いわよねぇ?」
文也だから良いだろう、と主張する慧。勿論、反論など聞く気もない。文也は、それ程嫌そうでもなく、文句を言った。
「それ、女の子の渾名みたいだよ…」
「良いじゃない、良いじゃない。一文字増えただけなんだし?」
慧は、あはは、と豪快に笑う。
今は、散らかった部屋の事も、憂鬱になる龍嫗への報告も、忘れていたい。なんたって、ようやく一仕事終えたのだから。
それにしても、と慧はチラと黎貴を窺った。黎貴は、笑っていながらも、少しだけ暗い顔をしていた。やはり、自分の役割を果たせなかった事が素直に喜べていない原因だろう。
それにしても。
通力がない神獣の雛、とは。
これから大変になりそうだ、と慧は予感ではなく確信としてそう思った。
呪言とか、陰陽道的なアレは、あくまで私個人のアレンジによるものですので、悪しからず。