【いつ――希まれ、】
∴◇∴
「―――ここはどこだっ!!」
天空からの落下スピードを和らげようと着ていたシャツの前を外した。
思ったよりも柔らかかった地面は、心なしか暖かかった。
どこかもわからず、手にしたデッキブラシを構えれば、そこには蛇の群れ。
反射的に手にした武器を振るまえば、蛇たちは眠りについた。
いかに事前に防ごうとしたとはいえども、着地した瞬間の衝撃の全てが相殺されていたわけではない。
筋に走る痛みをぴりぴりと感じながらも、意識的に筋肉を絞めることでそれを抑えた。
警戒心のなか、暗闇からかけられた声。
「――――これは面白い」
濃い緑の匂いが立ち込める森の中で。
出会ったのは、奇怪なるかな人外の存在。
「あなたは…?」
木々の呼吸が満たす、深い深い森の中で。
濡れた土の匂いがこもる土の上。
世界から落ちた人が――――― 問いかけた。
「私がおまえを保護しよう」
答えたのは、人外。
ブルーブラックの髪。
黒々と反らさぬ眼差し。
ぴんと背を伸ばして相対した、その青年の声は低く耳に忍び込むように聞こえた。
風が吹いて、世界が変わっていたことを理解した。
ねえ、貴方。
ねえ、ご主人さま。
―――――私ずっと、あのときから知っていたのよ。判っていたの。
「…貴方はだれ?」
「私か? 私は竜族のリアディ。………ただの商人だ」
握りしめてきたその手は震えていたわね、貴方。
もう放さないと、迷子がようやく探していた親を見つけたかのように。
貴方のその手はつよくつよく私の腕を掴んで放さなかった。
「…痛いわ」
「――ああ。 …すまない」
少しだけ緩んだその手は、それでも決して離されることはなかった。
ねえ、貴方。
ねえ、ご主人さま。
本当は知っていたんでしょう?
私がずっと恋しがっていたことを。
故郷へ帰らなくてはと思い願っていたこと。
―――――貴方を毒づきながら、芽生えかけていた心を殺そうとしていたこと。
日常へ帰るために生きることを選んだ。
生きるために、働くことを選び、知恵を絞った。
異世界だなどという夢のような牢獄で、狂わないために癒しを求めた。
『おまえの精神はどうしても弱いな』
師匠である岩倉宗吾は過去の稽古の間によく言ったものだ。
『……あんまりじゃないですか?』
過去の自分は、もちろん意義を申し立てた。
『事実だろうが』
環境の変化に弱い。情に弱い。虚無に弱い。―――夢に弱く、興に弱い。
『ようは優柔不断。―――判断・根拠が弱いということだな』
それは、夏のある日。
緑が濃い影を地に落とし、涼風が次に通るのはいつかと膚が願っていた一場面。
『……』
あまりの一刀両断っぷりに、反論も忘れた日。
『まあ、そんな輩は山のようにおる。おまえだけではないわな』
『慰めのつもりですか?』
『まさか』
なぜワシがそんなことをせにゃならん。
『……』
そうでしょうとも。
あまりにも説得力に満ちた祖父の発言だった。
ちりん、と母屋の縁側で風鈴が鳴るのが聞こえた。
『弱いものは仕方があるまい。いまさら、そんなことを鍛えろということも出来ん』
ましてや成人済の不肖の弟子になんぞ、言葉なんぞで言って変わるわけもないだろう。性格なんぞ。
『性格(思考のクセ)は変えるもんじゃない。本人が変わろうとしたときにだけ変わるもんじゃ』
齢70をとうに超えたクソジジイは達観した口調でただそう述べた。
『大切なのは、今の自分が何処にいるのかを理解しているかということだ。―――いきたい道へ行くがいいさ』
夏の空気のなかに聞こえた言葉を覚えている。
『――――おまえの根には、すでに岩倉の武が宿っているのだから』
『岩倉佳永』として生きていく。
それだけが、私に望まれていた答だったから。