【み―――名乗り、】
◇◆◇
「トラオムさま。ガ―プさま。……やはりこちらにいらっしゃいましたのね」
気持ちのいい天気のなか、声をかけてきたのは女性でした。
「イオ・スさま!」
「あ、イオおかあしゃま」
陽が高く上り、陽気を増した中庭で静かに私と過ごしていたトラオムさまとガ―プさまが返事をされていました。
「………」
ぺこりと礼を返しました。
なにしろ、トラオムさまとガ―プさまの呼び声から判断すると、彼女は十分に敬意を払うべきお相手なのですから。
「初めまして。イオ・スさま」
「初めまして、佳永さん」
主人がいつもお世話になっております。
人見知りだという噂の竜族の長の第一夫人は、控え目な笑みをもって私に挨拶をしてくださいました。
…普段のバランさまへの自分の扱い方を知られたら、泣かれそうで怖いなあ。
内省しつつも、だからといって明日からの業務内容に変更はないだろうことを知ってる28歳の落人だった。
なにしろ、大老であるチェイサさまや龍形種の代表者でもあるファンリーさまに奨励されちゃっていますからねえ。
「イオ・スさま。どうしたんですかリフェールの傍を離れてくるなんて。……まさか、リフェールに何かあったんですか!?」
「え、リフェールにいさまあああ」
必死に弟を心配するトラオムさまとそんなトラオムさまの発言にさらに心配になって泣きだしたガ―プさま。
家族ですねえ。
「いえ。―――リフェール、は大丈夫ですよ」
「そうですか、よかった」
「よかったああ」
腹違いの弟を心配した子供たちが、慌ててそれを否定したイオさまにほっとしたのが見えました。
このままだと、遊び相手は終了でしょうかね。
そのように感じながら、彼等を見守っていたのですが。
「私はリフェールに頼まれたのですわ。 いま、中庭にいるお二人と、―――一緒に遊んでいる人を連れてきてください、と」
イオさまの視線が、いつのまにやら私のほうへ向いていました。
「佳永姉も?」
「かにゃも?」
何で?
不思議そうに首を全く同じ角度で曲げた兄弟を見つめ、イオさまを見つめ、ついで確認してしまいました。
「……私、をお呼びなんですか?」
長の第二子であるリフェールさまが?
「そうです」
来て頂けますか? 佳永さん。
真剣な表情の彼女に、否など言えるわけがありません。
「はい…」
それ以外には、答えられませんよ。
イオ・スさまとトラオムさまとガ―プさま、それから私の4人がそれから向かった先は、リフェールさまのいらっしゃる夫人たちの居室でした。
カラン。
押し開いたドアの上で、素焼きのベルが鳴りました。
「どうぞ」
お入りくださいな。
白い布のサリ―の下で、金糸の縫いとりを施した紫のガ―グラが翻っていました。そこから覗く細い足首には皮で編まれたサンダルの紐が結ばれているのが見えました。
「こんにちは、リフェール!!」
トラオムお兄ちゃんだよ!
「リフェールにいさま、こんにちはなの!!」
ガ―プもおよばれしたのー!
ガ―プさまを抱っこしたトラオムさまがまずは先に入られました。
私の位置からではそんな彼等の後ろ姿しか見えてはいませんでしたが。
……確実に今のトラオムさまは笑顔だ。間違いなく、満面の笑みであるに違いない。
そう感じられる声でした。
「さあ、佳永さんもどうぞ」
招いてくださるイオ・スさま恐縮しながらも、白いドアを抜けて入室した私の眼が見たものは、鮮やかな幾何学模様の渦でした。
「……ああ、見事な絨毯ですね」
つい言葉が漏れるほどに、色鮮やかな曼陀羅装飾や、抽象デザインの絨毯がそこにはありました。
顔をあげると、今度は光を通す絹の布の間仕切り。
判りやすい原色を示したようなその染色した布たちに隠れるようにして、花や光が溢れていました。
―――いかに寝室は別にあるとはいえども、少しばかり賑やかすぎる色相ではないのかと思うほどに、この部屋には色が溢れていました。
病弱であると聞いていたリフェールさまが住まわれているのですから、病院のような刺激の少ない白を基調とした色相なのではないかと勝手に思っていましたからねえ。
驚いたのですよ。
「トラオム・バラン。ガ―プ・バラン。―――――元気そうで何よりだ」
我が兄弟よ。
高く低く響く、されど明瞭に届くその声。
「リフェール!」
「リフェールにいしゃま!」
稀にしか会えない兄弟に会えた歓喜に満ちた、二人のバランの一族の声。
私の背後に立つイオ・スさまは気付かれたでしょうか。
彼の背後で笑む長の第二夫人、ミランダさまは?
「それから、―――――ようこそ。竜の里の《落人》」
耳から浸透する。
膚は知覚する。
眼球の動きが固定される。
「………あ、」
あなたは?
全身が痙攣を起こすように震えていた。
その存在に怯えて。
「……初めまして、落人どの。―――――私がリフェールだ」
しとりと濡れた硝子の箱のような、透明で不透明な鱗。
もはや歩みも出来ぬほどに萎えて硬縮した四肢。
身を守る盾のように、弛緩して広がった尻尾は銀の色をしていた。
幼さを残す小さな竜の形をしたその存在は、閉じた両眼をうっすらと開ける。
眼についたその瞳は、黄金。
額に盛り上がった球体の小さな宝石もまた同じ色。――――― 金。
「まさか、――――羽ある蛇種? 」
呆然と呟いた言葉が、優しい女性たちの悲しみに触れたなんて。
思ってはいなかったのですよ。
ごめんなさい、イオ・スさま、ミランダさま。
「それは違うな。――――― 我は、まだ竜形種だ」
6歳の筈の、その小さな仔竜は答えた。
その仔がバランの名前を継いでいなかったことを知るのは、―――――まだ少し後の話。