四:まおうさま、認識される。
服を着た女の子は、ジャンと手をつないで屋敷を歩いた。最初は抱っこされそうになったのだが「うー」と唸って拒絶したのだ。視線が高くて不気味だったらしい。
そうこうしながら談話室に入った。家族と云う事でノックなどの作法は全部略式だ。
「父上、ジル兄上、爺。集まってくれてありがとうございます」
ジャンはそう言うと目の前の三人に笑顔を向けてから、女の子を抱き上げてソファに座らせた。その後に隣に自分も座る。
「身元不明の女児を拾ったと聞いたが、どう云う事だ」
ジャンに比べて若干鋭い目つきの真ん中の男性が、威圧的な口調でそう聞いた。
「ジル兄上、説明も必要ですがその前に、このメモリージュを見て頂きたいのです」
そう言ってジャンはほんのりと橙色に光る珠を取り出し微量の魔力を注ぎこんだ。
メモリージュは冒険者がどの程度戦えるかを監視録する為の魔法が込められた珠であり、プライバシーの侵害にならないよう戦闘描写しか記録されないと言うギルドから支給されるマジックアイテムである。
そうして映し出される光景は、いつもと何ら変わりないジャンの戦闘描写だ。
「コレがなんだと言うんだ」
ジル兄上と呼ばれた男、ジュリオルス・オット・シークウェスは些か不機嫌な顔でジャンに聞いた。
不機嫌なのは昨日遊び呆けていたから書類が溜まって悲惨な事になっていると言う、自業自得を地で行っているだけなのだが、ジャンが何故ここまで不機嫌なのか知る由も無く、何か粗相でもしたか? と若干不安に襲われていた。
「いや、ここら辺は飛ばしても構わないんです。問題は此処からです」
そう言ってジャンは自分が下の階に下りる前の最後の戦闘を見せた。
「この後、俺は迂闊にも下の階に下りてしまいました。そこで大凡七つ星レベルと思われるハングリーアーウベア三体と出くわしたのです。コレがその時の映像になります」
そう言って映し出された戦闘は、集団リンチのような一方的な暴力だ。流石に家族がそんな状態になっている映像を見せられると顔色が悪くなる。
「此処までは、まぁ。馬鹿な冒険者としてはありふれた事なのですが……」
そう言って続きを見せる。一方的な集団暴力から一転。惨殺と云ってもいいような更に一方的な殺戮が一瞬にして起きた。
更に言うならばその殺戮現場を作ったのは今家族の横に座ってソファを面白そうに撫でたり縫い目を追ったりしている女の子だ。
その事実に気付いて、三人は悪夢か何かかと額に手を当てたり米神をもんでみたり目頭を押してみたりと大忙しだ。
「出会った時に丸裸であったり地上に上がった時に空に驚き光を拒んだり。その前にも見たことも聞いたことも無い魔法で俺の傷を完治させてくれたりと、常識が全く通用しません。推測になりますが恐らくこの子はダンジョンの奥で育ったのではないでしょうか」
ジャンがそう言うと今度は左側の男性が声を上げた。
「すると何か? その少女はお前でさえ勝てぬ魔物がうろうろするダンジョンで生活していたと言う事か?」
「想像に難くありません父上。俺見るなり不思議そうな目をしてツンツンぺたぺたと触ったりしていましたから、恐らく俺が初めて会った人なのでしょう。言葉も理解している様子はありませんでした」
ちなみに意思らしい思考回路もないので感情をそのままレイラインで繋げています。と言葉を続けた。
「ジャン坊ちゃまにレイラインを繋げ続ける程魔力があるようには思えませんが……もしや」
「たぶん正解だよ爺。レイラインはこの子が自主的に繋げてくれたんだ。ちなみに詠唱は『うー』の一言だったよ」
その言葉に三人は絶句した。レイライン、と云うか心を扱う魔法は難しく、長ったらしい詠唱唱えるのが普通だからだ。
その様子にすごく良く解ると同意したいジャンはうんうんと頷きながら女の子の頭を撫でた。
頭を撫でられた女の子は不思議そうな目をして無表情にジャンを見上げた。見上げられた事に気付いたジャンは、撫でる手をそのままに女の子の顔を改めて認識した。
撫でられている黒々とした長い髪は、毛先に行くにつれ縮れてお世辞にも綺麗とは言い難い。しかし髪を切れば見栄えもしよう、根元の方は絹糸のようにツヤツヤとしている。
世界の加護のおかげと云うべきか、身体に垢らしい汚れは無かったものの、土埃や敵の血などで汚れていた肌も今は陶磁器人形のようにただ白く美しいまでに復活していた。
前髪等と云う概念が無かったため、髪の毛こそ鬱陶しく伸び放題であるが、幼く見て七歳、多めに見積もって十歳程の女の子は傍目から見てもあと数年もすれば絶世の美女と歌われるであろう酷く愛らしい顔立ちだった。
愛らしい顔立ちなのに『酷く』とつくのは、その手の趣向家に狙われやすい、ある意味欠点になりうる顔立ちだからだ。
そこまで考えて、ジャンは目の前の放心している三人に言葉を掛けた。
「見た目、八歳か九歳か。そのくらいだと思うけど念のため六年前から十一年前までに居なくなった赤子又は物心つく前の幼子を探してみようと思ってます。親が居るなら一言入れた方がいいでしょうから」
ダンジョンで暮らしていたとなれば普通の子供のように成長したとはとても思えない。しかしジャンはこの女の子が世界の加護を受けているだろうと云う予想はついていた。何があったかは知らないが、普通の子供があのような力をふるう事も、ましてや人を見た事が無いと言う言動をとるレベルで記憶が無い幼子が一人で生き抜く事も不可能だと理解しているからだ。
その点、この世界は実によく出来ていた。
一度鍛えたら生涯落ちる事の無い筋肉。魂の栄養と云うべきマナを大気、自然から取り入れれば霞どころか飲まず食わずで過ごせる世界。
筋肉にしても魔力にしても衰える事は無く、圧倒的な力の差で有れば刃物や魔法で切りつけても掠り傷だけで終わってしまう。
もっとも処刑用のギロチンや表に出てこない薄ら暗い魔法や魔術など、その場限りではないが。
それが適応する世界だからこそ、この女の子が特筆すべき何かが一つでもあれば、どのような状態で育とうと、たった独りで生きると言うのに不思議は無いのだ。
「それは良い事だ。構わん。だが目の前の子供は常識を遺脱している。その力は確かに見た。その子の力は嘘偽り無いものだろう。それ故に危険。この事は中枢機関に報告せねばならぬ」
そう、世界に認められれば何ら不思議はない現象。それは先程メモリージュで実力を確認した三人も理解していた。
だが、世界に認められる程力を持つのに人生の殆どを費やして、それでも僅か一掬いの者だけが至れる至高の頂き。
大器晩成型の者が長寿を全うする直前に開花するような、そんな低確率でしか現れない存在なのだ。それでもこの世界は一度つけた力は衰えない。故に長寿を全うするまでのほんの数年だけ、頂きに辿り着いた者は世界を制する事が出来る。そこまで行けば人も魔物もどれだけ集まろうと殆どの者が初めて殺してしまう生き物のように潰せてしまうのだから。
そう、そんな最初に蟻やバッタ等を殺してしまった者には決して辿りつけない場所に、目の前の女の子は居るのだ。
「構いません。寧ろ王にまで報告が届く方が良い。この子にとって私たちは同じ形をしているだけの生き物でしか無いでしょう。それこそ敵意を一瞬でも見せればハングリーアーウベアの二の舞です」
レイラインを繋いでいるからこそ解る事実をそっと伝えると、三人は更に顔を青くした。
「先代である父上や今代当主の兄上に指示を出すのは申し訳ありませんが、必ずや国王にまで報告を届けて下さい。爺は俺と一緒にこの子の両親を探してほしい」
騎士には出来ない。冒険者や傭兵など、自分を主とする職業にだけ許された星の指示を示す。ランクが高い、五つ星の冒険者は国にとらわれる事は無い。どこの国でも優遇される存在だからだ。
その権力を使い、他の者であれば不敬に取られる行為を行う。
「先代当主、アールデリッヒ・ル・オット・シークウェスのままに。指示に従おう」
「今代当主ジュリオルス・オット・シークウェス。事の事態、理解した」
「先代当主専属執事ウィルスミス・ル・ワール・オディロット。坊ちゃまのご意向のままに」
そして仲の良い家族達は、なんの不満も抱かないままジャンの言葉に沿う行動に移し出る。