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08. エピローグ

08. エピローグ




――数年後


(しん)は脱衣所の洗面台で顔を濡らすと、鏡に映る自分を見ようとする。

未だに自分の姿をまともに見られない。


瞼の裏に縫い付けられたように、暴力的で、痛みを伴う記憶。


手の感覚で剃刀で髭を剃り、化粧水を顔に含ませるとさっと髪に櫛を通す。


脱衣所の引き戸を閉めるとき、慎は息を吸い込む。

鏡には、いつももうひとりの自分が閉じ込められているようで。


「――大成(たいせい)、充電器、ちゃんと持った?」


「持ったってば!」


大成はアパートの玄関で、片足でスニーカーを履きながら言う。


「いつも忘れて俺に借りてるから言ってるの」


慎が手を差し出すと、大成はその手をしっかり掴む。

その瞬間目が合って、少しだけ照れ臭い。



慎はこの春で大学三年生になり、大成は社会人二年目だ。


約束と少しだけ違うけれど、大成の方が先に慎のことを迎えにきた。

大成は慎が思うよりずっと大人らしく考えていて、先に自分の就職が決まってから、二人で暮らした方がいいだろうと言ってきた。


慎は今すぐにでも家を出て一緒になりたかったが、同時に、無茶をするのはこりごりだとも思い、大成の提案を受け入れた。



東京へ向かう電車に二人並んで揺られる。

大成は流れていく景色をぼうっと見つめる。


すぐ隣には大好きな慎がいる。


いつからか『慎兄』と呼ぶのをやめた。


慎が弱い人間だと、分かるようになったからだと思う。

それは見下しているとか、期待はずれとかの類ではなく、自分が確かに慎をひとりの人間として見ることが出来るようになったから。


ただ愛を乞うことをやめた。

それも一重に慎のおかげだ。あの鬱陶しい夏の記憶こそが大成の気づきを促した。

求めるだけじゃ、何も掴めなかったから。



東京駅で高速バスに乗り換える。


「修学旅行以来かな?」

天井の棚に荷物を押し込めながら慎が話し出す。


「あのときはむしろ行きたくなかったな」


「俺たち、友だちいなかったからな」

慎が悪戯っぽい笑顔を見せる。


明日は慎の誕生日だからと、大成が温泉宿に誘ってくれた。


奥日光、中禅寺湖のほとりの宿。

部屋から湖が一望でき、初夏の湖面が穏やかに輝いている。


「すごいな、大成、ここ結構したんじゃない…?」

「だ、大丈夫」


大成の声が少し上擦る。


二人で、湖を眺める。

慎は大成の手に触れる。

大成もその手に指を絡める。


慎が口を開く。

「湖を見に行って…そのあとは、ゆっくりする?」

「ゆっくり、が先でもいいよ」


慎は顔を赤らめる。

それから、手を握ったまま二人向かい合って寄り添う。


窓の外の青に、二人の影が重なった。


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