06. 夢 -The Dream We Couldn’t Keep
06. 夢 -The Dream We Couldn’t Keep
――あれから、いくつかの夜が過ぎた。
重苦しさが胸の奥に薄く沈殿したまま残っている。
慎兄は泣くことが増えた。
はじめて泣いたのを見たとき、何かが変わった。
悲しいなら、俺のそばにいればいい。
いくらでも優しくしてやれる。
逃げないように、ちゃんと掴んでおくからね。
夜の公園で水浴びをして戻ると、高架下で項垂れる慎に深くキスをする。
「ん……やめ」
頬を掴まれ、慎はただ大成の舌を受け入れる。
不器用なのに執拗なキスだと慎は思った。
「んん……はぁっ」
絡み合った唾液が糸を引く。
「……大成」
慎は口を拭うと大成を見上げる。
「慎兄、お腹すいたでしょう」
大成が慎の髪を撫でると、慎は首を横に振る。
「すいてないよ…大成」
「嘘だよ、昨日もそう言って何も食べてない」
もうとっくに所持金は尽きていた。
――俺が悪い。
俺が大成をこんな風にしてしまった。
あんなこと、逃げちゃおうだなんて……言わなければよかった。
慎は俯いたまま肩を震わした。
もう、帰ることも、逃げることもできない…。
大成は慎の顎を優しく掴むと、口に指を入れ、舌の感触を確かめる。そのまま片手でズボンのチャックを下ろすと、慎に口で処理させた。
「……ごめん、大成」
「どうして謝るの?」
大成が困ったように笑って言うと、慎の隣に座り込む。
「俺が、逃げようって言ったから……」
慎は目に涙を浮かべ、大成を見る。
「俺は救われてるよ?」
慎はただ嗚咽する。
「慎兄と、ずっと一緒にいたいよ」
大成は泣いている慎の肩に頭をもたれる。
「お兄ちゃん」
「……たいせい、ごめんなさい」
「大丈夫だよ、慎兄」
大成は慎の頭を撫でてから、コンビニのサンドイッチに手を伸ばす。
慎は泣き腫らした目で、地面に落ちたビニールの包装を見つめていた。
それからしばらくして…。
懐中電灯の白い光が、高架下の砂利を濡らした。
「こんばんは、君たち……大丈夫?」
若い警官が二人。
その声は優しくて、かえって胸がざわめいた。
ひとりが慎の前にしゃがむ。
「最近ここにいるみたいだね。どこから来たの?」
慎は答えられない。
大成が代わりに口を開こうとしたとき、もう一人の警官の無線が耳障りな雑音まじりの音を立てる。
「……未成年者、二名保護、お願いします」
警察署の待合室は、やけに明るかった。
白い蛍光灯の下、紙コップのお茶が二つ。
慎は黙ってそれを見つめ、大成は俯いたまま慎のシャツの裾を握りしめている。
「ごめんね、もう少ししたら保護者の方に連絡するから」
机越しの女性職員が、淡々とした声で言った。
慎は目を逸らした。
一方で、大成の顔や腕には治りかけの痣があった。
職員は静かにそれに目を留め、隣の警官に指示をする。
「……児童相談所に連絡して」
以前、大成が言っていた。もう何度も施設と家を行き来していたと。
慎は、隣で呆然と座っている大成の手に、触れる。
誰にも気が付かれないように。
耳元で囁く。
「週末はいつもの駅で、待ってるから」
大成の手が、かすかに動いた。
翌朝。
蝉の声がうるさい。
警察署の玄関前で、ワンボックス車のエンジン音が低く唸る。
大成は車の窓から外に目をやると、建物の入口をじっと凝視した。
車に移動するとき、薄暗い待合室に慎が立っていた。
傍らにはスーツ姿の長身の男――慎の父親、だろうか。
「お世話をおかけしました」
男の低い声が響く。
慎も黙って頭を下げた。
「慎兄…!」
すれ違い様の慎の顔が、大成の心を波立たせた。
――優しく微笑む顔。
その笑顔の意味が、大成には理解出来なかった。
同時に、深い後悔が胸を浸していく。
「週末はいつもの駅で」
昨日の優しい約束だけが、大成が縋る糸になった。
糸が切れてしまえば、どうなるのだろう。
また、エンジンが唸る。
ドアが閉まり、車が玄関を出て行く。
慎の姿は最後まで見えなかった。




