04. 恵みの雨 -The Blessing Rain
04. 恵みの雨 -The Blessing Rain
大成は眠れずにいた。
湿った海風が体を撫でる。隣の慎は眠っているのだろうか。
共有された、慎の秘密。
助けたい。そう思うのと同時に、自分も彼に触れてみたいと思ってしまう。
こんな汚れた願望を抱いていることを知ったら、慎はどう思うだろうか。
――朝になったら、慎兄になんて顔して、おはようって言えばいいんだろう。
大成はそっと、慎の背中に手を伸ばす。
触れそうで触れない。そのたった四センチが、永遠みたいに遠かった。
朝になると、お互い砂まみれで笑ってしまう。
二人で、レジャーシートと、大判のバスタオルを丸めてリュックに詰める。
「砂の上だから、柔らかくて案外眠れたな」
慎が呟く。
「ほんとに?慎兄って、案外図太いな」
そう言って、大成は寝不足の理由を誤魔化す。
少し歩いて、足洗い場で顔を洗う。
朝の少しだけさらっとした空気と、水の冷たさが心地いい。
「今日はどこまで行けるかな」
大成は慎に笑いかける。
「うん」
蛇口を閉めると、慎は大成を見ながら頷く。
「俺たちのペースで、行けるところまで」
浜辺と遊歩道を区切る、背の高い木々が、風に凪いだ。
さっきまであんなに晴れていたのに。
急に雲が陰ると、慎と大成の頭上からバケツをひっくり返したような雨が降り出した。
「危なかった〜」
二人して、日除屋根のあるベンチに駆け込むと、大成はショルダーバッグの水滴を手で払う。
慎は真っ白に霞む空を見上げた。
雨が白い線になって落ちてくる。
リュックを下ろして、手のひらを激しく打ち付ける雨に差し出す。
そのまま、雨に体を曝した。
「慎兄……?」
慎は微笑んだ。
「気持ちいいよ、シャワー浴びてるみたい」
衝動的に、大成も外へと飛び出す。
「やばっ!なんか悪いことしてるみたい!」
「なにそれ」
慎が笑う。
二人で、両手で雨を受ける。
打ち付ける水が傷の上に流れ落ちていく。
今は何も持ってないから、雨に打たれるのが気持ちいい。
心の奥の見たくない場所まで洗われるみたいだった。
✳︎
「お金、まだ余裕あるから。今日はそこで休もうか」
慎は少し先に見えるスーパー銭湯の看板を指差した。
「え、いいの?」
確かに、二日も風呂に入ってないし、雨に打たれた後も半乾きのまましばらく歩いたせいで……正直汗臭かった。
「俺、こういうとこ初めてかも!」
大成は館内着とタオルを受け取ると、辺りをきょろきょろと見渡す。
「食べるとこもあるし、休憩室で寝られるから、明日の朝までゆっくりできるよ」
「さすが慎兄」
浴場は平日の午後だからか、ほとんど貸し切りみたいだった。
湯気がゆらゆらと立ちのぼって、天井の電球色の光を柔らかくぼかしている。
大成は流し場の鏡越しに、慎の姿をちらりと見た。
濡れた黒髪が首筋に張りついて、肩の線が細くて綺麗だと思った。
「大成、傷、痛まない?」
隣に座った慎が覗き込むと、大成はびくりと肩を震わせた。
「だ…大丈夫!」
――俺、何考えてるんだろう…。
あの動画を見てから、大成は、奥底で燻る熱をまだ消せずにいた。
露天風呂の湯船に沈むと、湯面が静かに波打つ。
「……生きてる感じ、するな」
慎がぽつりと呟く。
慎の横顔は湯の温度のせいか紅潮していた。
大成は目を逸らし、湯の熱さに刺激される肌に意識を寄せる。
「大成、さっきからやけに大人しいけど…」
慎が湯で顔を濡らしながら言う。
「え?……そ、そうかな」
上擦る声。
慎は湯の中で大成の手に触れる。
「手伝おうか?」
慎はただ前を見て、その声はいつもと同じ調子だった。
「……なにを?」
大成の声が小さく震える。
「ごめん。こんなことしか出来なくて」
そう言うと、慎は風呂に浸かったままの姿勢で、岩風呂のふちに座る大成の太腿を押し広げる。
言葉にすると、途端に嘘くさくなるから。
それならせめて、触れて伝えたかった。
理不尽な暴力に侵された日常の中にも、まだ、ほんの少しだけ優しさが残っていることを。
それがどんなに汚れて歪な形であっても……。
慎は大成を手で包み込むように、優しく愛撫する。
口に含み、そっと舌を這わせ、柔らかい唇で摩擦する。
――痛くなくて…温かい。
大成は、こんな触れ合いがあることをはじめて知った。
「大成、怖くない?」
「…うん」
それなのに、なんで涙が出そうなんだろう。
二人の呼吸が、湯が流れ落ちる音に混ざって消えていく。
触れるたびに心の奥で何かが溶けていく。
✳︎
それから、慎と大成は、二人で食事処で向かい合って、ラーメンを啜る。
「美味しい」
大成が呟く。
「やっぱり、こういうのだよね」
そう言って慎が笑うと、大成もつられて笑ってしまう。
大成はやっぱり、慎のことが好きだと思う。
慎に、大成に、笑っていてほしいと、お互いに願う。
夜。
休憩室の片隅で、二人は毛布に包まっていた。
外ではまだ、小雨が降っている。
大成はそっと慎の手に触れる。もう躊躇しない。
慎は目を閉じたまま、その手を優しく握り返す。
何も言えなかった。
ただ、もう少しだけ、この時間が終わらないようにと願っていた。




