01. 同じ傷 -The Wound We Share
01. 同じ傷 -The Wound We Share
夏休み。
如月慎と西原大成はどこまでもまっすぐな、海沿いの幹線道路を歩いていた。
防波堤から覗く水面は太陽を反射し、キラキラと光っている。
優しい時間が、ただ流れてる。
大成は防波堤の上によじ登ると、バランスを取るように歩く。
「ちょっと大成、落ちても知らないよ?」
そう言いながらも、慎は、はしゃぐ大成を見て目を細める。
「海ってすごいな。端がないんだもん」
大成の言葉に、思わず声を出して笑ってしまう。
「当たり前だろ?大成は小学生みたいなこと言うんだな」
「素直って言えよな」
大成の思いっきり楽しそうな笑顔。
慎はそれが愛おしくてたまらなかった。
大成の頬は腫れて、笑顔を非対称に歪めている。
目の周りは紫に青が混じった痛々しい色をしていた。
「慎兄はその小学生より、背が低い!」
手痛い反撃。
――たった4cmなのに。
浜風が頬を撫でた。
波の音の向こうで、蝉の声が遠くに聞こえる。
まるで生まれたときから一緒にいるように、初めて会ったその日から慎と大成は兄弟になった。
放課後のコンピュータ室で、大成はインターネットの海に潜る。
ここだけが、大成を外の世界へ繋いでくれた。
モニターの白い光が、大成のでこぼこした顔の輪郭を縁取る。腫れた頬と唇。制服から覗く細い腕にも痣が染みのように浮かんでいる。
大成は腫れた頬を撫でる。
同級生たちは、いつもボロボロで俯いている大成を気味悪がって近寄らない。
それは学校の大人も同様で、遠巻きに大成のことを『見守って』いた。
いつものように匿名掲示板を開き、興味を引くスレッドを探してスクロールする。
学校が嫌い、病んでる人、雑談……
スマホを持っていないから、SNSなんてやってない。
そこだけが居場所だった。
――返事、来てる…!
大成が書き込んだ友達募集の書き込みに、ひとつだけついたレスポンス。
――近所ですね、自分も友達いないです。メール待ってます。(HN. くろねこ)
大成はすぐに鞄から学校のタブレットを取り出すと、記載されていたフリーメールアドレスに返事を書く。
それから、チャットのような間隔で何往復も言葉を交わす。
――高校もやっぱりつまらないんですね。
高校生になりたくないなー
でも、家も地獄だしね。
高校だとバイトできるからお金貯められますよ。
そっかあ!
じゃあお金貯めて、どこかへ逃げちゃえますね!
いいね。俺も、全部捨てちゃいたいな。
――同じだ。
……気付けば、この人に夢中になっていた。
✳︎
慎は、汗でベトベトになった体を熱いお湯で流す。
シャワーの音が、何もかもをかき消してくれる。
目を閉じる。
いつもなら、自分の上であの行為をする『誰か』の姿と、彼越しに浮かぶ天井の薄いグレーが瞼の裏に浮かぶのに。
今は違う。
大成くん……どんな人なんだろう。
慎の瞳が揺れる。
もし、彼が…自分のこの毎晩の営みを知ったら、どう思うだろう。
心臓から手首に鈍い痛みが走る。
慎はシャワーを止めた。
水滴の音が、床に落ちる。音が消えると、静けさが少し怖くなる。
あの子と話すと、息をするのをやめた心が少しだけ温かくなる気がする。
タオルで髪を乾かしながら、下着のまま濡れるのも構わずベッドに身を投げ出す。そのままスマホを探して手を泳がせる。
――俺たち、会ってみない?
自然とそう、打ち込んでいた。
通知が鳴る。けれど、少しの間、彼からの返事を見ることが出来ないでいた。
✳︎
待ち合わせの駅は、海のすぐそばだった。
五月の光が白くて、地面がゆらめいて見える。
慎は腕時計を何度も確かめた。まだ三分前。
潮の匂いとアスファルトの熱が、息苦しいほどに混ざっている。
誰かを待つ。そんな感覚なんて、しばらく忘れていた。
改札の人の流れの向こうに、見慣れない制服が見えた。
ゆっくりとこちらに歩いてくる少年。
陽射しを受けた髪が、うっすらと茶色く光る。
――大成くん。
慎はわざと下を向く。
大成はそんなこと気にも留めず、少し照れくさそうに笑う。
「……ほんとに、くろねこさん?」
慎は微かな声を発しながら、小さく頷いた。
どこかでずっと知っていたような懐かしい匂いがする。
「良かった!俺、大成です!」
その瞬間、慎のなかで、世界の音が少しだけ遠くなった気がした。




