表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/36

第九話 予期せぬ後始末

 激情のギルが、アイリスの言葉によって「自我崩壊」を起こしてから、半日が経過した。

 砦の魔物たちは、指導者を失い、アイリスの前に完全に降伏。

 彼女は騎士として、砦の武装解除と、捕虜たちの処遇の決定という、戦後処理に追われていた。

 しかし、その任務は、予想だにしなかった障害によって、著しく難航していた。

「姉御! 朝餉の準備ができました! 昨夜、森で捕らえたばかりの新鮮な『森の(ぬし)』であります!」

 玉座の間に響き渡る、ギルの朗らかな声。

 彼が引きずってきたのは、テーブルに乗り切らないほど巨大なイノシシのような怪物だった。

「…ギル殿。お気持ちはありがたいのですが、これは少し、大きすぎます…」

「なんと! 姉御の偉業を祝うには、これでも小さいくらいだと! さすがは姉御、スケールが違う! よーし、今からもう一頭狩ってくるであります!」

「待ちなさい! そういう意味ではありません!」

 アイリスが必死に猪突猛進の元・魔王軍幹部を止めようとしていると、広間のあちこちで、新たな問題が次々と発生していた。

「ノン! なんて無粋なタペストリーだ! この玉座には、もっとこう、僕の美しさを引き立てる深紅の布が必要だね!」

 ジーロスは、壁にかかっていた魔王軍の旗を引きずり下ろし、玉座のデコレーションを始めている。

「おい、そこの角付き! 正直に言え! この砦で一番高価なもんはどこに隠してあるんだ! 吐かねえと、てめえのその角をサイコロにしてやるぜ!」

 テオは、降伏した魔物の副官に、品のない脅しをかけて宝のありかを聞き出そうとしている。

「アイリス様〜、見てください〜。厨房にあったキノコ、食べたらなんだか世界がキラキラしてきました〜」

 シルフィは、明らかに毒キノコを食べて、ラリっていた。

 アイリスは、ギルをなだめ、ジーロスを止め、テオを叱りつけ、シルフィに解毒薬を飲ませるという、騎士の任務とは到底思えない雑務に忙殺されていた。

(もういやだ…このパーティー…。神様、砦は奪還できましたが、このカオスな状況を、一体どうすれば…!?)


 その頃、ノクトの自室では、数日ぶりに訪れた完璧な静寂と、勝利の余韻に満ちていた。

「マナ通信網、接続速度・安定性ともに最高値。素晴らしい」

 彼は水盤に表示された魔力計のグラフを見て、満足げに頷いた。

 砦から発せられていた邪悪な魔力は完全に消え去り、回線はサクサクと、驚くほど快適だ。

 溜まっていたアップデートも、新作ゲームのダウンロードも、全て完了している。

 机の端には、ダウンロードが完了した最新作『帝国興亡記VIII』の起動魔法陣が、誇らしげに輝いていた。

「ふぅ、一件落着。これでまた、快適な引きこもりライフが戻ってくる」

 ノクトは大きく伸びをすると、椅子のリクライニングを最大まで倒した。

 彼にとって、この「クエスト」は完全に終了したのだ。

 後は、面倒な後始末を新人騎士に任せて、自分は極上の日常に戻るだけ。

 彼は、アイリスとの精神感応(シンクロ)を、一方的に断ち切ろうとした。

 その、瞬間だった。

『―――神様! お願いです、まだいらっしゃいますか!? だ、大、大変なことになりました!』

 切断しようとした回線の向こうから、アイリスの悲痛な叫びが、ノイズ混じりに飛び込んできた。

(…なんだ? まだ何かあるのか? クエストのクリア報告なんて、後でいいんだが…)

 ノクトは、心底面倒くさそうに、再び遠見の水盤に意識を戻した。

 そして、信じがたい光景を目撃する。

 水盤の中では、あの牛頭の魔人ギルが、甲斐甲斐しくアイリスの肩を揉んでいた。

「姉御! 長旅でお疲れでしょう! このギルが、全身全霊で癒して差し上げますぞ!」

「ひっ…! や、やめなさい! 私はあなたの姉御ではありません!」

 ノクトは、数秒間、完全に思考を停止させた。

(…なんだ、あれは)

 状況が理解できない。

 いや、理解したくない。

 なぜ、倒したはずのボスキャラが、ヒロインの肩を揉んでいるんだ。そんなバグ、聞いたことがない。

『神様! 聞いてください! ギル殿が、私の舎弟になると言って、言うことを聞いてくれないのです! どうすればいいのでしょうか!?』

 アイリスの悲鳴で、ノクトは我に返った。

 そして、最悪の可能性に思い至る。

(…まさか、あのまま王都に連れて帰る気か? 魔王軍幹部を? 正気か、この新人は!)

 そんなことをすれば、王宮は大騒ぎになる。

 査問会だの、事情聴取だの、面倒くさいことになるのは火を見るより明らかだ。

 そして、その騒動は、間違いなく自分の元へも飛び火してくる。

 彼の安眠が、再び脅かされようとしていた。

『…いいか、新人。落ち着いて聞け』

 ノクトは、できる限り冷静な声を装って、アイリスに思考を送った。

『そのギル(脳筋)の処遇など、どうでもいい。砦の機能を完全に停止させ、捕虜たちを解放したら、お前はさっさと帰還しろ。奴は、そこに置いてこい』

 最も効率的で、最も波風の立たない、完璧な指示。

 だが、アイリスは、初めて神の言葉に、はっきりと反論した。

(そ、そんなこと、できるわけありません! 降伏した者を、理由なくこの地に置き去りにするなど、騎士の誇りが許しません!)

『お前の誇りなど知ったことか。俺の安眠より価値があるとでも言うのか?』

 ノクトの苛立ちが、直接アイリスの脳を揺らす。

 しかし、アイリスも一歩も引かなかった。

 彼女にとって、それは絶対に譲れない一線だった。

 二人の思考が、激しく火花を散らす。

 その時、二人の会話(もちろん、アイリスが一人で苦悶しているようにしか見えないが)を見ていたギルが、悲しそうな顔で口を挟んだ。

「…姉御。俺のこと、やっぱり迷惑だったんでやすか…? 俺、ここに捨てられちまうんで…?」

 巨体をしょんぼりと縮こまらせ、潤んだ瞳でアイリスを見上げる元・魔王軍幹部。

 その姿は、雨の日に捨てられた、巨大な子犬のようだった。

「うっ…!」

 アイリスは、情に訴えかけるその姿に、言葉を詰まらせる。

 その全てを、ノクトは見せつけられていた。

(……面倒くさい……面倒くさすぎる……!!!)

 彼は、頭を抱えた。

 クエストはクリアしたはずなのに、新たな想定外事態(バグ)のせいで、最高に面倒な「後始末イベント」が、強制的に始まってしまったのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ