第五十二話 最後の悪あがき
『―――どんなゲームにも、最後には、必ず、ボスがいる、ってことをね』
神の、楽しげな声が響き渡る。
彼は、光の玉座の前に立ちはだかり、まるでこれから始まる余興を心待ちにするかのように、優雅に、腕を組んだ。
その姿に、もはや、退屈そうな青年の面影はない。
それは、絶対的な力を持つ、傲慢な、支配者の顔だった。
「…道を開けてください」
アイリスは、剣を構え直した。
彼女の声は、震えていなかった。
ノクトの声が聞こえなくなり、彼女は、初めて、自分自身の力だけで、ここに立っている。
不思議と、恐怖はなかった。
背後には、仲間たちがいる。
それだけで、十分だった。
『断る。君たちのゴールは、あの椅子じゃない。私に、一撃でも、届くことだ。それが、この最終ステージの、クリア条件だよ』
「…望む、ところです!」
アイリスは、叫んだ。
「ギル、ゼノス殿は、前衛! 私が切り込むための、道を!」
「御意!」
「心得た!」
「ジーロスは、光魔法で、敵の視界を! テオは、ギルとゼノス殿の、支援を! シルフィは、私の合図があるまで、動かないで!」
それは、ノクトの、完璧な指示ではない。
戦場で、仲間たちと、死線を潜り抜けてきた、一人の騎士が、その経験と、仲間への信頼だけで、紡ぎ出した、不器用で、しかし、魂のこもった作戦だった。
盤上の駒たちの、最後の、そして、本当の戦いが、始まった。
「うおおおおお!」
「魔王の力、侮るなよ!」
ギルとゼノスが、左右から、同時に、神へと突撃する。
ギルの戦斧が、大地を砕く勢いで、神の足元を薙ぎ払い、ゼノスの闇の魔法が、黒い蛇となって、その頭上から襲いかかった。
『上下からの、挟撃か。悪くない』
神は、その二つの攻撃を、一瞥した。
そして、ただ、一歩、横にずれた。
たった、それだけで。
ギルの戦斧と、ゼノスの闇の蛇は、互いに、互いを、打ち消し合い、轟音と共に、霧散した。
「なっ…!?」
『力のベクトルを、少しだけ、ずらしてあげただけだよ。面白いだろう?』
神は、楽しそうに、笑っている。
「ノン! 僕のアートから、逃れられると思うなよ!」
ジーロスが、指を鳴らす。
神の頭上から、太陽が爆発したかのような、強烈な閃光が、降り注いだ。
『光か。美しいね。だが、光があるところには、必ず、影が生まれる』
神は、その閃光を、浴びたまま、平然と立っていた。
そして、彼の足元から伸びた影が、意思を持った生き物のように、ジーロスへと、襲いかかった。
「ひっ…! 奴の影が、僕を…!」
ジーロスは、自らが作り出した光が生んだ、濃すぎる影に、その足を、捕らえられた。
「ひひひ…! 神様相手に、喧嘩を売るとはな! 俺の、幸運の見せ所だぜ!」
テオが、聖書を掲げ、叫ぶ。
「我が幸運よ! 敵に、最大の不運を!」
彼が放った、呪いの言葉が、神へと、殺到する。
『不運、ね。面白い。試してみようか』
神は、その呪いを、甘んじて、受けた。
そして、次の瞬間、彼の頭上に、巨大な、隕石が、出現した。
「…え?」
テオが、素っ頓狂な声を上げる。
『これが、君の言う「不運」だよ。君の魔法が、私という触媒を通して、具現化したんだ。おめでとう』
巨大な隕石が、一行の頭上へと、ゆっくりと、落下してくる。
もはや、それは、戦闘ではなかった。
子供の、無邪気な、ままごと。
絶対的な力が、ただ、彼らを、弄んでいるだけだった。
誰もが、絶望に、膝をつきかけた、その時。
「―――まだです!」
アイリスの、叫びが、響き渡った。
彼女は、仲間たちが作り出した、ほんのわずかな、一瞬の隙を、見逃さなかった。
ギルとゼノスの攻撃が、神の注意を、正面に引きつけ、ジーロスの光が、彼の視界を、わずかに、眩ませ、テオの呪いが、彼に、隕石を召喚するという、無駄な行動を取らせた。
その全てが、無意味に見えて、しかし、一つの、活路を、生み出していた。
「シルフィ!」
アイリスが、叫ぶ。
シルフィは、ずっと、待っていた。
ただ、ひたすらに、アイリスの、その一言だけを。
彼女は、弓をつがえ、狙いを定めた。
神、ではない。
神が作り出した、巨大な、隕石。
彼女が放った、渾身の一矢は、隕石の中心に、吸い込まれるように、突き刺さった。
ピシリ、と。
隕石に、小さな、亀裂が走る。
そして、次の瞬間、隕石は、凄まじい轟音と共に、内部から、砕け散った。
無数の、小さな石の雨が、一行に、降り注ぐ。
『…ほう?』
神が、初めて、心から、感心したような声を、上げた。
その、一瞬の、隙。
それこそが、アイリスが、待ち望んでいた、全てだった。
(今だ!)
アイリスは、大地を蹴った。
仲間たちが、命を懸けて、作り出してくれた、たった、一瞬の好機。
彼女の体は、隕石の破片を、紙一重でかわしながら、神の、懐へと、一直線に、突き進んでいく。
神は、彼女を、迎え撃とうとはしなかった。
ただ、面白そうに、その、最後の、悪あがきを、見つめている。
アイリスの剣が、神の、体を、すり抜ける。
彼女の狙いは、最初から、神、本人ではない。
その背後にある、全ての元凶。
光り輝く、玉座。
彼女は、残された、全ての力を、その剣に、込めた。
(ノクト様…! 見ていますか!)
彼女の脳裏に、あの、不遜で、怠惰で、しかし、誰よりも頼りになった、ノクトの声と、その確かな気配が、浮かんでいた。
(あなたの駒は、ここまで、やりました!)
彼女の剣が、玉座に、振り下ろされる。
世界の運命を、決める、最後の一撃が。
その頃、ノクトは、塔の自室で、ただ、祈っていた。
水盤は、砂嵐のままだ。
何も、見えない。
何も、聞こえない。
だが、彼は、感じていた。
遥か彼方の、遊戯盤の上で、自らが育てた駒たちが、今、運命の、チェックメイトを、かけようとしているのを。
塔の上の引きこもりは、初めて、自分のゲームのキャラクターに、心の底から声援を送っていた。
その声が、盤上の英雄たちに届くことは、決してないと知りながら。




