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第五話 はじめての野営

 追い剥ぎを退けてから数時間、陽が西の山に隠れる頃、一行は開けた平原にたどり着いた。

 アイリスは馬を止め、振り返って宣言する。

「皆の者、今夜はここで野営とする! 長い旅路だ、休息も重要な任務の一つだからな!」

 騎士の基本に則り、彼女は的確に指示を出し始めた。

「ジーロス殿は火の準備を! テオ殿は周囲で水と食用の薬草を探してきてくれ! シルフィ殿は、弓の腕を活かして周囲の警戒を頼む!」

 完璧な役割分担。

 これぞ冒険者の基本だ。

 アイリスは、今度こそはまともな連携ができるだろうと、淡い期待を抱いた。

 もちろん、その期待はものの数分で、木っ端微塵に砕け散ることになる。


 まず、火の準備を頼まれたジーロス。

 彼は薪を集めるどころか、日が落ちて薄暗くなった平原の真ん中で、うっとりと腕を組んでいた。

「素晴らしい…! このとばりが下りる瞬間の、光と闇が織りなすグラデーション! 僕のアートに、最高の舞台を用意してくれるというのか!」

 そう言うと、彼は指を掲げ、何やら複雑な魔法を紡ぎ始めた。

 その結果、生まれたのは焚き火ではなかった。

 チカチカと点滅する七色の光が、無意味に回転しながら周囲を照らし始める。

 まるで、田舎の三流サーカスのような、悪趣味なイルミネーションだった。

 暖を取ることも、調理をすることもできない、ただただ派手なだけの光のオブジェ。

 おまけに、遠くの森から魔物たちが「なんだあれ?」と集まってきそうなほど、悪目立ちしていた。


 次に、水と食料を頼まれたテオ。

 彼は森へ入っていくと、神官の知識を活かして薬草を探す…かと思いきや、おもむろに懐から怪しげな水晶の振り子を取り出した。

「ひひひ…こっちの方向から、幸運の匂いがするぜ…。今夜のツキを占ってやる…」

 彼は完全に任務を忘れ、今夜の夕食を賭けた一人ギャンブルに興じようとしていた。


 そして、周囲の警戒を頼まれたシルフィ。

 彼女は最も忠実に任務を遂行しようとした。

 平原を見渡せる小高い丘へ向かい、鋭いエルフの目で周囲を…見渡そうとして、つまずいた小石のせいで、丘からゴロゴロと転がり落ち、そのまま近くの茂みに突っ込んで気を失っていた。


 結局、一時間後。

 アイリスは、自ら汲んできた水を沸かし、自分で採ってきた薬草でスープを作りながら、茂みから引っ張り出してきたシルフィを介抱し、ジーロスの悪趣味なイルミネーションを叩き割り、テオから水晶の振り子を取り上げていた。

(もういやだ…このパーティー…)

 彼女の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


『……おい。何をやっているんだ、お前たちは』

 アイリスの脳内に響いたのは、怒りを通り越して、もはや呆れ果てたような神の声だった。

 ノクトは、遠見の水盤に映し出される、あまりにもお粗末な野営の光景に、こめかみを引きつらせていた。

 彼の緻密な計算によれば、今頃は効率的に休息を取り、明日の早朝には出発しているはずだった。

 これでは、ただの幼稚園のお泊り会だ。

(も、申し訳ありません…! 私の監督不行き届きであります…!)

『根本的に、お前の指示が甘すぎるんだ。あの手の問題児には、もっと具体的なコマンドを与えなければ動かん』

 ノクトは舌打ちすると、再び超効率的な遠隔指示(パワハラ)を開始した。

『まずあのジーロス(ナルシスト)! 「無駄な魔力を使うな! 明日の本番で、最高のパフォーマンスができなくなるぞ!」と脅せ!』

『次にあのテオ(ギャンブラー)! 「幸運なぞ、天が決めるものだ。神の機嫌を損ねれば、明日の報酬(レアドロップ)はないと思え!」と釘を刺せ!』

シルフィ(方向音痴)は…もういい。そこに座らせておけ。下手に動かすな!』


 神の厳しくも的確な指示が功を奏し、ようやくパーティーは静かになった。

 アイリスが作った質素なスープをすすり、それぞれの毛布にくるまる。

 今夜こそ、安らかに眠れる。アイリスがそう願いながら、うとうとし始めた、その時だった。

 ヒュゥゥゥ…と、不気味な風が吹き抜け、焚き火の炎が青白く揺らめいた。

「な、なんだ…?」

 テオが顔を上げる。

 森の暗闇から、ぼんやりと光る人魂のようなものが、複数、こちらへ近づいてくる。

「魔物か!」

 アイリスが剣を構える。

 シルフィも弓をつがえた。

 だが、その魔物は奇妙だった。

 物理的な体を持たず、まるで陽炎のように揺らめいている。

「くらえ!」

 シルフィの放った矢は、空しく魔物の体をすり抜けた。

 アイリスの剣も、手ごたえなく空を切る。

 それどころか、魔物は一行を取り囲むと、囁き始めた。

『お前は、本当に英雄なのか…?』

『お前の光は、誰にも認められない…』

『お前の幸運は、もう尽きた…』

 それは、人の心の弱い部分に入り込み、精神を蝕む魔物「嘆きのウィスプ」だった。

「う…やめろ…」

「僕のアートは…至高だ…!」

「うるさい! 俺はまだ勝てる!」

 三人は、耳を塞いでうずくまる。

 このままでは、精神を食い尽くされてしまう。


『…ちっ。ゴースト系の敵か。物理攻撃は無効。面倒くさいことこの上ないな』

 ノクトは冷静に敵を分析していた。

 そして、瞬時に最適解を導き出す。

『新人! 作戦を変更する! 今から、俺の言うとおりにしろ!』

(は、はい!)

『まず、ジーロスに伝えろ! 「悲劇の芸術はもう古い! 今、世界が求めるのは、見る者全てを笑顔にする、陽気でハッピーな光のアートだ!」と!』

 アイリスは混乱しながらも、その言葉を叫ぶ。

「ジーロス殿! 今こそ、ハッピーなアートを!」

「なっ…ハッピーだと!? なんて斬新なテーマだ…! よし、やってやろうじゃないか!」

 ジーロスの魔法が、悪趣味なイルミネーションから、陽気なサンバカーニバルのような超絶カラフルなライティングへと変わった。

『次にテオ! 「これは神への祈りだ! 知っている中で一番陽気な歌を、大声で歌え!」』

「テオ殿! 知っている中で一番陽気な歌を!」

「おうよ! 任せとけ! 俺の十八番だぜ!」

 テオは、賭場で歌い慣れた、お世辞にも上品とは言えない酒盛りの歌を、腹の底から歌い始めた。

『シルフィは手拍子だ! リズムは無視しろ!』

「シルフィ殿! 手拍子です!」

「は、はい!」

 シルフィは、必死にパンパンと手を叩く。


 結果、平原の真ん中に、世にもカオスな空間が生まれた。

 カラフルなディスコ照明の中、音痴な男が大声で歌い、エルフが微妙にずれた手拍子を打っている。

 嘆きのウィスプたちは、その光景にドン引きしていた。

 恐怖や絶望といった負の感情を糧とする彼らにとって、この意味不明で、あまりにも陽気すぎる空間は、毒そのものだった。

 ウィスプたちは、みるみるうちに光を失い、プスン、という音を立てて消滅していった。


 後に残されたのは、やりきった顔の三人と、全ての光景を目の当たりにして、ただただ立ち尽くすアイリスだけだった。

(…これが、神様の戦術…?)

 彼女の神への信仰心は、尊敬や畏怖とは全く別の、得体のしれない感情へと、確実に変質し始めていた。


 その頃、ノクトは新しいポテチの袋を開封しながら、水盤を眺めていた。

「…疲れた。なんで俺が、あいつらのメンタルケアまでしなきゃならんのだ。コスパが悪すぎる」

 彼はそう愚痴ると、明日の進軍ルートを思考の内に描き、椅子のリクライニングを深く倒した。

 彼の戦いは、まだ始まったばかりだった。

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