第三十三話 魔王と『神』のオークション
魔王城、玉座の間。
そこは、もはや戦場ではなかった。
歴史上、最もくだらなく、そして最も重要な、競り売り会場へと変貌していた。
出品物は、ただ一人。
不徳の神官にして、魔王軍第四の幹部、計略のテオ。
その男の忠誠心が、今、二人の権力者によって、値踏みされている。
「…テオ! 貴様、正気か!」
魔王ゼノスが、怒りに顔を歪ませる。
「我が軍を裏切り、その小娘につくと申すか!」
「姉御を裏切る気か、てめえ!」
ギルが、戦斧を握りしめる。
だが、テオは、そのどちらにも、動じなかった。
「だから言っただろう。俺は、どっちの味方でもねえ、と」
彼は、指先で、コインを弄びながら、にやにやと笑っている。
「俺は、俺の利益のために動く。それだけだ。さあ、どうします? 俺という、この戦局を左右する最強のジョーカー。最初に、賭け金を提示するのは、どちらの旦那様かな?」
その言葉は、アイリスの脳内にいる、ノクトにも、はっきりと向けられていた。
アイリスは、混乱の極みにいた。
魔王との、あまりにも気の抜ける対面。
そして、仲間だと思っていた男の、突然の裏切り。
彼女の脳は、完全に、処理能力を超えていた。
(神様! どうすれば…!? テオ殿は、敵だったのですか!?)
『敵でも、味方でもない。奴は、ただの、金に汚いコウモリだ』
ノクトの声は、怒りに震えてはいたが、その思考は、驚くほど、冷静だった。
彼は、この最悪の状況を、一つの、新しいゲームとして、完璧に、認識し直していた。
(…なるほどな。最後の敵戦の直前に、味方キャラが裏切る、王道イベントか。そして、説得交渉段階…上等じゃないか)
彼の脳内で、高速で、計算が始まる。
テオの価値、魔王の財政状況、そして、自分の手持ちのカード。
全てを、天秤にかける。
「…よかろう!」
最初に、声を上げたのは、魔王ゼノスだった。
彼は、中間管理職としての、なけなしの威厳を、かき集めた。
「テオ! 我が元へ戻れ! そうすれば、貴様のこれまでの怠業は、不問にしてやる! それどころか、我が軍の、ナンバー2! 軍師総監の地位を、約束しよう!」
「おお!」と、ジーロスが声を上げる。
「軍師総監! なんて、素晴らしい響きなんだ!」
「金はどうなんだ、金は!」
テオが、最も重要な点を、指摘する。
「…む」
ゼノスが、言葉に詰まる。
「そ、それは…。今、我が軍は、財政難でな…。だが、世界征服が成った暁には、世界の富の、半分を、貴様にやろう!」
「未来の話は、信用できねえな」
テオは、あっさりと、その提案を、鼻で笑った。
『…新人。俺の番だ』
ノクトが、アイリスに、思考を送る。
(ですが神様! 私たちには、金貨など、ほとんど…!)
『奴が本当に欲しているのは、金だけではない。奴は、賭博師だ。奴が求めているのは、金と、そして、何よりも、退屈しない、極上のスリルだ』
ノクトは、テオという男の本質を、完全に見抜いていた。
『俺の言う通りに、奴に伝えろ』
アイリスは、覚悟を決めた。
彼女は、一歩、前に出ると、テオを、まっすぐに、見据えた。
「…テオ殿」
その声は、聖女の、威厳に満ちていた。
「あなたに、地位や、未来の富は、約束できません」
「…ほう?」
「ですが、一つだけ、約束できることがあります」
アイリスは、不敵に、微笑んだ。
それは、ノクトの、笑みだった。
「―――あなたを、絶対に、退屈させないと」
テオの、コインを弄ぶ手が、ぴたり、と止まった。
アイリスは、続ける。
「あなたは、この旅で、見てきたはずです。私の、いえ、私の背後にいる、この『神』の、奇策の数々を」
彼女は、ゼノスを一瞥した。
「魔王様、失礼ながら、申し上げます。あなたの世界征服は、あまりに、定石通りで、つまらない。兵を動かし、国を落とす。何百年も前から、繰り返されてきた、古いゲームです」
「な、なんだと…!」
アイリスは、テオに向かって続ける。
「ですが、私たちの『神』のゲームは、違います。敵将を、褒め殺しにする。可愛いもので、心を乱す。サプライズに、サプライズをぶつける。あなたは、これまでに、これ以上に、スリリングで、予測不能な、最高の博打を、見たことがありますか?」
テオは、黙っていた。
だが、その瞳の奥が、ギラリと、妖しい光を放つのを、アイリスは、見逃さなかった。
「魔王軍のナンバー2? 結構な地位でしょう。ですが、それは、沈みゆく泥舟の、船頭になるようなもの。あなたは、本当に、それで満足ですか?」
アイリスは、とどめを刺した。
『そして、報酬だ』
ノクトが、囁く。
『「聖女アイリス様ファンクラブ」。その、全収益の、三割を、あなたに』
「そして、報酬として、『聖女アイリス様ファンクラブ』の、全収益の、三割を、あなたに」
その、あまりにも具体的で、現実的な報酬に、ゼノスが「ふぁんくらぶ…?」と首を傾げる横で、テオの口角が、さらに、吊り上がった。
静寂。
ゼノスは、あまりのことに、口を、ぽかんと開けている。
やがて、テオは、ふぅ、と、ため息をつくと、持っていたコインを、高々と、宙に放った。
コインが、回転しながら、落ちてくる。
彼は、そのコインを、見ることなく、手の甲で、ぴしり、と受け止めた。
そして、にやり、と笑った。
「…ひひひ。参ったな。聖女様の口車に乗せられちまった」
彼は、ゼノスに向かって、大げさに、肩をすくめてみせた。
「―――というわけで、魔王様。あんたとの契約は、これにて、おしまいだ。俺は、こっちの、イカれた船に乗ることにするぜ」
交渉は、決裂した。
いや、決着した。
その頃、ノクトは、一人、塔の自室で、頷いていた。
(金で動く人間を、金で釣るのは、三流のやることだ。奴の、承認欲求と、スリルへの渇望を、刺激してやる。交渉の、基本だな)
彼は、水盤に映る、呆然とする魔王の顔を、冷ややかに、見下ろしていた。
(さて、と。邪魔者は、いなくなった。枕探しを、再開するとしますか)
彼の不純な作戦は、今、最後の障害を、乗り越えようとしていた。




