第二十七話 コレクターの執着
「…かわいそうじゃないのっ…!」
レイラの絶叫が、氷の玉座の間に響き渡った。
それは、もはや魔王軍幹部の冷徹な声ではなかった。
不格好で、みっともなくて、しかし、どうしようもなく庇護欲をかき立てる「可愛いもの」を見つけてしまった、ただ一人のコレクターの、心の叫びだった。
彼女の氷の仮面は、完全に砕け散った。
頬は朱に染まり、息は荒く、その瞳は、尻餅をついたままきょとんとしているギルに、釘付けになっている。
彼女の心の乱れに呼応するように、周囲に控えていた氷の人形たちが、ピシ、ピシ、と、動きを止めた。
絶対的な支配者からの命令が、途絶えたのだ。
「…え? なんだ…?」
ギルは、状況が全く理解できていない。
アイリス分隊の他の面々も、敵のあまりの豹変ぶりに、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。
『よし。敵将の精神防御を、完全に、破壊した』
ノクトの、満足げな声だけが、アイリスの脳内に、冷静に響いていた。
数秒後。
レイラは、はっ、と我に返ると、乱れた呼吸を整えるように、一つ、咳払いをした。
だが、一度溶けた氷の仮面は、もう元には戻らない。
彼女は、アイリスに向き直った。
その瞳には、先ほどまでの冷酷さとは違う、熱っぽく、ギラギラとした光が宿っていた。
それは、獲物を見つけた、捕食者の目。
あるいは、ショーウィンドウで、一点物の宝石を見つけてしまった、蒐集家の目だった。
「あなた…聖女アイリスと言ったわね」
「は、はい…」
「この戦い、私の負けでいいわ。いいえ、勝敗など、もはやどうでもいい。私は、今、生まれて初めて、芸術的な『感動』を覚えているのだから」
レイラは、うっとりとした表情で、ギルを一瞥した。
「その男…ギル。彼を、私に譲りなさい。私の完璧なコレクションに、彼という名の『混沌』を加えたい。見返りは、弾むわ。この先の、魔王城までの安全を保証する。この城の財宝も、好きなだけ持っていくがいい」
それは、彼女にとって、最大限の譲歩だった。
だが、その言葉に、最初に反応したのは、ギル本人だった。
「断る!」
彼は、むくり、と巨体を起こすと、アイリスの前に立ちはだかった。
「俺は、姉御の一番の舎弟であります! あんたみたいな、趣味の悪い女のコレクションになる気は、一切ねえ!」
その、あまりにも真っ直ぐな、忠誠の言葉。
ノクトは、それを見て、冷静に、計算を弾いていた。
『新人。取引に応じろ。あのギルと引き換えに、魔王城までの安全なルートと、この城の宝物庫を要求しろ。悪くない取引だ』
(神様! 仲間を、売り渡すことなど、できません!)
アイリスは、内心で、強く反発した。
いつの間にか、ギルは、彼女にとって、ただの元・魔王軍幹部ではなく、守るべき、分隊の一員となっていたのだ。
レイラは、ギルの、そのアイリスに忠誠を誓う姿を見て、なるほど、と、手を打った。
「そう…そうよね。ただの人形を手に入れても意味がない。重要なのは、その人形に魂を吹き込み、あのような、愛らしくも情けない姿を、演出してみせた、あなたという『芸術家』…」
彼女の、執着に満ちた視線が、ギルから、アイリスへと、完全に移った。
「あなた、面白いわ。とても、とても、面白い」
レイラの唇が、三日月のように、吊り上がる。
「分かったわ。その男はいらない。代わりに、あなた自身が、私の庇護下に入りなさい、聖女アイリス。あなたの『作品』作りを、私がパトロンとして、後援してあげる」
「…は?」
「そして、その可愛いグリフォンもね。もちろん、私のコレクションとして」
交渉は、最悪の方向へと、転がっていった。
『…交渉決裂だな』
ノクトの声が、温度を失った。
『新人、最終計画に移行する』
(最終、計画…?)
『ああ。敵の弱点を突く、最終奥義だ』
彼の言う最終奥義とは、つまり、いつもの、ヤケクソじみた、ゴリ押しだった。
『テオ、聖句を詠唱! ジーロス、最大光量のフラッシュ! ギル、玉座を破壊! シルフィ、天井のシャンデリアを撃て! 全員、同時にだ!』
アイリスが、その無茶苦茶な命令を叫ぶ。
「承知!」
仲間たちは、もはや、その指示に、一切の疑問を抱かなかった。
「主は言われる!『光あれ!』と!」
テオの絶叫。
「これぞ、美の集大成!」
ジーロスの閃光が、世界を白く染め上げる。
「姉御の、邪魔をするなぁ!」
ギルの戦斧が、レイラの魔力の源である、氷の玉座を、粉々に砕いた。
そして、シルフィの矢が、天井から下がる、巨大な氷のシャンデリアの、根元を、正確に撃ち抜く。
轟音。閃光。衝撃。祈りの言葉。
それらが、渾然一体となって、玉座の間を、混沌の渦に叩き込んだ。
数秒後。
光が収まった時、そこに、レイラの姿は、もうなかった。
彼女の肉体は、この城にはない。
彼女本人だと思っていたのは、遠隔操作された、氷の人形だったのだ。
あまりの感覚情報の暴力に、術者との接続が、強制的に、断ち切られたのである。
「覚えてらっしゃい…私の可愛い、聖女様…!」
どこからか、そんな、怨念のこもった、しかし、どこか嬉しそうな声が、響き渡った気がした。
後に残されたのは、半壊した玉座の間と、呆然と立ち尽くす、アイリス分隊だけだった。
『…逃したか』
ノクトが、忌々しそうに、舌打ちした。
『まあいい。ルートの安全性は確保できた。枕探しを再開する。出発だ』
(え、ええ!? これで、終わりですか!?)
アイリスは、叫んだ。
敵は、まだ、生きている。
それどころか、自分への、異常な執着を、むき出しにしてきたというのに。
彼女の、今後の旅路の安全は、全く、確保されていなかった。
むしろ、魔王軍幹部という名の、極めて厄介なストーカーが、誕生してしまっただけである。
ノクトの不純な作戦は、いつも、後始末が、雑すぎた。




