第十八話 褒美と新たな面倒事
玉座の間での、嵐のような報告会を終えたアイリス一行は、英雄として王宮に迎えられた。
昨日まで一介の新人騎士だったアイリスは、今や、すれ違う上級騎士や貴族たちが、畏敬の念を込めて道を譲るほどの存在となっていた。
「…アイリス殿。此度の活躍、見事であった」
特に、彼女を目の敵にしていたはずの、騎士団のエリートたちが、悔しそうに、しかしその実力を認めざるを得ないといった表情で、挨拶をしてくる。
アイリスは、その度に背筋に冷たい汗を感じながら、完璧な騎士の笑みを貼り付けて応対した。
だが心の中は、自分の嘘がいつバレるかと、恐怖で張り裂けそうだった。
彼女の苦悩をよそに、仲間たちは、英雄の待遇を心の底から満喫していた。
「姉御! この城の廊下、ピカピカでありますな! 俺の顔が映っております!」
ギルは、大理石の床に映る自分の顔(人間の姿)を見て、子供のようにはしゃいでいる。
時折、すれ違う騎士に「よぉ!」と、フレンドリーに声をかけ、相手の鎧をへこませるほどの力で肩を叩いていた。
「ノン! この城の芸術性は、あまりに旧時代的だ! この僕が、美的感性あふれる空間へと、生まれ変わらせてあげよう!」
ジーロスは、歴代国王の肖像画が飾られた廊下で、壁の配色や絵画の構図に、一人でダメ出しを始めている。
「ひひひ…王宮の連中は、みんないいもん着てやがるな…。あの宝石、いくらになるかな…?」
テオは、貴婦人たちのドレスや宝飾品に、値踏みをするような、いやらしい視線を送っていた。
シルフィは、玉座の間から一歩出た瞬間から、すでに迷子になっていた。
アイリスが気づいた時には、彼女はなぜか厨房で、料理長に「毒味役ですか?」と聞かれ、首を傾げていた。
アイリスは、仲間たちが新たな問題を起こす前に、一刻も早く、割り当てられた客室で休息を取りたかった。
国王から与えられた褒美は、破格のものだった。
アイリスは、新人としては異例の、分隊長への昇進。
仲間たちは、「王国付き特別功労者」という、なんだかよく分からないが、すごそうな名誉称号と、一生遊んで暮らせるほどの報奨金を与えられた。
そしてアイリスは、その仲間たちを隊員とする「王国付き特殊分隊」の分隊長を務めることになった。
分隊には、王城の中でも、特に見晴らしの良い一角にある、豪華な続き部屋が与えられた。
その日の午後、旅の疲れを癒していたアイリスの元へ、国王からの、二度目の召喚の知らせが届いた。
今度は、彼女一人だけ、とのことだった。
アイリスが、緊張しながら再び玉座の間を訪れると、そこには、国王が一人、満足げな表情で彼女を待っていた。
騎士団長アルトリウスの姿はない。
「アイリス騎士。改めて、よくやってくれた。そなたの型破りな戦術は、凝り固まっていた我らの戦の常識を、打ち破ってくれた」
国王は、彼女の功績を、手放しで賞賛した。
そして、その目は、狂信的とすら言えるほどの、輝きを放っていた。
「そなたの活躍が、朕に、ある一つの決意をさせたのだ。大規模な軍を動かし、時間をかけて魔王軍と対峙するなど、もはや古い! 今、我らに必要なのは、そなたのような、鋭き刃!」
国王は、玉座から立ち上がると、壁に飾られていた、巨大な魔大陸の地図を指差した。
「聖女アイリスよ! そして、その不思議な仲間たちよ! 王国の、いや、この世界の刃となり、魔王の懐に、直接切り込むのだ!」
彼が指差したのは、魔大陸の中心。絶望の象徴、魔王城。
「―――魔王城へ、乗り込み、魔王ゼノスの首を取ってまいれ!」
アイリスは、耳を疑った。
正気の沙汰ではない。
それは、英雄の任務ではなく、ただの自殺だ。
「へ、陛下! なりませぬ! それは、あまりにも無謀です!」
「無謀ではない!」
国王は、彼女の言葉を遮った。
「そなたたちは、あの難攻不落の砦を、たった数日で、しかも喝采を浴びながら落としたではないか! そなたたちならば、可能だ!」
完全に、自分の手柄を、過信されている。
アイリスは、必死に反論しようとした。
(神様! 大変です! 国王が、私たちに、魔王城へ乗り込めと…!)
その頃、ノクトは、自室の椅子の上で、至福の時を過ごしていた。
マナ通信網は、一点の曇りもなく、完璧に安定している。目の前の兵棋盤には、最新作『帝国興亡記VIII』の、壮麗なタイトル画面が映し出されていた。
彼は、コーラのグラスを口元へ運び、いよいよ、この新しいゲームの世界へ旅立とうとしていた。
その、瞬間だった。
『―――神様! 大変です! 国王が、私たちに、魔王城へ乗り込めと…!』
アイリスの、絶望に満ちた絶叫が、彼の脳内に、直接響き渡った。
ブフォッ!
ノクトは、口に含んだコーラを、盛大に吹き出した。
「…はぁ!? 魔王城だと!? なぜそうなる!?」
彼の完璧な平和は、開始五秒で、無慈悲に打ち砕かれた。
ありえない。
面倒くさすぎる。
北の砦を落としたのは、あくまで、自分のネット回線のためだ。
世界の平和など、一ミリも興味がない。
『断れ。即刻、断るんだ。そんな費用対効果の悪い任務、受けるだけ無駄だ。聞こえなかったのか? 俺は今から、忙しいんだ』
アイリスは、ノクトからの、あまりにも自分勝手な命令に、涙目になりながらも、国王に任務の辞退を申し出ようとした。
しかし、国王は、彼女の葛藤に気づく様子もなく、一つの、古びた羊皮紙を彼女に手渡した。
「これは、初代英雄が遺したとされる、魔王城の古地図だ。今回の褒美の一つとして、そなたに授けよう。何かの役に立つやもしれん」
ノクトは、アイリスの目を通して、その地図を視界に入れた。
(…ふん。ただの古い地図か。こんなもの…)
彼が、興味なさげに視線を走らせた、その時。
地図の隅に、古代エルフ語で書かれた、小さな、小さな注釈が、彼の目に留まった。
彼の脳が、高速で、その古代語を解析する。
『―――城の最下層。初代英雄の封印の間。その奥に、「夢織りの枕」は眠る。古代文明の秘宝にして、使用者に、体感八時間の完璧な睡眠を、わずか十分の時間で与えるという、奇跡の安眠用具なり―――』
ピタリ、と。
ノクトの思考が、固まった。
完璧な、睡眠。
八時間を、十分に。
それはつまり、睡眠時間を犠牲にすることなく、一日を二十四時間から、実質三十一時間五十分にまで延長できる、ということ。
ゲームをする時間が増える。
ネットサーフィンをする時間が増える。
ゴロゴロする時間が増える。
彼の脳内で、コストパフォーマンスの計算が、凄まじい速度で更新されていく。
魔王城への潜入リスク、パーティーメンバーの管理コスト、それら全てを、天秤の片方へ。
そして、もう片方へ、「夢織りの枕」を。
―――天秤は、一瞬で、傾いた。
アイリスは、まだ、国王への断りの言葉を、必死に探していた。
その彼女の脳内に、今まで聞いたこともないような、熱っぽく、そして欲望に満ちた、ノクトの声が、響き渡った。
『……新人』
(は、はい!)
『―――その任務、受けろ』
アイリスは、我が耳を疑った。
数秒前まで、あれほど頑なに拒否していたはずの、神の声。
(え…? あの…聞き間違いでは…?)
『聞こえなかったのか、受けろと、言っているんだ!』
その声は、もはや神の威厳などかなぐり捨てた、ただの我欲の塊だった。
『その任務! 今すぐ、この場で、謹んで、お受けしろ! これは、神の命令だ! 絶対だ!』
ノクトは、自室の椅子の上で、拳を固く握りしめていた。
(古代文明の超快適安眠用具…。なんとしても、手に入れる…! 世界がどうなろうと知ったことか! 俺の安眠こそが、世界の真理だ!)
彼の不本意な英雄譚は、今、史上最も不純で、個人的な動機によって、次なる、そして最大の舞台へと、その幕を開けようとしていた。




