第十七話 凱旋と尋問
「奇跡の聖女アイリス一座」の旅は、もはや隠密行動とは名ばかりの、華々しい凱旋パレードと化していた。
一行が次の町、次の村へと進むたび、その噂は先回りし、人々は彼らを一目見ようと沿道に集まった。
聖女の「奇跡」に涙し、力持ちジャイルズの「怪力」にどよめき、光の魔術師の「芸術」に感嘆し、エルフの「神業」に息をのんだ。
彼らは、もはやただの旅芸人ではなかった。
暗い世を照らす、生ける伝説。
民衆の希望そのものだった。
アイリスは、自分に忠実なグリフォン「ゼファー」の背に乗り、眼下に広がる熱狂を、複雑な思いで見下ろしていた。
(…私がしていることは、本当に正しいことなのだろうか)
人々の笑顔は、本物だ。
彼らが抱く感謝と希望も、本物だ。
だが、その全てが、自分の頭の中にいる、不遜で怠惰な「神」が描いた脚本の上に成り立っている。
その事実は、彼女の心を、日に日に重く蝕んでいった。
「姉御! 王都の尖塔が見えてきやしたぜ!」
地上から、ギルの朗らかな声が響く。
ついに、長かった旅路の終わりが見えてきた。
しかし、アイリスにとっては、それは、最後の、そして最大の試練の始まりを意味していた。
(…王宮で、この旅の成果を報告しなければならない。いったい、どう説明すれば…)
「聖女の奇跡」も、「熊殺しの一族」も、全てが嘘八百。
そして何より、隣を歩くこの忠実な舎弟は、少し前まで王国を脅かしていた、魔王軍の幹部なのだ。
真実を話せば、待っているのは断罪だろう。
嘘を吐き続ければ、聖女という偶像は、さらに巨大になっていく。
どちらを選んでも、彼女が夢見た「正しき騎士」の道からは、遠くかけ離れていた。
王都は、一行の帰還を、国を挙げて歓迎した。
門をくぐると、道は民衆で埋め尽くされ、色とりどりの花びらが、雨のように一行に降り注ぐ。
「聖女様、お帰りなさい!」
「英雄ジャイルズ! あんた最高だぜ!」
「一座の皆さん、ありがとう!」
その熱狂は、すぐに王の耳にも届いた。
王宮に到着するやいなや、一行は、玉座の間への召喚を受けた。
通された広間には、満面の笑みを浮かべる国王と、居並ぶ大臣たち。
そして、その傍らには、一人だけ、険しい表情でアイリスを睨みつける男がいた。
聖騎士団の団長にして、アイリスの直属の上司でもある、アルトリウス。
実直で、規律を何よりも重んじる、王国最強の騎士。
(…終わった…)
アイリスは、その鋭い視線に射抜かれ、全てを見透かされているような気分になった。
(神様! どうすればいいのですか! 王と、何より団長に、この状況を、どう説明すれば!?)
彼女がパニックに陥っていると、脳内に、どこまでも冷静な声が響いた。
『落ち着け。これもショーの延長だと思え。観客が、王と大臣に変わっただけだ。ここ一番の大舞台じゃないか』
ノクトは、この状況ですら、楽しんでいるようだった。
『心配するな。俺が、完璧な脚本を用意してやる。お前は、俺の言う通りに演じればいい』
「…面を上げよ、聖女アイリス」
国王の、威厳に満ちた声が響く。
アイリスは、震える体を叱咤し、顔を上げた。
「北の砦の奪還、見事であった! まさか、これほど早く、しかも民衆の支持を得て帰還するとは、期待以上だ! 褒美をとらす!」
「は…! もったいのうございます、陛下!」
「うむ。して、その者たちが、報告にあった、旅の仲間たちか」
王の視線が、アイリスの後ろに控える仲間たちへと移る。
ジーロスは優雅に微笑み、テオは金目のものを探してキョロキョロし、シルフィは緊張で固まっている。
そして、ギルは、その巨体で、威風堂々と立っていた。
その時、沈黙を守っていた騎士団長アルトリウスが、低い声で口を開いた。
「…陛下。恐れながら、いくつか質問がございます」
彼の視線は、真っ直ぐにアイリスを射抜いていた。
「アイリス騎士。報告によれば、貴官は、道中で芸人一座を名乗り、民衆から寄付を募っていたという。これは事実かな?」
「…っ!」
アイリスの心臓が、大きく跳ねた。
『うろたえるな。堂々と答えろ。「はい、事実です」と』
アイリスは、ノクトの言葉を、そのまま復唱した。
「はい、事実です」
「ほう。騎士が、見世物となって金を稼ぐとは、聞いたことがないな。その意図は?」
アルトリウスの、追及の視線が突き刺さる。
『脚本通りにいけ。「あれは、敵の目を欺き、情報を得るための、高度な隠密作戦でした」』
「あれは、敵の目を欺き、情報を得るための、高度な隠密作戦でした」
『「我々は、ただの芸人一座を装うことで、魔王軍の警戒網を潜り抜け、民衆の中に紛れた間諜や、協力者を探し出していたのです」』
アイリスがそう続けると、大臣たちから「おお…」と、感心の声が漏れた。
「…なるほど。して、その隣にいる大男。報告では、『熊殺しの一族』のジャイルズとあるが、そのような一族、寡聞にして知らんな」
アルトリウスの追及は、止まらない。
『「彼は、王国北方に隠れ住む、伝説の戦闘民族の末裔。私が、その力を認め、三顧の礼をもって、この度の任務に協力していただきました。彼の怪力なくして、この作戦の成功はありませんでした」』
アイリスの淀みない返答に、アルトリウスは、少しだけ眉をひそめた。
「…では、最後に一つ。そのグリフォンは、どこで手に入れた? 報告では、『敵将の騎獣が、聖女の徳に触れて、正義に目覚めた』とあるが…にわかには信じがたい」
広間に、緊張が走る。
これが、最大の難関だった。
『…ふん、クライマックスだな』
ノクトは、不敵に笑った。
『新人、こう答えろ。「信じるか信じないか、それは団長、あなた様の自由です。ですが、あのグリフォンが、今、私の隣にいる。それが、全てです」』
そして、ノクトは、最後の指示を出した。
『――そして、ウインクしろ』
(う、ウインク!?)
『いいから、やれ!』
アイリスは、羞恥心と恐怖で死にそうになりながらも、アルトリウスに向かって、ぎこちなく、片目をつぶってみせた。
その瞬間、アルトリウスの、氷のように硬い表情が、初めて、ピシリと、わずかに、崩れた。
彼の脳裏に、様々な憶測が渦巻く。
(…まさか。この小娘、あの魔獣を手懐けるために、色仕掛けでも使ったというのか…? いや、だが、それほどの度胸と覚悟がなければ、魔王軍の幹部が守る砦など、落とせるはずが…)
彼は、アイリスという騎士を、ただの真面目な新人だと、完全に見誤っていたのかもしれない。
アルトリウスが押し黙ったことで、玉座の間は、完全に国王のペースとなった。
「見事だ、アイリス! その機転、その度胸、まさに英雄の器! そなたたちの功績に、改めて、最大の賛辞を贈ろう!」
こうして、アイリスの報告会(という名の、ノクト脚本による大芝居)は、圧倒的な成功のうちに、幕を閉じた。
その頃、ノクトは、水盤に映る結果に、満足げに頷いていた。
「さて、最終プレゼンは、評価Sプラスといったところか。これで、当面の面倒事は回避できたな」
彼は、自室の椅子の上で、完璧な勝利の余韻に浸る。
だが、彼はまだ知らない。
この日の報告が、王に、ある一つの、とんでもない決意をさせてしまったことを。
そして、その決意が、いずれ彼を、これまでで最大の面倒事――魔王城への直接攻撃――へと、引きずり込むことになるのを。




