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第十六話 勝利の代償

 興行決戦に勝利した翌朝、商業都市ゴールドポートは、「聖女アイリス一座」の話題で持ちきりだった。

 一行が滞在する宿屋の前には、夜明け前から黒山の人だかりができていた。

 奇跡の聖女に一目会おうとする者、病を癒してもらおうと懇願する者、そして、昨夜のショーの熱狂を忘れられず、ただその名を叫び続ける者たち。

「姉御! このギルが、姉御に近づく不埒な輩を、一人残らず叩き出しやす!」

「ノン! 見たまえ、この熱狂こそが、大衆が僕のアートを理解した証だ!」

「ひひひ…!おい、ジーロス!お前の『祝福の羽根』も売り切れだぞ!もっと量産しろ!こっちも、聖女様のクソみてえな似顔絵を描くので指が腱鞘炎になりそうだぜ!」

 ギルは、宿の用心棒として目を光らせ、ジーロスは熱狂的なファンに囲まれて自らの芸術論を説き、テオはちゃっかりと追加のグッズ(粗悪品)の生産に追われ、嬉しい悲鳴を上げていた。

 ただ一人、アイリスだけが、部屋の窓からその光景を眺め、深く沈み込んでいた。

 部屋の屋根の上では、昨夜からすっかり彼女に懐いてしまったグリフォンのゼファーが、巨大な猫のように丸くなって、主人の目覚めを健気に待っている。

(…私は、一体、何をしてしまったのだろう…)

 勝利の熱狂とは裏腹に、彼女の心は、重い罪悪感で満たされていた。


「…リカルド殿」

 アイリスは、人々の目を盗んで宿を抜け出すと、サーカス団が使っていた広場の片隅を訪れた。

 そこでは、リカルドと、数人の団員たちが、静かに、そして寂しく、撤収作業を進めていた。昨日の華やかさは、見る影もない。

 彼女の姿に気づいたリカルドは、自嘲気味に笑った。

「やあ、聖女様。負け犬を笑いに来たのかい?」

「…違います」

 アイリスは、深々と頭を下げた。

「昨夜は、申し訳ありませんでした。あなたの誇りを、大勢の前で傷つけてしまいました」

 彼女は、屋根で待機しているゼファーを指差した。

「ゼファーを、お返しします。彼は、あなたの、大切な相棒のはずです」

 その言葉に、リカルドは、ゆっくりと首を横に振った。

「…いや、いいんだ。あいつは、君を選んだ。俺は、あいつを力と厳しい訓練で縛り付けていただけだった。だが、君は、何もせずに、あいつの心を開かせた。…あれが、君の言う『奇跡』というやつなんだろうな」

 彼の表情に、昨日のような敵意はなかった。

 ただ、全てを失った男の、空虚な諦めだけが漂っている。

 その姿が、アイリスの胸を、さらに締め付けた。

「…一つ、忠告しておくよ、聖女様」

 リカルドは、去り際に、ふと何かを思い出したように、振り返った。

「そのグリフォン…ゼファーは、俺が北の凍土で、ある高名な魔物コレクターの女から、大金を払って譲り受けたものだ。その女は、『氷の人形遣い』レイラと呼ばれている。自分のコレクションに対する執着は、異常なほどに強い」

 彼の目は、真剣だった。

「もし、そのレイラの耳に、『かつて彼女のコレクションだったグリフォンが、奇跡の聖女の新しいペットになった』なんて噂が届いたら…彼女が、どう動くか。…気をつけるんだな」

 それは、敗者のやっかみなどではない、真にアイリスの身を案じる、警告の言葉だった。


 宿に戻ったアイリスは、リカルドの言葉を、脳内で反芻していた。

(氷の人形遣い、レイラ…)

 不吉な響きを持つその名前に、彼女は言い知れぬ不安を覚える。

(神様、ご報告があります。リカルド殿と話しました。そして、新たな脅威の可能性が…)

 彼女が、事の次第をノクト()に伝えようとした、その時。

『感傷に浸っている場合か、新人。それより、昨日の興行収支と、今後の経営戦略について、会議を始める』

 彼女の言葉を遮って、あまりにもビジネスライクな声が、脳内に響いた。

(け、経営戦略…!?)

『そうだ。昨日の収益は、予想を上回るものだった。だが、経費もかさんでいる。特に、あのグリフォン(デカい鳥)の食費は、計算外の出費だ。早急に、収益モデルを改善する必要がある』

 ノクト()は、アイリスの罪悪感や、新たな脅威への懸念など、全く意に介していない。

『そこで、提案だ。新たな収益の柱として、「聖女アイリス様ファンクラブ」を設立する』

「ふぁ、ふぁんくらぶ!?」

 思わず、声が漏れた。

『そうだ。会員ランクを三段階に分ける。「銅の信者」「銀の信者」「金の信者」。それぞれ、月額の寄付金額に応じて、受けられる神の恩恵サービスが変わるという仕組みだ』

 ノクト()は、楽しそうに、その悪魔的なシステムを説明し始めた。

『銅は、聖女様のありがたいお言葉(定型文メール)が月に一度届く。銀は、それに加えて、ジーロスが祝福した羽根(三日で光が消える)が送られる。そして、金は! なんと、聖女アイリス様ご本人との、ありがたい握手会に参加できる権利が与えられる!』

(…もう、メチャクチャだ…)

 アイリスは、あまりのことに、言葉を失った。これは、もはや聖女の旅ではない。悪徳商法だ。


 その日の午後。

 アイリス一座は、ゴールドポートの民衆から、熱狂的な見送りを受けて、次の町へと出発した。

 テオは、早速設立したファンクラブの初期会員名簿を手に、ほくそ笑んでいる。

 アイリスは、すっかり彼女の専用機となったゼファーの背に乗り、大空から、眼下で手を振る人々を見下ろしていた。

 英雄として、聖女として、人々の期待を一身に背負う。それは、かつて彼女が夢見た光景のはずだった。

 だが、今の彼女の心は、晴れやかな空とは裏腹に、重く、暗い雲に覆われていた。

 リカルドの警告が、頭から離れない。

(…私は、本当に、このままでいいのだろうか…)


 その頃、ノクト()は、水盤に表示された王国地図の上に、新たな情報を書き込んでいた。

「ファンクラブの初期会員数、予想以上だな。これは良いデータが取れる。次の町では、このデータを元に、客単価を上げるための新しい施策を打つか…」

 彼は、自室の椅子の上で、世界で最も不謹慎な経営シミュレーションゲームに、夢中になっていた。

 ヒロインが抱え始めた罪悪感も、北の地から迫るかもしれない新たな脅威も、今の彼にとっては、ゲームを面白くするための、ただのスパイスでしかなかった。

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