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第十五話 興行決戦

 商業都市ゴールドポートの中央広場は、日没と共に、異様な熱気に包まれていた。

 広場の東西に即席の舞台が設えられ、その間には、この町始まって以来ではないかというほどの大観衆が、今か今かと開演を待ちわびている。

 今夜、ここで繰り広げられるのは、古くからこの町で人気を博してきた「英雄リカルドと竜殺しのサーカス団」と、彗星の如く現れた「奇跡の聖女アイリスと不思議な仲間たち一座」の、興行権を賭けた直接対決だ。

「アイリス様…! 無理です、逃げましょう! 私、あんな人前で矢を射ることなんて…!」

「姉御、心配はいりやせん! 俺が観客を全員、力尽くで黙らせやす!」

「ノン! 観客の期待と不安が、最高のスパイスとなって、今、この舞台を熱している! 素晴らしい…実にアーティスティックだ!」

「ひひひ…オッズは俺たちの負けに傾いてやがるな…。こりゃ、大穴を当てるチャンスだぜ…!」

 出番を前に、アイリス一座の面々は、いつも通りの大混乱に陥っていた。

 アイリスは、緊張で吐きそうになるのを、必死にこらえていた。

(神様! 本当に勝てるのでしょうか…!? あちらは、本物のプロの芸人一座です…!)

 彼女の悲痛な問いかけに、ノクト()の声は、どこまでも冷静だった。

『落ち着け、新人。ショーの勝敗は、開演前に八割決まっている。そして、すでに俺の勝ちだ』

 その絶対的な自信は、一体どこから来るのだろうか。

 アイリスには、全く理解できなかった。


 先攻は、リカルドのサーカス団だった。

 派手なファンファーレと共に、炎を吐く曲芸師や、宙を舞う軽業師たちが次々と現れ、洗練されたパフォーマンスで、観客の心を一瞬で掴んでいく。

 そして、ショーの最後。リカルド本人が、翼を持つ魔獣グリフォン「ゼファー」と共に、舞台に姿を現した。

「諸君! 我が相棒、ゼファーの勇姿をとくとご覧あれ!」

 リカルドの号令一下、グリフォンは天高く舞い上がり、炎の輪をくぐり抜けるなどの離れ業を次々と披露する。

 観客の興奮は最高潮に達し、広場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

 ショーを終えたリカルドは、汗を拭いながら、勝ち誇った顔でアイリスの舞台に視線を送った。

(どうだ、見たか。これが本物のエンターテイメントだ。お前たちの素人芸など、この熱狂の前では霞んで見えるだろう)

 その視線を受け、アイリスの足は、完全にすくんでしまった。


『…さて、始めようか』

 ノクト()の、まるでゲームの開始を告げるかのような声が、アイリスの脳内に響いた。

 アイリス一座の、運命の舞台が、今、幕を開ける。

 最初に舞台に上がったのは、口上役のテオだった。しかし、彼の口から出たのは、自分たちのショーの宣伝ではなく、意外な言葉だった。

「皆様! ただいまの、リカルド殿の素晴らしいショー、ご覧になりましたか! なんという勇壮な英雄! なんという美しきグリフォンでありましょう! 人が獣を従える、その力の証明! まさに圧巻の一言であります!」

 予想外の賛辞に、観客も、そしてリカルド本人も、戸惑いの表情を浮かべる。

 テオは、ニヤリと笑うと、声を一段と張り上げた。

「しかし! 我らがお見せするのは、人が獣を『従える』、力のお話ではございません! 我らがお見せするのは、聖女の徳を慕い、猛々しき魔獣が、自ら『かしずく』、奇跡の物語なのであります!」

 その言葉と共に、ジーロスが、アイリスの立つ舞台袖に、後光のような、荘厳なスポットライトを当てた。

 観客の視線が、一斉にアイリスへと集まる。

『新人、舞台の中央へ。何もするな。ただ、あのグリフォンを、慈愛の目で見つめろ』

 アイリスは、言われるがままに、舞台の中央へと進み出た。

 そして、リカルドの隣で誇らしげに翼を広げているグリフォン・ゼファーを、まっすぐに見つめた。

 その瞬間、ノクト()は、自らの魔力を、針のように細く、そして誰にも気づかれぬほど微弱に練り上げると、空間を超えて、ゼファーの脳へと直接送り込んだ。

 それは、強制的に操るような、野蛮な魔法ではない。

 ただ、ゼファーが最も好む木の実の匂いと、母親の温もりのような、絶対的な安心感。

 それだけを、幻覚として見せる、極めて繊細な誘導魔術。

 リカルドの隣にいたゼファーは、突如として、その動きを止めた。

(…なんだ? この、心地よい感覚は…?)

 そして、くんくん、と鼻を鳴らすと、その大きな瞳で、舞台の上のアイリスを、じっと見つめた。

 リカルドが、「どうした、ゼファー?」と声をかけるが、もうその声は届いていない。

 ゼファーは、主人のことなどすっかり忘れ、まるで夢遊病者のように、ゆっくりと、一歩、また一歩と、アイリスの元へと歩き始めたのだ。

「お、おい、ゼファー! 戻ってこい!」

 リカルドの焦った声も無視して、ゼファーはアイリスの目の前まで来ると、その巨大な体を地面に伏せ、恭しく、彼女の足元に、その頭を垂れた。

 広場は、水を打ったように、静まり返っていた。

 人が、魔獣を調教で従えることはある。だが、聖女が、ただそこに立つだけで、猛々しい魔獣が、自ら敬服の念を示すなど、前代未聞の光景だった。

 その静寂を破ったのは、ジーロスの叫びだった。

「見よ! これぞ、真の美! 力ではなく、徳が、獣の魂を屈服させた、奇跡の瞬間である!」

 ジーロスの光が、ひざまずくグリフォンと、その頭を優しく撫でる聖女の姿を、まるで一枚の宗教画のように、神々しく照らし出す。

 ギルが、そのアイリスを軽々と抱き上げ、グリフォンの背に乗せた。シルフィが放った矢が、上空で弾け、祝福の光の雨が、キラキラと降り注ぐ。

 次の瞬間、観客は、理性を失ったかのような、熱狂的な大歓声を上げた。

「「「聖女様! 聖女様! 聖女様!」」」


 ショーの勝敗は、決した。

 リカルドは、自分の相棒にまで見捨てられ、舞台の隅で、ただ呆然と立ち尽くしている。

 観客は、もはや彼の事など忘れ、アイリスの元へと殺到していた。

「さあさあ! この奇跡の瞬間の、ありがたいお裾分けだよ!」

 テオは、この機を逃さず、懐から取り出した、自作の「聖女アイリスのありがたい肖像画(棒人間)」を、高値で売りさばき始めた。それは、飛ぶように売れていった。


 その日の夜。

 一行が泊まる宿の(うまや)で、アイリスは、すっかり自分に懐いてしまったグリフォンのゼファーの首を撫でながら、一人、物思いに耽っていた。

 戦わずして、勝った。多くの人々を熱狂させ、莫大な寄付金も集まった。

 だが、彼女の心に残ったのは、勝利の高揚感ではなく、一人の男を社会的に抹殺してしまった、という、重い後味だけだった。

(…これが、神様のやり方…)


 その頃、ノクト()は、水盤に表示された収支報告書を眺め、ほくそ笑んでいた。

「ふん、ショービジネスの基本は、相手の土俵で戦わないことだ。観客の期待を裏切り、そして上回る。実に、面白いゲームだった」

 彼は、会計報告の最後に、新しい項目を付け加えた。

「…さて、と。グリフォンの維持費は、いくらに設定するか。今後の収支計画に、組み込んでおかないとな…」

 彼の頭の中では、次の「経営シミュレーション」が、すでに始まっていた。

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