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第十一話 隠密行動

 王都への帰還の旅が始まった。

 一行の前に、最初の関門となる、街道沿いの宿場町が見えてくる。

 砦から出発して半日、これが彼らの「変装大作戦」が試される、最初の舞台だった。

「―――皆、いいか! 町に入る前に、最後の作戦確認を行う!」

 アイリスは、街道の脇に全員を集め、鬼気迫る表情で告げた。

 彼女の視線は、九割方、パーティー最大の問題児、ギルに固定されている。

「ギル殿! あなたの名前は、物静かな旅の商人『ジャイルズ』です! いいですね!」

「はっ! 物静かな商人『ジャイルズ』! 承知つかまつったであります、姉御!」

「姉御と呼ぶな!」

 アイリスは叫んだ。

「あなたは私のことなど知らない、赤の他人です! 町の中では、私に話しかけてはなりません!」

「はっ! 赤の他人! 話しかけない! 承知であります!」

「そして、何があっても、絶対に喋るな! 聞かれたら、笑顔で頷くだけにしてください! いいですね、絶対に、喋るな!」

「はっ! 絶対に喋らない! 笑顔で頷く! お任せくださいであります!」

 アイリスは、その元気すぎる返事に、早くも眩暈(めまい)を覚えた。

 そこに、全く求めてもいないアドバイスが、横から飛んでくる。

「フム、我がプロデューサーよ。彼に『平凡な商人』を演じさせるには、一つコツがある」

 ジーロスが、芝居がかった仕草で言った。

「いいかい、ジャイルズ君。庶民とは、常に人生に疲れているものだ。背を丸め、うつむき加減に、人生の苦悩をその背中で語るんだ。それが、リアリティという名のアートだよ」

「なんと! 人生の苦悩を背中で! 勉強になります、ジーロス殿!」

「おいおい、それだけじゃ足りねえぜ」

 テオが、ニヤニヤしながら口を挟む。

「商人なら、もっとこう、損得勘定に汚い顔をしなきゃな。常に眉間にしわを寄せて、道端の石ころすら『これは金になるか?』って目で見るんだ。それが本物ってもんよ」

「なんと! 金に汚い顔! それもまた勉強になります!」

 アイリスは、頭を抱えた。

 このままでは、ギルは「人生の苦悩を背負い、金に汚い顔で、無言で激しく頷く、不気味な巨漢」という、変装前よりよっぽど目立つ存在になってしまう。

「…もう結構です! 皆、余計なことはしないでください! とにかく、ギル殿は喋らない! いいですね!」

 彼女は、もはや神に祈るような気持ちで、町への一歩を踏み出した。


 町の門は、思ったよりも活気に溢れていた。

 行き交う人々、荷を運ぶ馬車、客引きの陽気な声。

 その喧騒が、アイリスの緊張をさらに高める。

 門番は、二人。

 一人は退屈そうに欠伸をしていたが、もう一人は、やけに目つきの鋭い古株だった。

(…最悪だ。あのベテラン兵士、絶対にごまかせない…!)

 一行が門に近づくと、案の定、その古株の兵士が、じろりと一行に視線を向けた。

 アイリス、ジーロス、シルフィ、テオ…そして最後尾の、やけに巨大な商人ジャイルズ(ギル)で、その視線が、ピタリと止まった。

「……おい、そこのデカいの」

 アイリスの心臓が、喉から飛び出しそうになる。

「商人のようだが、随分と立派な体格だな。その腕で何を運んでるんだ? 熊か?」

 アイリスは、後ろを振り向きたい衝動を、奥歯を噛み締めてこらえた。

(喋るな…! 喋るなよ、ギル殿…! アドバイスも全部忘れろ…! ただ、頷くんだ…!)

 ギルは、アイリスの教えを、忠実に守っていた。

 彼は、にっこりと、満面の笑みを浮かべた。幻術で隠しきれない、魔物由来の鋭い犬歯を剥き出しにして。

 そして、ぶんぶん!と、首がもげそうな勢いで、何度も、何度も頷いた。

「…ひっ」

 古株の門番は、その常軌を逸した笑顔と、無言の激しい頷きに、歴戦の勘とは違う、本能的な恐怖を覚えた。

「…あ、ああ、そうか…。わ、分かった。通っていいぞ…」

 なんとか、第一関門は突破した。

 アイリスは、心の中で安堵のため息をついた。

 このまま、何事もなければ…。

 そう願った彼女の目の前で、案の定、最悪の事態が発生した。

「あっ!」

 店の軒先から、一人の少年が、ボールを追って道に飛び出してきた。

 そして、運悪く石につまずき、その場に転んでしまう。

 そこへ、荷物を満載した馬車が、ゴトゴトと音を立てて近づいてきていた。

「危ない!」

 アイリスが、騎士としての本能で駆け出そうとする。

 だが、それよりも早く、一陣の突風が彼女の横を吹き抜けた。

 ギルだった。

 彼は、アイリスから叩き込まれた三つの鉄則――「物静かな商人」「赤の他人」「喋るな」――の全てを、愛する姉御の危機(だと彼が勘違いした状況)を前に、完全に忘却していた。

 彼の喉から迸ったのは、人間の声ではなかった。

「姉御ぉおおおおおおっ! 危ねえであります!!!!」

 かつて戦場を震わせた、悪魔の咆哮が、のどかな宿場町に響き渡る。

 次の瞬間、ギルは馬車に到達すると、その巨大な荷台を、片手で、ピタリと、受け止めていた。

 ミシミシ…バキィッ!と、頑丈な荷台が、彼の圧倒的な握力で軋み、砕ける。

 馬は、突然の急停止に驚き、天高く嘶いた。


 時が、止まった。

 町の全ての人間が、活動を停止し、そのありえない光景を凝視している。

 子供は、ぽかんと口を開けて、自分を助けた(?)巨漢を見上げていた。

 門番は、剣の柄に手をかけたまま、完全に固まっている。

 アイリスは、天を仰ぎ、そっと、顔を手で覆った。

(……終わった……)

 彼女の完璧な(はずだった)隠密ミッションが、開始からわずか十分で、最も派手な形で、完全に破綻した瞬間だった。


『新人! ぼさっとするな! 今すぐ状況を収拾しろ!』

 魂が抜けかけていたアイリスの脳内に、ノクト()の怒声が雷のように突き刺さった。

 ノクトは、水盤に映る惨状に、本気でコントローラーを叩き割りたくなっていた。

『いいか、こう言え!「大変失礼いたしました! こちらは私の『護衛』でして、辺境の出身なもので、少々声が大きく、変わり者なのです!」』

(ご、護衛…!?)

『そうだ! そして続けろ!「彼は、伝説の『熊殺し』の一族の末裔で、その怪力は生まれつきのものです。皆様を驚かせてしまい、誠に申し訳ありません!」と、深々と頭を下げろ!』

 アイリスは、我に返ると、神の脚本通りに、震える声で叫んだ。

「皆様、お騒がせしました! こちらは私の護衛で、『熊殺し』の一族の者です!」

 町の住人たちは、「熊殺し…?」「あの聖女様の護衛…?」と、ざわめき始める。

『壊れた馬車の弁償金は、テオに払わせろ! 奴は金を隠し持っている!』

「弁償は、こちらの者がいたします!」

「なんで俺なんだよ!?」

 テオが抗議の声を上げるが、アイリスの鬼のような形相に、しぶしぶ財布を取り出した。

 高名な聖女アイリスの必死の謝罪と、金貨の力。

 そして、「熊殺しの一族」という、なんだかよく分からないが、すごそうなパワーワード。

 これらの合わせ技によって、町の人々は、半信半疑ながらも、なんとか納得した(させられた)。

 一行は、町中の人々の好奇と畏怖の視線を背中に浴びながら、足早に宿場町を後にした。

 町の外れまで来ると、アイリスはギルに向き直った。

 ギルは、巨大な体を、これ以上ないほど小さく縮こまらせていた。

「あ、姉御…。申し訳ありやせん…。姉御に危険が迫っていると、つい、我を忘れて…」

「……」

 アイリスは、何も言えなかった。

 彼の忠誠心は、本物だ。

 本物だからこそ、手に負えない。


 その頃、ノクトは、こめかみをグリグリと揉んでいた。

(…だめだ、このパーティー。隠密行動の成功率、限りなくゼロに近い。プランBに移行するしかない)

 彼は、水盤の隅に、新たな思考ウィンドウを開いた。

(…ああ、クソ。プランBなんて、面倒くさくて、実行することになるなんて考えてもいなかったのに…)

 彼の苦悩は、まだ始まったばかりだった。

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