第十話 変装大作戦
ノクトが不本意ながらも下した決断により、元・魔王軍幹部ギルを一行に加えることが決定した。
しかし、それは同時に、新たな、そして極めて厄介な問題の始まりを意味していた。
「…よし、皆の者。これより王都へ帰還する」
アイリスは、砦の広間に仲間たちを集め、神妙な面持ちで告げた。
「だが、我々には最優先で達成すべき任務がある。それは、ギル殿の正体を、王都に到着するまで、何人たりとも悟られてはならない、ということだ!」
身長2メートル半ばはあろうかという、牛の頭と角を持つ巨大な魔人。
どこからどう見ても、ただの人間ではない。
このまま街道を歩けば、半日も経たずに通報され、騎士団に包囲されるのがオチだ。
「ついては、ギル殿の変装方法について、皆の知恵を借りたい!」
アイリスが真剣に協力を仰ぐと、三人の仲間たちは、待ってましたとばかりに、三者三様の、絶望的に役に立たない案を提示し始めた。
「簡単なことだぜ、聖女様」
最初に口を開いたのは、テオだった。
「デカい木箱にでもぶち込んで、北の地から王国への『貢ぎ物』ってことにすりゃいい。途中の関所じゃ、俺が衛兵相手にイカサマ博打でも開いて、注意を逸らしてやるよ」
「…それでは、中身を調べられたら一巻の終わりです」
「なんと! それならば、僕に素晴らしいアイデアがある!」
次に、ジーロスが芝居がかった仕草で一歩前に出た。
「『変装』などという小手先の誤魔化しは、三流のやることだ! 発想を逆転させるのさ! むしろ、見せるんだ! 巨大な山車を用意し、彼を神話の英雄として飾り付ける! 僕が光の魔法で荘厳な演出を加えれば、誰もが彼を、凱旋する偉大な神だと信じて疑わないだろう! 題して、『荒ぶる北の神、王都への降臨』!」
「却下です! むしろ騒ぎが大きくなります!」
「あの、それなら…」
最後に、シルフィがおずおずと手を挙げた。
「ギルさんの全身に、葉っぱとか泥をたくさんくっつけて、森の大きな木になりきるのはどうでしょうか…? エルフの隠れ身の術の基本です」
「ギル殿の巨体では、不自然に動く大木のように見えて、かえって目立ってしまいます…」
まともな案が、一つも出ない。アイリスは、早くも企画倒れの予感に、深く、深いため息をついた。
(神様…! この者たちの案では、王都に着くどころか、砦の村で捕まってしまいます…! 何か、何か良い方法はないのでしょうか…!?)
『……はぁ……』
アイリスの脳内に響いたのは、神聖な神の声ではなく、この世の全ての面倒を一身に背負ったかのような、壮大なため息だった。
ノクトは、水盤に映るアホな作戦会議を眺め、本気で頭痛を覚えていた。
「俺の睡眠を妨害するな」と釘を刺した舌の根も乾かぬうちに、これだ。
『本当に使えないな、お前たちは。簡単なことだろうが。ジーロスに幻術をかけさせろ。それで終わりだ』
(げ、幻術…! なるほど、その手が!)
灯台下暗し。
あまりに単純で、完璧な解決策。
アイリスは、さすがは神様だと感動し、すぐにジーロスに向き直った。
「ジーロス殿! あなたの魔法で、ギル殿に幻術をかけ、普通の旅人に見えるようにしていただけませんか!?」
その言葉に、ジーロスは優雅に扇子を広げた。
「フッ、お安い御用さ。幻術とは、光が織りなす芸術の、いわば腹違いの兄弟のようなものだからね。…しかし」
彼は、「ったく、分かっていないな」という顔で、言葉を続けた。
「普通の、退屈な旅人だと? なんて創造性のないことを言うんだい! 僕の芸術魂が、そんな凡庸な作品を生み出すことを許さない! もし僕がこの手で幻を紡ぐのならば、それは見る者全ての魂を揺さぶる、世紀の傑作でなければならないのだよ!」
まさかの、芸術家としてのプライドが邪魔をするという、新たな問題が勃発した。
「そこをなんとか!」
「ノン!」
「お願いします!」
「美しくないものは作れない!」
アイリスの必死の説得と、ジーロスの頑固な美学が、広間で激しく衝突する。
(このナルシスト、本当に面倒くさい…!)
ノクトは、埒が明かない状況に、再び介入せざるを得なかった。
『…新人、あのナルシストには、奴の言語で話すしかない』
ノクトは、うんざりしながらも、完璧な対ナルシスト用の脚本をアイリスに授ける。
『奴に言え。「これは、偉大なる英雄ギルが、その正体を隠して民を視察する『微行』という名の、高尚なアートだ」と』
「は、はい! ジーロス殿! これは『微行』という名のアートです!」
「微行…?」
聞き慣れない言葉に、ジーロスは首を傾げる。
『続けろ。「彼の内に秘めたる荒々しさと、あえて平凡を装うその外見との、劇的なまでのギャップ…。その強烈なコントラストこそが、見る者の心に深い問いを投げかける、極めて前衛的な芸術表現なのだ」と』
アイリスがその言葉を伝えると、ジーロスの目が、カッと見開かれた。
「内なる獣性と、外なる凡庸さの、コントラスト…だと!? …な、なんて挑戦的なテーマだ! 素晴らしい! その発想はなかった!」
ジーロスは、完全にその気になっていた。
「よかろう! その難解なテーマ、この僕の芸術で、完璧に表現してみせようではないか!」
ジーロスは、まるで舞台役者のように大げさな詠唱を始め、その指先から放たれた無数の光の糸が、ギルの巨体を繭のように包み込んでいく。
やがて、光が収まった時。
そこに立っていたのは、牛の頭も角も消え、褐色の肌をした、筋骨隆々の、ごく普通の大柄な旅商人だった。
幻術は完璧だった。
ただ、その「大柄」のレベルが、常人を遥かに逸脱しているだけで。
「おお! 姉御! これが人間の姿でありますか! 小さくて、なんだか落ち着きませんな!」
変身を終えたギルが、その巨体に全く似合わない、以前と寸分違わぬダミ声で叫んだ。 その場の全員が、思った。
(((喋ると台無しだ…!!!)))
ノクトは、水盤の前で、ぐったりと椅子に沈み込んでいた。
(…最悪だ。ギル付きの、高難易度ステルスミッションが始まってしまった。ポテチ一年分を要求しなければ、割に合わん)
こうして、あまりにも目立ちすぎる「普通の旅商人」を連れた一行の、前途多難すぎる王都への帰還の旅が、今、幕を開けたのだった。