2話
ぐうぅぅぅうきゅるるる
元気な腹の虫だ。生きる気力が湧いてきたら、途端に空腹を感じだした。
「何か食べ物」
できればご飯が食べたいが、お菓子でもジュースでも構わない。少しでいいので胃に入れたい。
辺りを見回すがポテチなんて無さそうだ。細かな掘りで装飾されたドレッサー、クロゼット、自分が先ほど出てきたベッドも柱に細工が施されている。
「本物のお姫様ベッドだ」
これにはニッコリ。
ベッドのカーテンを握ってみる。ナイロンじゃない、ポリエステルでもない。当たり前かもしれないけれど、視界に入る全てがテレビや社会科の資料集で見たことあるものばかりで、いったいこの部屋にいくらかかっているのだろうと庶民育ちの私は少し萎縮する。照明の類いは全て蝋燭だ。電気の無い世界。
ベッドを出た時は眩しく感じたが、窓から空を見れば日がだいぶ傾いている。夕方だろうか。明かりをつけたくてドレッサーの引き出しを漁ってみるが当然マッチもライターも見当たらない。クロゼットに目線を向けてみるが、そんな火事になりそうなことはしないか、と開けるのをやめた。
お腹は減ったし明かりの付け方もわからない。ないないなーんも無い。
「腹減りで死ぬ。冒険に出よう」
寝巻きと思われるワンピースに裸足という、前世でも人前に出るような格好ではないが、背に腹は変えられん。いざ。
ガチャリ
部屋の扉を開けると視界に飛び込んできたのは廊下ではなく男の人の顔だった。
「っぎゃ」
変な声が出た。
「ハーゲンティ様、お部屋へお戻りください。お一人で出歩いてはなりません。なにより、お召し物が」
朱色の髪にグレー寄りの青い瞳をしている男性は、簡易的な鎧に帯剣。きっと騎士団の誰かだろう、困ったように諭してくる。すいやせんねぇ、と心の中で謝っておく。
貴族らしい言葉がまだよく分からないので、できるだけ丁寧な言葉使いを心がける。
「お部屋に誰もおりません。私はお腹が空きました」
「呼び鈴を鳴らしてください、そうすれば屋敷の使用人が向かいます」
呼び鈴?そんなのあったかな。私が首を捻っていると、騎士が寝台に置いてあると教えてくれる。
「ありがとうございます」
「ハーゲンティ様、その、体調はいかがですか」
早々に部屋に引っ込もうとする私を呼び止める。祈りの間で倒れ、ベッドに運ばれたのだ、心配していたのかもしれない。私はニッと笑顔を見せる。
「お腹が空いていますし、魔力の使いすぎで体は少し重く感じますが、それ以外は問題ありません。ご心配いただきありがとうございます」
騎士が少しほっとしたような顔になったので今度こそ会話を切って部屋に戻る。
「ベッドのどこだ」
私はせっかちなのだ。ギュルギュルと鳴るお腹との戦いはかなり激しくなってきた。ベッドに突っ込む。カーテンが降りたままだと全然見えない。
「このカーテン光をぜんぜん通さないんだ。UVカット率何%よ」
ブツクサ言いながら外に出てベッドのカーテンを束ねる。見通しが良くなったところで再度ベッドにイン。枕元にはない。ゆっくり首を動かしベッドフレームを隅から隅までみる。束ねたカーテンに隠れそうなくらい端っこに置かれている呼び鈴を発見する。枕元から遠すぎやしないか、まあいいか。
呼び鈴に近づき手に取ろうとしてちょっと考える。子供の自分の手と同じくらいの大きさのハンドベル。ここでチリリンなんて鳴らして部屋の外にいる使用人に聞こえるのか?
「全力で振ってみよう」
柄を掴む。
持ち上げる。
スルン。
「わっ」
祈りの間で鍵を開いた時、祈りを捧げた時と同じ感覚。ベルに魔力が吸われた。吸われたのは鍵の時より少量だ。魔力枯渇で倒れることはないだろうがビックリした。
「魔法の呼び鈴、か」
全く仕組みを理解していないが魔法の知識不足なので、こういうものだ、と思って終わらせる。前世では小学校に入学してから勉強を始めたのだ、ここでも6歳になったところだし、きっとこれから勉強をしていくのだ。勉強はあまり好きではないけれど、魔法を知れるのはちょっと楽しみだ。
少しして制服を着た使用人の女性が三人入ってきた。髪色は左から黄緑色、水色、青色だ。三人は無言で部屋の奥へ行き、浴室の準備を始める。私は寝汗で微妙にベタついていたのでありがたい。
「ありがとうございます、お願いいたします」
使用人たちに一応声をかけておく。挨拶も返事もなかったが、実母の側近以外は7割くらいハーゲンティを無視しているようなので通常運転だなと流す。仕事はしてく れているのだ、感謝感謝。
とはいえ6歳でこの環境、さすがに可哀想になる。帰敬式は終えたし、これから側近を集めていくのだ。ダンサーになるためにもがんばって環境を整えようとより気合いが入る。
浴室の準備が終わり、実母の側仕えカシモラルと交代する。身支度や給仕など物理的に距離が近くなるお仕事は使用人ではなく側仕えが行なっている。カシモラルはラベンダー色の髪に藍色の瞳で儚げな雰囲気をまとった女性だ。一緒に脱衣所に入る。手際がいい、どんどんと服を脱がされていく。
「ハーゲンティ様、ようやくお目覚めになり安心いたしました」
「ご心配をおかけしました、カシモラル。私はどれくらい眠っていましたか?」
「3日でございます」
「はい?」
そんなに眠っていたのか。ファルファレルロに心臓を動かしてもらっていても、回復にこれだけ時間がかかるのだ。魔力枯渇は恐ろしいのだなと胸に刻む。
「本当にスコックス様は困ったお方です。帰敬式の途中で勝手に連れ出し、まだ訓練もしていない状態でいきなり祈りの間に入れるだなんて」
カシモラルは第二夫人の行動に腹を立てているようだ。優しい。
「倒れてしまったことはとてもビックリしましたが、これから魔法の勉強ができると思うと楽しみです」
「まぁ」
カシモラルが驚いた声を出す。
「祈りの間で倒れたことで意欲的になるなんて、ギルティネ様のお導きでしょうか。あんなに嫌がっておりましたのに」
私は今の言葉のどの辺りが不審だったのかと身構えたが違ったようだ。それより“嫌がっていた”が気になる。うつむいて押し黙っている記憶ならあるが、それが反抗的に見えたのだろうか。
「バティン様に教師の派遣をお願いしてみましょう。やる気になってくださり、とても嬉しいです」
バティンは実母の名前だ。私は笑顔でうなづいて教師派遣に同意を示す。なんだかハーゲンティは味方寄りである実母の側近たちからの印象もあまり良くなさそうだ。
「ちょっと、面倒くさいなと思っていただけで、嫌がっていたわけではないんです、よ?」
カシモラルの顔色を伺いながらやんわり否定してみる。
「さようでございますか」
眉尻を下げながら微笑んでくれたが、あまり感情が読めない表情だ。
「夕食に遅れてしまいます。湯浴みを済ませてしまいましょう」
「はい、お願いいたします」
カシモラルが会話を切り上げる。ゆっくり丁寧に洗われて、とても心地が良かった。
ダイニングへ向かうため、普段着用のワンピースを着せてもらう。その時ようやく自分の姿を見た私は思わず鏡にへばりつく。
「まじか」
少し言葉が乱れてしまったが許してほしい。明かりを反射しキラキラと輝く金髪。宝石のように透き通った紫の瞳。キツく釣り上がった目。
「悪役顔、かも」
表情に気をつけないと常に不機嫌に見られてしまうかもしれない。
「帯を結びます」
「はい」
私は鏡から離れる。水色のワンピースに同系色の帯をリボン結びにしてもらう。可愛い。自分の顔なんてもう忘れた。服に大満足してニコニコが止まらない。
そのままのニコニコ顔でダイニングへ案内される。
カシモラルが到着を知らせ、ダイニングの中にいる使用人が入口の扉を開けてくれる。
内装は想像以上に豪華だ。陽の光がたっぷり入るように大きな窓がいくつも並び、天井にはシャンデリア、部屋の中央は長いテーブルが設置され、花がいくつか飾られている。お姫様になった気分だ。
しかしニコニコしていられたのはここまでだった。