12話
「おはようございます、ハーゲンティ様」
ムルムルに掛け布団を剥がされる。
「……おはようございます」
ついにこの日が来てしまった。
私は目を閉じたまま上半身を起こす。今日から騎士団との訓練が始まるのだ。ダンサーとして余計な筋肉をつけたくない私は往生際悪くいまだに回避の方法を考えている。あと、やっぱ戦うのは怖い。
「お目を開いてくださいませ」
「う、はい」
ムルムルに迷惑をかけたいわけではないので私は、しぶしぶ、しぶしぶ目を開く。洗面用ボウルや着替えがすでにムルムルによって用意されておりサクサクと朝の身支度を終え朝食の席についた。朝食は自室で摂るので、1人分だけ用意されている。
今日はオレンジジュースか。
そう思いながら朝イチの水分摂取のため、グイと飲み干した。オレンジジュースと思っているが、味はみかん寄りな気もする。これが何かを質問したことがないのでオレンジなのかもジュースなのかも実は知らない。オレンジジュースっぽい何か。食事も全て『それっぽい何か』と思いながら食べている。
「いただきます」
日本と同じで食事前後のお祈りは短い。非常に助かる。
もぐもぐと食べ始め、祈りの間から出た後のファルファレルロとの会話を思い出す。
「ファルファレルロ様、初めて祈りの間で魔力を吸い出された時と全然感覚が違ったように感じました。やっぱお祈りの言葉は一言一句間違えてはいけないみたいな感じですか?」
「言葉使いが少々気にはなるが、まあいい。最初はどのように魔力供給を行なったのだ?」
「え?見てたんじゃないんですか?」
契約した日は私に祈りの間の事を思い出せとか言っていたじゃないかとファルファレルロに疑問も投げる。
「見てはいない。どこに目があると思う」
確かに、本に魔石はくっついているが顔は無い。なら部屋の中をひゅんと飛ぶ時、家具などにぶつからないのはなぜだろう。サーモグラフィーのような機能がついているのだろうか。
答えは違った。人間、動植物、魔法道具、色々なものに含まれる魔力を感知していた。この大陸全土に魔力が満ちているため土・鉄・草木にも魔力が微量に含まれ、その素材で家具を作るので部屋の中でも自由に飛び回れるとのこと。
「ファルファレルロ様は景色が見れないのと、あの時私の魔力枯渇は感知していたということが分かりました」
私はまだ空を飛べないし、練習もしばらく禁止と言われたので羨ましい気持ちがじわじわ湧いてくる。はぁ、と息を吐いてから帰敬式の時の魔力供給の話をする。
「えーと、私ってゆーか本物のハーデンティが最初に祈りの間に入った時は手順も祓詞も知らなくて……あ、そういえば床の『魔法陣』みたいなやつも知らなくて踏んでたかもしれません」
魔力枯渇で最後はギルティネ様の像にもたれかかったのだ。間違いなく魔法陣の中に入っていただろう。これを聞いてファルファレルロがケタケタと笑う。
「床の光る紋様はエノクだ。そうか、その中にズカズカと入り聖獣のそばに立ち、祓詞を奏上もしない、ハハハ、無作法者だから魔力を目いっぱい吸われたのだ」
ファルファレルロが馬鹿だバカだと転がりながら笑う。
ガギッ
フォークとナイフがぶつかって不快な音を立てる。
「失礼いたしました」
何度もこの会話を思い返してしまう。そしてその度に小さなイライラが積る。だがファルファレルロの言うことが間違っていないのは、バティンと祈りの間に入った時と帰敬式の時を比べれば一目瞭然。知らないでは済まされない。魔法や魔力に関しては命に関わるのできちんと基礎を学ぶ必要があるなと再認識した。
それはそれ、これはこれ。ファルファレルロには腹立つ。
「ハーゲンティ様、何か苦手な食材でも入っておりましたか?」
ムルムルに気を使わせてしまった。
「いいえ、今日もとても美味しいです」
私は笑ってごまかした。
食事を終え、訓練着に着替えさせてもらう。今日は軽装なので鎧ではなく胸当てやすね当てだけ付けるそうだ。カシモラルが奥から持ってきてくれるのだがどう見ても金属製。革製の軽い物を想像していたので思わず「本当にこれを装着するのですか?」と聞いてしまった。
私はまだ6歳なので絶対立っていられないと思ったし、成長期にこんなものを日常的に付けていたら身長が伸び悩むだろう、骨格に歪みも出るのではないかと色々な心配事が頭をよぎり、同年代のチャクスへ視線を向ける。
自分の身に降りかかるまで気にも留めていなかったが、8歳のチャクスも同じ金属の胸当てをしていた。
「ハーゲンティ様、両腕をあげてください」
カシモラルに言われ、私はゆっくりと腕を上げる。近くで見ると革や布が一切使われておらず全てのパーツが金属でできており、さらに大人サイズのようで6歳の私にはかなり大きい。
「わたくし、重さで潰れてしまいませんか?」
側近全員がびっくりしたような顔になる。自分の発言の何がおかしかったのだろう。
カシモラルが胸当てを一度おろす。
「ご心配には及びません。むしろハーゲンティ様は感動なさるでしょう」
カシモラルがニコっと笑顔で言う。私は余計に混乱したがカシモラルが胸当てを抱え直したので、急いで両腕をあげる。
カシモラルが前身頃を支え、ムルムルが後ろから留め具を嵌めていく。全て嵌め終わると鎧がシュルルと縮み、私の身体にピッタリのサイズになった。
「これ!魔法道具だったのですか!」
しかも羽のように軽い。ノックしてみるとコンコンと金属音が鳴るのに、身体を屈めるとそれに合わせてまるで布のように抵抗なく変形する。どうなっているのだろう、すごい、不思議だ。
まだすね当てを付け終わっていないが、そんなこと忘れて部屋中を動き回る。
「ハーゲンティ様、いかがですか?」
「最高です!カシモラルの言った通り感動しました!」
「では残りも付けましょう」
すね当てを持ったカシモラルに椅子を示され、私は「あ」と小さくこぼす。今さら遅い気もするが、冷静を装い淑女よろしくしずしずと椅子に腰掛ける。
「ではカシモラル、ムルムル、残りの装着をお願いいたします」
「かしこまりました」
2人が笑いを堪えながら残りの武具をつけ、髪をポニーテールにまとめてくれた。
今日の流れを再確認しながら訓練場へ向かって歩く。これがとにかく遠い。領主の城なので一部屋がとにかく大きく数も多い。側近、住み込みの使用人たちの部屋も用意されており、サロンも全部数えたわけではないが通りかかった分だけで4部屋あった。玄関までがすでに散歩と言ってもいい距離がある。
「帰敬式の時に初対面の挨拶は終えている方がほとんどです。少佐以上の階級で、顔合わせが終わっていない6名と先に挨拶をし、その後騎士団長からどの隊に組み込まれるかの説明を受け、訓練開始でございます」
カシモラルの言葉に頷きながら進む。爵位と騎士団の中での上下は別らしい。
「護衛官と離れることはございません」
一緒に訓練を行います、とケレブスが付け加えてくれる。それなら安心だ。
「騎士団の訓練は今後、週1回参加することになります。もし訓練日を増やしたいとお思いになりましたら私にお申し付けください。騎士団長に話を通します」
ケレブスが笑顔で言う。チャクスはそれを聞いて「一緒に訓練だ」と今まで以上に表情が輝く。私は訓練を増やしたくないがチャクスの笑顔は守りたいので、ニッコリ笑うだけで頷くことも首を横に振ることもしなかった。
「そういえば、見習いの出仕は週3日でしたね。チャクス、出仕していない日はどのように過ごしているのですか?」
話を変えたかったのでチャクスに話題を振ってみた。各々自主練をしているのかなと思っていたが少し違った。
「週に1度の休息日以外は騎士団で訓練を行なっております。同じように見習いたちがいるので、集められて座学の勉強も行います」
実家にいたときは親族の子が集まって勉強していたのですよ、と教えてくれる。
「わたくしがナベリウス先生に教えてもらっているような内容ですか?」
「同じ内容もありますが、領主の子ではないのでサーガをあそこまで詳しく習いません」
貴族にとって当たり前なのだろう、しかし私は勉強内容にも身分差が出るのかと内心びっくりする。
そんな話をしているとやっと城の出入り口に到着する。訓練場は敷地内の裏庭のさらに奥側なので、今回使う出入り口は正面玄関ではない。用途に合わせた出入り口が6個あるそうだ。側仕えがいて良かった、絶対1人じゃ帰ってこれない。
庭を抜け、住み込み騎士用の宿舎があり、訓練場が見えた。あまりの大きさに口が開いてしまう。東京ドーム、いいや、きっともっと広い。学校のグラウンドのような場所を想像していたので屋根付きなことにも驚いた。
「ウッ」
誰かの声が聞こえた。側近が全員私を見る。
「違います」
確かに、私が1番不用意に声を発するけれど。違う。しかもさっきのはうめき声っぽかった。
視線を巡らせると宿舎の影で何やら揉み合いをしている人たちを発見した。じっと見ていると1人が押し倒された。
「カシモラル、まだ時間に余裕はありますよね?」
「危険です」
即答された。
「ですが……」
押し倒された人はどうやら無抵抗のようだ。イジメに違いない。正義感なんてものは持ち合わせていないが、見ていて不愉快なことに変わりない。
「ハーゲンティ様、貴族としてあのような振る舞いは確かに目に余りますが、どのように処分なさるおつもりですか?」
「しょ!?」
処分だなんて恐ろしい、なんてこと言うんだカシモラル。
「そこまででは、ただわたくしの視界に入るところではやめてほしいと思っただけです」
「そういう時は視線を逸らして通り過ぎるものです。あれは、見ていて不愉快でしょう」
同じ感想なのにその後に取りたい行動が全然違う。どうしようか悩んだが、このまま見て見ぬ振りをするのは絶対に後悔する自信がある。
「いいえ、わたくしは止めに行きます。ケレブスとチャクスはついて来てください」
「は!」
護衛2人の短い返事を聞き、進路を変える。
「楽しそうですね」
貴族らしい仲裁の仕方を聞いてから動けば良かった。
「わたくしも混ぜてくださいませ」
嫌味な言い方になる。後悔先に立たず。おかしいな、後悔しないために動いたはずなのにさっそく後悔した。
1:3でボコスカ殴っていたようだ。知り合いでもなんでもないがイラッとした。いや、領民だから私が守る対象だよね。自分の中で理由付けをし、3人の顔をじっと見る。
「は、ハーゲンティ様」
私に気づくと、男3人が一斉に跪く。
「何をしていらしたの?」
3人のうち1人が口を開く。
「この者が盗みを働いたのです」
声がひっくり返りながら言い切り、さっきまで殴られていた男を指差す。
「……盗んでいません」
殴られていた男が小声で反論する。3人がそれを一斉に睨みつけ、1人は立ち上がる。
「口答えをするな!」
パン
「そこまでです」
またリンチが始まりそうになったので手を打って止める。
「盗んでいないのなら誤解される行動があったのかも知れません。何をしていたのか教えてください」
私は殴られていた男に問いかける。
「ハーゲンティ様、このような卑しい者の発言に耳を貸す必要はございません」
「それを決めるのはわたくしです」
どう見ても二十歳前後な3人なのになんで小学生みたいな言い訳をするんだと思いながら殴られていた男に目を向ける。男はゆっくり顔をあげ、その緑がかった青い瞳と目が合う。
「祖母の形見のブローチを返していただきたい、です」
おいおい、どっちが盗人なんだ。しかし嘘をついている可能性もあるので、次は3人に目を向ける。
「分不相応な物を持っていたのです」
「そうです。ふさわしい持ち主の手に渡るべきです」
力一杯自白をしてくれた。
「3人とも、ブローチを彼に返してあげてください」
私の言葉に3人がびっくりしていたが、私の方がびっくりだ。きっと殴られていた男は身分が低いのだろう。1人だけボロボロになっている様子から彼が一度も反撃をしていないことが見て取れる。3人は権力でブローチを取り上げようとしたのだろうが、そんなことが許されるなんて習っていない。
あれ?でも3人の瞳は茶や黄色で、殴られていた男は青色。魔力量を考えると身分が逆転してない?
私が口を開かず無表情のままじっとしていると3人は諦めたのか、ブローチを投げるように返した。一件落着。
私は殴られていた男に笑顔を向ける。
「大切な物なのでしょう?それを持って先にこの場を離れなさい」
「ありがとうございます」
男は早口で礼を述べ、駆け足でこの場を去る。
残った3人は青ざめていた。私に対して強気な態度に出ることも、胡麻すって機嫌を取ることもしないので派閥としては中立なのだろうか。敵に回してスコックス派を強めたくないし、かといって味方ですって顔をされるのも鬱陶しい。何も無かったことにして現状維持だ。
私は罰するつもりは無いことを告げ、「こんなみっともない真似は2度としないでください」と最後に小言を付け加えてカシモラルの元へ急いで戻る。
「カシモラル、まだ間に合いますか?」
「ええハーゲンティ様、失礼いたします」
カシモラルに抱き上げられ、走って移動になった。
「今のことは、報告されますか?」
私はカシモラルのその問いに対して首を横に振る。
「それは、逆恨みが怖いのでやめておきます」
前世の学校でのイジメを思い出す。先生に言えば「チクられたぞ」なんて言ってさらに酷いことをされるのだ。目の前で起きたから止めただけ、それ以上は逆に彼を追い込むことになりかねない。
「今回はその判断で良いでしょう。わたくしたちは従います」
「ありがとう、カシモラル」
どうせこれも、正解の無い問題なのだ。2度目の人生、1度目と同じ後悔はなるべく避けたい、無意識だったがさっきの私の行動の1番の理由はこれな気がする。
訓練場の入り口に近づいたようで、カシモラルが私を下ろしてくれた。ここからは気持ちを切り替えて、笑顔を作る。
「ハーゲンティ様、先頭にいるのが私の父で騎士団長のブーネです」
見れば、ケレブスと顔立ちはあまり似ていないように思うけれど、同じ朱色の髪をした中年男性が跪いている。
騎士団の階級に側仕えは詳しくないようで、ケレブスからの説明がある。初対面の挨拶を帰敬式の時にした、らしいが全然覚えていなかったのでとても助かる。真ん中が騎士団長で階級は少将、半歩後ろに控えている副団長も少将、そして後ろに大佐、中佐、少佐が並んでいると教えてくれる。
「騎士団のみなさま、お待たせいたしました」
側近たちのおかげで時間通りだとは思うのだが、つい口にしてしまう。中佐や少佐階級の人たちが不思議そうな、困ったような表情になったのがわかった。
ごめんね、出迎えご苦労さま、でしたね。
心の中で反省しつつ、並んで跪いている騎士団の面々を見渡す。大佐以上の人たちはさすが、ちょっとのことでは動じない。むしろ帰敬式を終えたばかりの騎士志望ではない女性貴族が訓練に対してどのような態度を取るのかじっくり観察しているように感じる。
噂に惑わされず、自分の目で確かめようとしてくれているのは嬉しいが、かなり緊張する。
「ようこそハーゲンティ様。共に訓練ができるこの日を待ち遠しく思っておりました」
騎士団長と挨拶を交わし、そのまま続けて6人の初対面の挨拶が始まる。6人と聞いていたが7人目がいる。
「ラウム」
7人目は騎士団長にラウムと呼ばれた青年だ。髪も瞳も空色をしている。
「お初にお目にかかります、ラウムと申します。階級は中尉。ハーゲンティ様の指導役に任命されました。以後お見知りおきください」
さ、爽やか~~~!
私はまぶしさに目が眩みそうになったが踏ん張って挨拶をする。
「公爵家の子として恥じぬよう精一杯頑張りますので、ご指導のほどよろしくお願いいたします」
いよいよ訓練が始まる。